男へと向けられた銃。
見開かれる左の眼。
主君へ叫んだ右目たる重臣。
私は。
忍びたる私は。
無き声を張る事もせず。
ただ、男の盾となり、男を貫く筈だった銃弾を胸に受けた。
何故庇った?
主であるからか。
いいや、私に忠義なぞない。忠義なぞ、誰にも抱いた事などない。
雇われているからか?
いいや、私は奪われたのだ。金も契約もありはしない、私は男の”物”なのだ。
それならば、何故私は命を呈して護った?
忠義に非ず。誓約に非ず。それならば何故。
グルリと逆転する空を背にした男の顔が、私の視界に入った。
残された左目が、驚愕の色に彩られている。
倒れる私の身体を受け止めた男の雄叫びの様な慟哭を耳にした刹那。
ああ、この男だから、私は護ったのだと、何となしに、理解した。
その後の事は、あまり覚えていない。
ただ、私の身体を掻き抱く主。
その男の悲痛な叫びだけ、鼓膜に焼き付いて離れない。
他に感じた事と言えば、男の阿修羅の如き気迫を伴った、恐ろしいまでの殺気のみ。
殺気を向けられたのが私であったならば、数歩後退らんばかりの。
それらを辛うじて皮膚で感じ取った後、私の意識はトンと途絶えた。
次に見たのは、この天井。
数瞬頭が追いつかなかったが、どうやら主の城らしい。
よくよく見れば、私の部屋ではないか。
戦の場で意識を失い、任務半ばで退却するなぞ、忍びとして有るまじき。
そう思いもしたが、鉛の弾を胸に受け、こうして生きている方が意外と言えば意外である。
咄嗟に、身体に感覚のみで、傷の度合いを読む。
穴は胸部のみ。
残留弾は無し。
背に穴も無し。
けれど、何処か切り開かれた違和感を感じる。
ピンと引き攣るその感覚は、恐らく、切開した傷を縫い止めた物であろうと確信した。
弾は貫通しなかった。
と言う事は、主に届いてはいないと言う事。
それがわかり、ほっと息を吐いた所で、何て事無しに身体を起こし上げた。
心の蔵には掠りもしていない。
弾も摘出され、傷も縫われている。
何ら気にする事は無い。
それよりも、今は何時か。
主達は。
戦はどうなったのか。
色々と気になりはしたが、今は取り合えず寝巻きを剥ぎたい。
まだ何処か覚束無い足で布団から抜けると、じわりと胸から何かが染み出る感覚があった。
襟を割れば、巻かれた包帯に夥しい量の血液が滲み出ていた。
水分を多く含んだ布切れは、最早治療道具としての役割を果たしていない様にも思える。
痛みもあるが、別段気にする様な事でも無し。
拷問の訓練に比べれば、何と生易しい物よ。
そうまだ朦朧としている頭で思いながら、傍に置かれていた忍装束へと手を伸ばした。
はて。どうするべきか。
目覚めたのだから、主君への報告を何よりも優先すべきであろう。
けれど、何だか、まだ頭が覚醒してはおらず。
適当な木へと乗り、心地好い風を受けていた所に聞こえたのは、部下の騒がしい声。
何事かと耳だけ向けると、その声は主たる男の部屋で聞こえた。
「ひ、筆頭!!大変ですぜ!!」
「どうした、騒がしい」
「ふ、風魔の姐さんが、部屋にいやせん!!」
「!?・・・ンだと!?」
・・・私の事か。
ああ、そうだな、私の事だ。
まだぼんやりとしていた頭で、そう繰り返す。
途端、何故か急速に意識が覚醒した。
・・・しまった、主に報告する前に、要らぬ騒動が起きた様子。
どうするべきか。と思案する私の耳へ、まだ騒々しい声は鮮明に届く。
「チッ・・・テメェ等!城内、隅から隅まで探せ!!」
「は、はい!!」
「小十郎、行くぜ!」
「ハッ」
ああ、待て、行くな。
そう伝えようと思っても、生憎声を持たぬ私には、空気がヒュウと喉より出るだけ。
仕方ない。
主達が部屋から駆け出す前に、姿を現そう。
取り乱す主へ私の存在を知らせるべく、わざと音を立て、木から主の部屋の前へと降り立った。
「!?・・・こ、たろう?」
「・・・・・・・」
男が間の抜けた声で私を呼ぶ。
その面は、その声に負けず劣らず、間抜けであった。
取り合えずその言葉に頷いておくと、先程騒いでいた部下は安堵したのか、ペタリと座り込んでしまった。
しかし主は、間抜け面を急に険しい貌へと変えると、私を睨みつけ、地を這うが如き声で問うて来た。
「・・・テメェ、その出で立ちは、何の冗談だ?」
「?」
わざわざ言葉を区切り、苛立ちを隠しもせず私にぶつける。
私には、その男の怒りが何なのか、良くわからない。
ただ男の怒気を間近に受け、部下は恐れ戦いたのか、顔面が蒼白であった。
「・・・怪我は」
「?」
短い問い。
それに対する答えは、何が最善であろうか。
ただ、治ってはおらぬ。
それだけである。
「チッ・・・」
「!?」
私の反応が無い事に、更に苛立ったのか。
男はズカズカと大股で私へと近づくと、その両腕で私の身体を担いでしまった。
突然の出来事への驚愕と、傷口の激しい痛みが私を襲う。
が、それはどちらとも、表情へ乗せる程の事柄では無かった。
ただ呆然と眼を開く私を一瞥もする事無く、男はそのまま襖を蹴り開ける。
「・・・小十郎、湯と布、用意しとけ」
「・・・承知」
そして重臣へと低い声を投げると、そのまま男は私を担ぎ、私の部屋へと向かった。
両手の塞がった男は、私の部屋の襖も足で蹴開ける。
それに大して何の感情も抱きはしないが。
何にせよ、無遠慮な男である。
主たる男に、文句なぞありもしないが、他の女の部屋にこう入ったら問題であろうに。
他人事の様にぼうっと思うていると、右目が静かな動きで続き、部屋に入って来た。
互いに、無言である。
異質な空気に、流石に戸惑いを隠し切れず、男へ視線を向ける。
・・・が、男は私に視線をやる事は無く、私の身体を抱いた儘、器用に畳みへ腰を降ろした。
「悪ィな小十郎。布団、敷いてやれ」
「・・・承知致しました」
先に片付けた布団が、また敷かれる。
私にまだ休息を取れと。
そんな物は無用と眼で告げたが、やはり男は私の視線を受けようとしない。
気付いている筈だろうに。
一向に私を見ない男は、淡々と近くにあった治療箱を手繰り寄せ、無造作に片手で開ける。
「・・・助かった。もう下がって良いぜ、小十郎」
「・・・・ハッ」
硬さを保ったままの声色に、右目は頭を下げてから部屋を後にした。
・・・私を、何とも判別のし難い視線で射抜いてから。
前々から思っていたが、あの男の、私に向ける敵意は何だ。
別段、あの男に嫌われようが、一向に構わないけれど。
しかし今の眼は、何と言うか、嫌悪だけではない、何やら言い表せぬ感情であったようだが。
右目を視線で送ると、次に再び主へとそれを戻す。
男は無言のまま、私の視線を意に介す様子も無く。
ただ私の装束を強引に剥ぎ取ると、血浸しになった包帯を見て、豪く顔を顰めた。
「この馬鹿が・・・」
「?」
罵られる覚えは無いが。
主は何が気に食わぬと言うのか。
首を傾げると、主は忌々しそうに舌を打つ。
・・・訳がわからない。
「・・・じっとしてろ。動くな」
「・・・・・・・・・」
男の突然の命令に、特に疑問も抱かず従う。
じっと座って待てば、男は私の包帯を、それは丁寧に身体から外し始めた。
血液を存分に吸った布きれは、薄いそれとは思えぬ程に重さを含み、男の手を水気に濡らす。
それはじきに脱ぎ捨てられた私の装束すらも汚し、結局、ベチョリと耳に不快な音を立て、籠の中へと放られた。
「・・・痛むか」
「・・・・・・・・」
男の問いに、素直に頷く。
此処で虚偽を伝えれば、男の機嫌が取り返しのつかぬ程低下する事は眼に見えている。
案の定男は少々眉を寄せたものの、特に何も言う事無く、私の傷を見遣った。
それなりに大きな傷である。
胸部に裂かれた傷。中央に見える銃弾を受けた穴。
それらからは血液が溢れ、私の頭が朦朧としていた訳であると、今更ながらに納得が行った。
「触れるぞ」
そう私に断りを入れてから、男が清廉な布で傷を拭う。
その様子は、まるで普段の、竜の姿からは想像の及ばぬ優しさを乗せていた。
傷口を布が沿う度チリリとした痛みが灯るも、取り立てて気にする様な物でもない。
男のその柔らかい仕草に、何処かこそばゆさすら感じた。
男が時間を掛けて傷を丁寧に清め、真新しい包帯を巻いていく。
一城主が。独眼竜が。
1人の忍びへ手厚く介抱を施すなぞ。
全くこの男には、中々に常識が無い。
忍びにこの様な厚意、必要ではないのに。
もしやらせるのならば、そこ等の女中でも良いとも思うのだが。
だが今更男にそれを申し立てても意味が無い。
伝えた所で、男は機嫌を損ねるだろう。
ならば私は甘んじてその男の介抱を受ける事にしよう。
「・・・・・・で?」
「・・・・?」
傷が塞がるまで、決して断り無く部屋を出てはならぬ。
刀に触れてはならぬ。
例え戦があろうとも、此処から出る事は許さぬと。
忍びとしての役を奪う気ではないかと危惧してしまう程の命を受けた後。
男は、主旨を不明とした問いを、私に投げた。
当然要領を得ぬ私は、布団に突っ込まれたまま顔を出し、それを視線で聞く。
「何故護った。・・・義からか」
男にそう問われ、首を振る事で否定を示す。
忠義ではない。男に忠義を誓った覚えは無い。
私の答えを見て、男は満悦そうに口角を吊り上げる。
「なら、何故護った」
そう問われ、今度は反応に困り果てる。
それが分からぬのだ。
私が男を、命を顧みず護った理由。
ただ、意識を失う直前、脳裏に過ぎった1つの確信。
『お前だからだ』
唇の動きと視線で、ただ1つ明確な理由を男に告げる。
私の答えを受け取った男は、やはり笑みを浮かべ、それでもよりそれを深くしながら。
「それで良い」
答えはそれで十分だと、男は言った。
忠義による物でないのなら、それで良いと、男は言った。
END.
戦闘以外では意外とぼうっとしてる小太郎。
普段から頭使ってないからイレギュラーに弱い。
伊達さんにとっちゃ、惚れた女が自分を庇って死に掛けたんだから
そりゃあいても立ってもいられない。付きっ切りで看病したいくらいかと。
ちなみに題名は『義にあらず』と振って下さい。
小太郎も伊達さんに惚れてる。そんで、頭のどっかでそれを理解してる。
無意識無自覚の理解。伊達さんはそれすらも見抜いてる。