「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
エリオルの家のリビング。
そこに置かれている柔らかいソファの上。
ピシリと正座をして向かい合っているのは、エリオルと桜。
だが、2人の様子はいつもとどうも違っていた。
まずエリオル。
いつもの優しく穏やかな微笑みはどこへやら。
すっと眼を細め、厳しい面持ちで桜を見つめ、まるで責める様な視線で彼女を射抜いている。
何があろうと怒ったりする事など無く、まして桜には殊更優しい彼の、その珍しい態度。
整った顔立ちの彼が笑みを消すと、それはそれは冷たく恐ろしく。
まして普段とても優しい表情を浮かべているから、尚の事その険のある顔が怖かった。
そして、向かい合ってい座る桜。
彼女は逆に、そんなエリオルにじっと見つめられ、大層萎縮している様子だった。
冷や汗をいっぱいに掻き、顔を蒼くして俯いている。
大きな翡翠の瞳はせわしなく辺りをキョロキョロと見回し、助けを探しているようにも見えた。
口はぎゅぅと噤まれ、恐怖と緊張の為か、かすかに震えているようで。
膝の上に置かれた両手で服を握り締め、無言のままエリオルの冷たい視線を一身に受けている。
まるで、子を叱る親の様な図である。
そんな2人を、テーブルを挟んだ向かいのソファで表情も無く見つめているのは、小狼。
いや、無表情と言うより、何処と無く呆れを滲ませているが。
手に読み掛けの本を持ち、悠然と足を組んで無言を貫く2人を退屈そうに眺めていた。
カチカチと、壁に掛けられた大きな時計の秒針が、いやにゆっくり響く。
それだけ、この空間の時間の流れは、ねっとりと重く感じられるのだ。
全身に纏わりつくような重圧感のある緊張に、桜は今にも泣き出してしまいそうだ。
だがまさか自分からこの恐怖の沈黙を破れる訳もなく、ただただ目の前のエリオルに怯え続けている。
たかだか1分かそこらの沈黙。
それがまるで何時間にも感じられた頃、ようやくエリオルの方から口を開いた。
「・・・さっきの話は、本当ですか?さくらさん」
その視線にも負けず劣らず冷たい声色で問われ、桜はついにふえぇと半ベソを掻いてしまった。
事の発端は、少し前。
まだこの空間が、ただの午後のティータイムを楽しむ、暖かい空気に満ちていた時。
エリオルが少々席を外し、桜が小狼と2人きりになった時に、それは起きた。
普段から、小狼と桜が軽い言い合いをしながらじゃれるのは珍しくない。
小狼は言葉も少なく、また棘のある物言いで桜をからかい。
桜はそんな小狼の言葉に頬を膨らませながら反抗するのが常だ。
今日も今日とて、普段と変わらぬ他愛ないやりとりをしていた訳である。
・・・が、一体どうしてそう言う話になったのか。
小狼が一言、桜に向かってこう言った。
『お前はホント、子供だな』
勿論小学生なのであるから、子供である。それは当然なのだが。
小狼の言葉の意味には、歳よりも下にしか見えない。と、小馬鹿にしている色がありあり浮かんでおり。
桜もその様子にカチンときたのか、ぷぅと頬を膨らませながら小狼に強気でこう返した。
『子供じゃないもん!私、恋人だっているんだから!』
その言葉に、小狼ははぁ?と、怪訝な表情を浮かべた。
そこまでなら、まだ良い。
恋人くらい、いたとしても別に悪い事ではない。
桜達のクラスメイトには、教師と付き合っている女子生徒もいるくらいだ。
だから、この程度の事なら小狼も別に大した驚きは見せないし。
間違ってもエリオルが怒るような事柄ではないのだが・・・。
その後に交わされたやり取りが、致命的だった。
桜の言葉を聞いた小狼が、恋人がいるからどうした。と、呆れた様に返した後だ。
桜がむぅと不貞腐れ、良く通る大きな声で小狼にこう言った。
『だから!恋人いるから、子供じゃないもん!』
『佐々木だって三原だっているだろ。アイツらの方が断然大人だ』
『うぅぅ・・・私、恋人とエッチな事だってしたもん!だから子供じゃないの!』
やけくそで叫ばれた桜の言葉に、流石の小狼も固まる。
そして、マジマジと桜の膨れた顔を見つめてから、はぁと溜め息を吐いた。
『な、何よぅ・・・』
『・・・後ろ』
『ほえ?』
何か文句があるのか。まだ子供だと言うのか。
と、桜が小狼をじとっとねめつけた所、小狼が短く簡潔に、一言だけ寄越した。
その言葉を聞き、桜がクルリと素直に振り向くと。
『ほええ!?エ、エリオル君っ!!』
いつの間にか用事を済ませて戻って来ていたエリオルが、引き攣った笑顔で立っていた。
そんな経緯があり。
わたわたと慌てる桜に、ちょっと来なさい。と手招きし、向かいのソファに座った結果。
それが、今のこの状況である。
全く。と、小狼が呆れ顔で2人のやり取りを見守る中、半泣きの桜にエリオルが再度問う。
「さくらさん、さっき言った事、本当ですか?」
「ふえぇ・・・」
「泣いてもダメです。正直に仰いなさい」
「・・・うぅ・・・」
桜が大きな瞳を潤ませても、エリオルはピシャリと言い放つ。
いつもだったら何があっても優しく許してくれる彼だが、今回ばかりは鬼の様に恐ろしい。
優しい大人の静かな怒りと言うのは、小学生の桜にとって何より怖い物なのだ。
嘘をついた所で、エリオルには見透かされるだろうし、何より桜は嘘が下手だ。
普段嘘をつく事もないし、素直な性格が災いして嘘どころか誤魔化す事すらも苦手だったりする。
まして相手はエリオル。素直に答える以外に自分が許して貰える道はない。
と、桜が覚悟を決めて小さく頷いた。
「・・・ほ、ほんと・・・」
「・・・さくらさん、きちんと意味を理解して、さっきの言葉を言ったんですか?」
「え、理解って・・・」
「李君との言い合いで、頭にきて、はったりを言った。とかではないんですか?」
恋人とエッチな事。と言っていたが、きちんとそれがどう言う行為であるか。
どう言う意味であるかを正確に認識した上で言ったのかと。
小狼に対してカッとなってつい口から出任せを言ったのではないかと。
エリオルがある種の期待を込めて問いかけてみたが、桜はフルリと首を横に振った。
・・・本当に素直な人だ。と、エリオルはついつい感心してしまう。
ここではったりで言ったのだと嘘でも肯定しておけば良い物を。
まぁ、素直は彼女の美徳であるし、自分としても彼女はそのままでいて欲しいと思う。
・・・だからこそ。だからこそである。
そんな幼く純粋な彼女の口から出た衝撃の言葉を見逃せないのは。
「・・・では、本当に、貴女の恋人とやらに身体を許した、と?」
「・・・・・・」
「さくらさん」
「・・・ふえぇ、ごめんなさぁい!」
「ごめんなさい、じゃ、済みません!」
ついに緊張に耐えかねてピィピィと泣き出してしまった桜に、エリオルは額を押さえた。
何て事だ。と。
どうかはったりで、嘘であって欲しかった、と。
可愛く純粋で、幼い彼女。
自分の大切な後継者であり、大事な仲間であり、実質、愛しい娘の様な存在である彼女。
それはもう、眼に入れても痛くない愛らしい。と言ったくらいである。
そんな大切な少女が、まだこんな幼い内から、何処の馬の骨とも知らぬ男に身体を許したと。
その事実だけで、エリオルの目の前は若干暗くなった。
正直、眩暈がする。
だが今は倒れてる場合じゃないと、眉間に深い皺を刻みながら桜を厳しい口調で叱り付ける。
「何を考えているんです!貴女はまだ、小学生なのですよ!」
「だ、だって、だってぇ」
「だってじゃありません!恋人がいると言うのは、良いとしましょう。
ですがそう言った行為には早過ぎます。嫁入り前の大切な身体だと言うのに・・・!」
「古臭いぞ、お前」
「李君!茶化さないで下さい!」
エリオルの発言に、思わず小狼が突っ込む。まるで母親だな、とばかりに。
しかし即座にエリオルにピシャリと返され、小狼は溜め息を吐きながら軽く肩を竦めて見せた。
「さくらさん、良く考えて行動なさい。小学生の内から、そんな事を・・・!」
「うぅぅ・・・し、小狼君だって、小学生だもんっ・・・」
「・・・そ、それはそうですが、貴女は女の子なんですよ!?」
自分も小狼とはそう言う関係であり、まして彼女よりも大分前に行為に及んでいる。
その為、そこを突かれると言葉に詰まってしまうのだが、今はそうじゃない。
自分達の事ではなく桜の事だと、エリオルが咳払いを挟んで話を戻した。
「良いですか、貴女は未来、大切な方の元へ嫁ぐんです。
嫁入り前に身体に傷をつけるだなんて、本来あってはならない事なんですよ」
「こ、恋人なら、するもん・・・その人と結婚だってするもんっ・・・」
「例えそうだとしても!先にも言いましたが、貴女はまだ小学生です。
いくら色々な出来事を経験していても、まだ幼いと言う事実には変わりないのです」
エリオルの言葉に、桜はしゅんと小さくなり、口をへの字に曲げながら黙って頷く。
それを見て、エリオルは多少声色を緩めながら、諭すように話を続けた。
「幼い身体は、男を受け入れる準備がまだきちんと出来ていません。
とても負担が掛かります。身体に何か問題が起きても、もう取り返しがつかないんですよ。
私は、さくらさんが辛い思いをするのはとても嫌です。貴女の事がとても大切だから」
「・・・うん・・・」
「それに、まだ学生・・・それも小学生の内から誰かとそう言った行為をする事。
それが世間一般の常識で、認められていないし、倫理的に否定されています。
・・・それはどうしてか、意味を説明しなくても、わかりますよね?」
「・・・ごめんなさいぃ・・・」
どこか悲しそうに、ゆっくり静かに言うエリオルに、桜が涙を拭いながら零す。
桜のその様子を見て、コレ以上叱っては可哀想だと思ったのか、エリオルが1つ溜め息を吐いた。
そしてハンカチで桜の涙を拭ってやってから、やれやれと眼を閉じる。
「・・・まったく・・・本当に取り返しがつかないんですよ」
「うぅ・・・でも・・・」
「でも、じゃないですよ。・・・それで?」
「?」
「相手は、一体誰です?」
エリオルの当然の問いに、桜が数瞬硬直する。
そして、さっと顔を更に蒼くすると、ブンブンと首を横に振った。
「言えない!」
「・・・何故です?」
「だだ、だって、だって、言ったら、エリオル君絶対怒るもん!!」
桜が拒否するも、エリオルがそれで納得する訳もない。
相手に一言言わねば気も済まないし、誰なのか知っておかなくては後々困るかも知れない。
「・・・もう怒ってますから、今更です」
「ち、違うの!私には、その、怒っても当然だけど・・・相手の人には怒らないで!」
「怒るに決まっているでしょう!」
寧ろ相手に説教したい。と、エリオルが桜を睨む。
だがこの様子では桜も簡単には口を割らないであろう。彼女も中々に頑固者だ。
そう思い、まず一番知りたい所から聞いていく事にした。
「・・・では、相手は同級生ですか?それとも、年上?」
「・・・・・・と、年上・・・」
「・・・年上、ですか・・・それは、本当にいけませんね」
「えぇ!?ど、どうして!?」
エリオルの不穏な言葉に、桜が驚いた様に聞き返す。
どうしてなど、逆に何故そんな事が聞けるのかエリオルには疑問だったが、
ここは素直に桜の問いに答えてやる事にした。
「同級生であれば、幼いが故にその行為の重要性や重大さをきちんと理解出来ぬまま、
興味本位の延長で行き過ぎてしまった・・・とも、まぁ、多少寛大に考えられるのですが・・・」
「う・・・」
そう、小学生も高学年になれば、性的な知識は多少なりともある。
ただし、漠然とだ。実際経験するにはまだ先の事なのだから。
しかし興味は多大に出て来る年頃だろうし、恋人がいるなら尚更だ。
そして、試し。興味本位。が行き過ぎて、結果・・・と言うなら、ある程度
仕方ない。と言う気分も、少しは、ほんの少しは出て来るのだが。
相手が年上だと言うのなら、もう話は別だ。弁解の余地がないだろう。
遊びの延長、幼さ故の過ち。では済まないのだ。
「年上ならば、幼い貴女にそんな行為をしてはならない筈です。
小学生に手を出すなど、一体何を考えているのか・・・」
「ち、違うのエリオル君!私が、私がしたいって言ったの!私がお願いしたの!」
「そうだとしても!貴女が行為を求めたとしても、年上であるならば断るのが普通です。
ちゃんと理由を教えて、せめて貴女が成長するのを待つのが常識でしょう」
「・・・うぅ〜・・・」
「相手が年上の男であると言うのなら、それなりに説教はしないとなりません」
「・・・言えないよぅ・・・」
「・・・ふぅ」
ぎゅっと唇を噛み、断固として相手を教えようとしない桜に、エリオルはまた溜め息を吐いた。
そして、既にコチラに興味を失って本を読んでいる小狼に、助けを求める。
「李君、貴方も何か言って下さい」
「・・・まぁ、股開いちまった物は、しょうがないだろ」
「そう言う事を言って欲しいんじゃありません!!」
「・・・お前本当に母親だな」
興味が無いにも程がある!と言った小狼の言葉に、エリオルはガクリと肩を落とした。
そりゃあ母親の様な説教の仕方にもなるさ。と、父親の如く堂々と構える小狼を恨みがましく思う。
まぁ、彼はどちらの味方もする気がない様子だし、今更まともな回答を望むのは無駄と言う物。
大体彼は5年生の時に自分に手を出す様な人だと、エリオルは少し遠い目をした。
ならば仕方ない・・・と、小狼にもう一度視線を送ってから、すっと立ち上がる。
エリオルが突然立ち上がった為、桜はビクリと怯えたように顔を上げたのだが、
意外にもエリオルの表情には怒りの色は見て取れなかった。
不安そうにじっと見上げて来る桜に、しょうがないですね。と微笑み、優しく頭を撫でる。
「紅茶、冷めてしまいましたね。淹れ直してきましょう。
暖かいお茶を飲んで、ケーキを食べて、少し落ち着きましょうか、ね?」
「・・・うん!」
ようやくいつもの、優しいエリオルに戻り、桜が心底安心したように脱力し、笑顔で頷いた。
それを見てからエリオルが冷めたポットとカップの乗ったお盆を持ってキッチンへ向かう。
彼の細い背がリビングから完全に見えなくなった辺りで、小狼がやおら口を開いた。
「・・・おい、さくら」
「ほえ?」
涙も乾き、赤くなった眼と鼻のまま、桜が小狼の呼び掛けに素直に答える。
そんな彼女に、小狼は少し間を置いてから、直球に聞いてきた。
「で、結局相手は誰なんだ?」
「えぇ!小狼君もそれ聞くのぉ!?」
「・・・別に、俺はただの興味本位だ。相手が誰でも、別に怒ったりなんてしないしな」
「・・・う、そ、そうかも知れないけど・・・」
桜がチラリとリビングの扉を気にする。
また背後にエリオルがいた。なんて事になったら、もう2度と許して貰えなさそうである。
桜の不安を感じたのか、小狼が小さく手招きをし、自分の隣に呼ぶ。
「大丈夫だ、柊沢はキッチンにいる。それでも不安なら、耳打ちで言え」
「で、でも・・・」
「・・・ただ興味があるだけだって。柊沢には言わない」
「ほ、ほんと?ホントに言わない?絶対言わない?」
「ああ、言わない言わない」
「・・・じゃあ、小狼君にだけ、コッソリ教えるからね・・・」
小狼の軽い返答を信じ、隣に座った桜が照れ臭そうにコッソリ、小さな声で相手の名を教えた。
後日、桜は
『お父さんの”お母さんには言わないから”は絶対信じてはいけない』。
と言う事を、身をもって知る事になったのだった。
END.
桜ちゃんがロストバージンしたと知ってショックなエリオル君。
あ、貴女まだ小学生なんですよ!なのに何て事を!相手は何処の馬の骨ですか!
マジお母さんです本当にありがとう御座いました。まさかの自宅で保健体育の指導。
小狼君は心底どうでも良い派なので、どっちの味方でもない。あえて言うなら恋人を選ぶ。
桜ちゃんのお相手は勿論奴です。関西弁の金髪ナイスガイ。エリオル君にも責任あります。
それはそうと、初潮の時はお赤飯ですが、初体験の場合は何だろう。(赤飯にしてしまったけど)