気に入らねぇ。
あの血色の忍びに抱く感情と言えば、ただそれだけだった。
風魔小太郎。
その名だけは聞いた事があった。
誰一人素性を知らぬ伝説の忍び。
まるで御伽噺に登場するかの様な人物像。
それが実在し、更に女だと知った時には、それなりの衝撃も受けたが。
それより何より、その忍び。
得体の知れぬ、1つの声すらも発さない気味の悪い女。
そいつが、政宗様の傍にいると言うのが、何とも気に食わないモンだった。
北条との合戦。
敵の首を討ち、自軍の大将である政宗様の元へと駆けた時。
政宗様は、あの忍びを連れていた。
そして事もあろうに、先まで敵であったこの女を自軍に加えると言う。
コレには流石に異議を申し立てたが、政宗様の耳が傾けられる事は無かった。
曰く、前からその忍びを欲していたのだと。
いつ会ったのか。その忍びへの執着は何か。
聞きたい事は多々あったが、政宗様は忍びの肩を満悦そうに抱くと、そのまま俺の横を通り過ぎた。
瞬間見えた、政宗様の首筋にある切り傷。
この女がつけたのだと認識した途端、全身に煮え繰り返りそうな怒りが湧き起こった。
それ以来、政宗様の傍には、いつもこの女の姿がある。
何とも縁起の悪い血色の髪・眼・刺青を引っ提げて、当然の様に政宗様の横にいる。
感情の読み取れない眼。
生きているのか、この世に本当に存在しているのかさえ定かではない様な。
人間の気配を漂わせない女。
常に忍装束を纏い、いつでも抜刀が可能な様、背には対刀が突き刺さっている。
それが、政宗様を護る為であるならば、俺も感服したもんだったが・・・
この女からは生憎、忠誠の一欠けも感じられやしねぇ。
1つの切っ掛けさえあれば、容易く政宗様の寝首を掻きそうな。
そんな気配を感じる。
この女から、人間らしい感情を読む事が出来ない。
危険な存在だ。と思うと同時に、そんな輩を傍に置く政宗様の気が、知れなかった。
「何だ小十郎。難しい面しやがって」
「いえ・・・」
つい忍びの事を考え、苦い思いに浸っていた所。
政宗様の訝しんだ声色にハッと我を取り戻した。
いけない。主君の前で、このような失態。
申し訳御座いません。と謝罪を述べ、改めて主君へと向き直る。
そこでふと、先程まで気にならなかったある物に気付いた。
「・・・政宗様、それは?」
「ん?・・・ああ、コレか」
俺の視線に、政宗様はニヤリと口角を吊り上げると、それをチラリと振って見せた。
それは、簪。
上質な漆塗りの、金細工の装飾が見事な、女物の。
誰への贈り物かなんて、考えるまでもなかった。
・・・だが、おいそれと認めたくないと言う気持ちが勝り、不躾を承知で政宗様に問うた。
「・・・どなたへ?」
「誰だと思う?」
「・・・・・・」
問いに問いで返され、今度こそ閉口する。
政宗様が、あの忍びに簪を贈るなぞ、認めたくは無かった。
「・・・生憎、この小十郎には、皆目見当がつきませぬ」
「オイオイ、いっくら色恋沙汰に興味ねぇからってよぉ・・・」
もう少し勘を働かせてくれよ。
そう政宗様は苦笑いを浮かべて言うが、コチラとて伊達にこの歳生きてはいない。
簪を見た瞬間に脳裏に浮かんだ女の名を、わざわざ口にしたくないだけで。
しかし政宗様はそれを知ってか知らずか、何故か楽しそうに笑うと、その良く通る声で忍びを呼んだ。
「小太郎」
政宗様が女の名を1つ呼べば、数瞬を置かずに風が舞う。
眼を一度瞬けば、政宗様の傍に、血色の忍びの姿があった。
思わず舌を打ちそうになるのを、拳を握り締める事で堪える。
「よぉ、まぁ座れや」
「・・・・・・・・・」
政宗様の勧めに、忍びは無言で返し、言葉通りに政宗様の前に腰を降ろす。
兜を外したその面は、美しいと言えば美しい。
が、その不気味な血色には、どうにも嫌悪を覚えてならない。
更にその面が、氷の様に冷たく凍えきっているのが、尚薄気味悪い。
「土産だ。受け取れ」
「?」
政宗様が、握っていた簪を忍びへと差し出す。
忍びは意図を理解出来ないのか、軽く首を傾げながら、ただ無機質にそれを受け取った。
「・・・何だ、気に食わねぇってか?」
「・・・・・・・・・・」
忍びは何も返さない。
政宗様から贈り物を頂いておきながら、その態度。
益々、腹立たしい。
「まぁテメェの事だ。つけた事ねぇんだろ」
浴衣すら着た事ねぇ奴だもんな。と、政宗様は至極愉快そうに言う。
忍びは簪を無造作に掴んだまま、再び首を傾げるだけ。
その忍びに、政宗様は何を思ったか、軽く手招きをした。
「・・・傍に来い」
「?」
呼ばれるまま、忍びは素直に政宗様へと身体を寄せる。
それだけでも、苛立ちが背筋を駆けると言うのに。
あろう事か政宗様は、忍びの血色の髪を、自身の手で梳き始めた。
やはり女。
髪の質は柔らかいらしく、政宗様の指間を水の様に流れ落ちる。
忍びは相も変わらず、細工物か何かの様に動かない面を乗せているまま。
政宗様はそんな忍びの無礼極まりない態度に何も言わず、数度その動作を繰り返した。
その後に。
「つけてやる。・・・出来に文句は無しだぜ?」
「・・・政宗様」
こう政宗様が申された時には、流石に声が出た。
別に、止めようとした訳ではない。
ただ、無意識に。
あまりに、不快過ぎて。
案の定政宗様は、再び訝しげな表情で俺を見た。
・・・だが、制止する言葉なぞ、俺が持つ訳がない。
苦し紛れに、いえ。とだけ言うと、努めて平静を保ち、口を噤んだ。
政宗様はそんな俺を首を傾げて一瞥すると、忍びへと視線を戻す。
忍びは、まだ自身の前方へと無の視線を投げるだけ。
ああ、腹立たしい。
そう思う間にも、政宗様は忍びの血色の髪を慣れた手付きで纏める。
零れ落ちる細い髪に苦戦した様子ではあったが、それでも簪は綺麗に髪へと挿された。
一城の主が。我等が主君が。
たかが1人の忍びの。たかが1人の女の髪を、それは丁寧に纏めてやり、簪を添える。
その光景、出来れば見たくは無かった物だ。
相手が、この女であるならば、尚の事。
「・・・・・・・・・・」
美しく挿された簪。
纏め上げられた髪。
それは、忍び自身の手で無惨にも崩れた。
この女。
政宗様が直々に挿して下さった簪を、無碍にも抜き去ったのだ。
思わず、カッと眼を見開く。
この時、忍びの襟首を掴まなかったのは、奇跡としか言えない。
勿論、それは政宗様の気を害す行為。
そうそう出来た物ではなかったろうが。
・・・それでも、そんな事関係無しに、忍びに掴み掛かりたい気分だった。
忍びは俺の敵愾心に満ちた眼を受けると、漸く眼だけを動かして俺を見た。
血色の眼。
なんと不吉な事か。
俺がそう思うと同時、忍びは何事も無かった様に俺から眼を外し、立ち上がる。
手には、簪を雑に持ったまま。
「おっと。・・・まぁ、良い。似合ってたぜ」
「・・・・・・・・」
「・・・今度は、それに合った着物でもやるとするか」
「・・・・・・・・」
聞きたくも無かった政宗様の言葉に、忍びは1つの視線すら送らない。
そして主の承諾も無く、霧の様に部屋から姿を消した。
本当に、何て忍びだ。
政宗様が近くに置く、その訳が全く理解出来ない。
よもや、政宗様を疑う訳ではないが。
女にまやかされているのではなかろうか。
無礼な思考が脳裏を掠めた時、政宗様の口からふぅと呆れ混じりの吐息が漏れる。
そしてそのまま、苦い笑みを浮かべ、俺へと零した。
「・・・まぁ、そう邪見にしてやるな」
「・・・・しかし」
政宗様の、困った様な口調。
それに、少々コチラが困惑する。
「・・・あれは、中々良い女だぜ?」
「・・・この小十郎には、とてもそうは思えませぬが」
「言うな、お前も」
「主に偽り言は吐かぬ性分故」
俺の言葉に、政宗様は笑う。
しかし同意は示さず、ただ忍びの髪を撫ぜた手を左目で見る。
「・・・しっかし、俺からのpresentを引っこ抜くたぁな。流石小太郎だ」
「・・・・・何が、流石で御座いますか」
「良いじゃねぇか。それでも持ってった所を見ると、気には入ったんだろうよ」
「・・・・・・」
確信に満ちた政宗様の言葉。
俺はどうにも、そう思えなかった。
「本当、良い女だぜ?」
もう一度、それを繰り返す。
けれど次の言葉。
それを聞いた途端、俺は自らの鼓膜を貫きたくなった。
「・・・アイツの為に、命散らしても良いと思えるくらいに、な」
我等が主君に。
この、何よりも強く在る男に。
そんな危険な思考を抱かせたあの忍び。
やはり、気に入らねぇ。
抱くのはただ、それだけだった。
END.
小太郎の事が超絶嫌いな小十郎。
確かに好けと言う方が無理である。危険指数満点だもん。
政宗は小十郎の気持ちも良くわかってるから困ってますお母さんか。
でもやっぱり小太郎に惚れてるので小太郎優先です。
小太郎は別に簪が嫌いだった訳じゃありません。
照れ臭くてどうして良いかわからなかっただけで、しっかり喜んでます。
でも無言無表情にあの態度じゃ、小十郎がマイナスな方向に誤解するのも無理ない。
コジュコタも好きなんですが、このシリーズだと一方的に仲悪いです。