月が鋭く、雲を射るような夜だった。
厚いそれは三日月の刃に淡く散り、やけに月光を眩しく伝える。
不気味なまでに音の無い木々達が、俺を囲む様に聳え立っていた。
暗闇に支配されたその景色は、片目だけでは随分と捉え辛い。
こんな夜更け、共も連れずにこんな森の中へと出掛けたと小十郎の知る所となったら・・・
ああ、明日が怖そうだと、知らず肩を竦める。
けれど偶の気紛れで、1人、静寂を味わいたかったのだ。
月明かりを辿り、当ても無く暗闇を進む。
あまり深入りすると、来た道すら闇に呑まれてしまいそうで、少々歩みに躊躇いを覚えた。
近くで水の音がする。
その水音の在処を見つけたら足を止めようと、耳を頼りにその場所へと足を向けた。
音が近くなる。
思いの外近かったそこは、木々に囲まれて尚淡い輝きを宿す、水辺。
月光を受けて白く輝く水面は気味の悪い程に神聖で。
動物の一匹すら見受けられない静けが辺り一帯を支配していた。
コレは良い場所を見つけた。
けれどもその思考は、1つの人影によってすぐに断たれた。
・・・女?
咄嗟に気配を潜め、身を隠す。
どうやら泉の中央で水を浴びているのは、女であるらしい。
女がこんな夜更けに、1人、木々生い茂る森の奥で?
幽霊か何かかと思いもしたが、その女は緩やかな動きで水を掻き混ぜ、遊んでいる。
此処からでは顔は見えないが、均整の取れた無駄の無い肉体をしていた。
細い肩。
シミ1つ無い肌理細やかな肌を乗せる小さい背。
折れそうな程細い括れた腰。
そこからなだらかな曲線を描き臀部へと移った所で、それは水へと飲まれていた。
細くしなやかな腕の割には、皮膚の下に筋肉の束がしっかりと構成されているのが見える。
そして、水に濡れた所為で妖しく煌めく白い肌。
その肌に良く映える、鮮血を思わせる紅い髪。
それは水気を帯び、白磁の肌に艶かしく吸い付いていた。
髪の一筋一筋が、鋭利な刀の様に鋭い光を放つ。
少し興味が沸き、慎重に、音を立てぬ様。
ほんの少しだけ身体を近付けたみた。
その刹那。
「!」
女が素早い動きで振り向いた。
音も立てず、気配すらも消し、小指の先程の距離を縮めただけだと言うのに。
その女の気配の敏さには驚愕したが、それ以上に気を引いたのは、女の容貌。
身体と同じく、整った貌。
月光に似た白い顔。
綺麗な顎の輪郭と、通った鼻筋。
閉じられた唇は、ふっくらと柔らかそうだった。
けれど、その美しい貌に似つかわしくない、紅い刺青。
まるで神に施す様な、紅い隈取の様に入れられた血色の模様。
そして、何よりも心に残ったのは、眼。
長い前髪に隠され見辛い筈なのに、やたらと鮮烈な印象を残した、眼。
髪と同じ。顔の刺青と同じ。
いいやそれよりも更に鮮やかな、血の色。
鋭い、それでも何か純粋な幼さを見せる様な、奇妙な眼をしていた。
それはそう、まるで、硝子の様な。
血色の硝子の様な、女の眼。
澱みなく、曇りなく、けれども特別宝珠の様な上品な光など宿さぬ無機質な眼。
ただ在るが儘に全てを映し刻んでいるが、そこには何の感情も持ち合わせない様な。
無の音と共に、血色の鏡面に他者を映し出す、硝子の眼。
心臓が煩く喚く。
得体の知れぬ興奮が、背筋を駆け巡った。
自然と口角が吊り上がる。
自身の左目が、血色の女を食い入る様に見詰めた。
最早、見つかった事などどうでも良い。
その血色の女に、触れてみたいと、ただそれがけが脳裏に過ぎった。
今度は身を隠さず、堂々と立ち上がり、女へと向き合う。
女は、そのまま微動だにしなかった。
その女の反応に気を良くし、一歩、前へと足を踏み出す。
瞬間。
女の姿が、黒い霞と共に掻き消えた。
唐突な出来事に、思わず眼を見開く。
霞が薄れた頃には、女の姿はもう何処にも無かった。
静寂が戻る。
けれど俺の高鳴りは、今も全身を巡っていた。
幽霊などでは無い。
恐らくあの技、闇夜に溶ける者の持つ技であろう。
すると、あの血色の女は、忍び。
この時代の忍びならば、恐らく何処かの大名にでも仕えているのだろう。
それならば、戦の最中、出逢える可能性は十分にある。
一目で全てを奪われた。
あの鮮烈な血色に。
あの血色の硝子の様な眼に。
あの恐ろしく何も持たない、女に。
「・・・・ハッ、俺とした事がな・・・・」
この俺が。
独眼竜が。
見ず知らずの女1人に、一目惚れなんざしちまったらしい。
全く情けねぇ事だと思うが、それでも左目に焼きついた姿を思い起こせば、胸が熱く滾る。
最高の獲物を見つけた様に、無意識に舌が乾いた唇を舐めた。
「上等だぜ・・・」
あの女。
血色の女。
俺の全てを一瞬で掻っ攫ったあの女。
今度は、俺があの女の全てを奪い取ってやる。
誰一人いなくなった月明かりの下。
冷えた風にも冷める事の無い滾りを胸に押し込んだまま。
あの女が溶け込んだ色と同じ暗闇へと身を躍らせた。
END.
筆頭の一目惚れ。アンタに惚れちゃったよ。
小太郎はこの出逢いを覚えてません。流石!
君の瞳に恋してる。ラブストーリーは突然に。