青い空は、随分近い所にある。
柔らかそうな雲には、まるで腕だって容易く届きそうなのに。
それは絶対出来ないと、自分はもう良く知っている。
本当に幼い頃なら無邪気に伸ばしたであろう手は、自然と隣へ伸びる。
雲みたいに白くって。
雲みたいに柔らかくって。
それでも絶対に触れる事の出来る、コイツの手に。
「・・・良い天気ですねぇ」
「そうだな」
スベスベした手を握ると、すぐにその細い指が絡んでくる。
ずっと前は。
小学校の、出逢ったばかりの頃は、大して大きさも変わらなかったのに。
それが徐々に差が出て、今はどうだ。俺の手がコイツの手を包み込んでしまうくらい。
歪な成長を急激に遂げたコイツの身体は、骨格が女寄りなのか、どうにも華奢で。
細いし、腰に括れはあるし、全体的に丸みを帯びたイメージがする。
・・・多分、元からこう言う体格なのだろう。
胸が無い女だと勘違いされ、声を出しても信じて貰えず、男だと主張しても疑われ。
最終的にサッパリ諦めて状況を楽しみ出すコイツは、手の小ささと反比例して色々図太い。
でも、掌におさまる白い手は暖かく。
ずっと握っていたいと思うくらいに心地が良い。
だからつい、この温もりが離れない様、力を込めて握ってしまう。
この暖かさが、2度と届かない場所へ行ってしまう恐怖を、良く知っているから。
それを良く知るコイツは少し哀しそうに笑うと、同じ様に力を少し込めて握り返してくる。
”何処にも行きませんから”
俺にそう言う時と、同じ笑い方で。
再会を果たしたその年のクリスマス。
俺はコイツに指輪をやった。
再会を果たして初めてのホワイトデー。
俺はコイツにペンダントをやった。
コイツがもう2度と、俺の目の前から消えない様に。
手の届かない場所に行かない様に。
喪失の恐怖に駆られ、どうにかして自分の元に繋ぎ止めたくて。
誓約の代わりに指輪を嵌めて。
首輪とリードの代わりにペンダントで繋いで。
それでもコイツは、そんな贈り物を笑って受け取ってくれた。
”ずっと傍にいますから”
俺の好きな優しい笑顔で、そう言ってくれた。
そして今日は、コイツと再会を果たしてから初めて迎える、コイツの誕生日。
夜は、柊沢の家で、大人数のパーティー。
2人きりになれるのは、今かパーティーの後。
ゆっくり話すならパーティーの後の方が良いんだろうけど・・・
どうしても、この抜けるような青空の下で、コイツと話したかった。
澄んだ青空と、咲き綻んだ桜の下で。
「・・・お前が突然俺の前からいなくなったのも、こんな陽気の日だったな」
俺の言葉に、柊沢は”そうでしたね”と少し困った様に微笑む。
その後に小さく”ごめんね”と唇が動いたのが、傍にいる俺には良く見えた。
今から4年前の、小学校の卒業式を目前に控えたあの日。
俺と、俺の気持ちだけ残して、大人らしいズルさで俺の前からコイツが消えた日。
あの時も、こんな春の気配が濃い、麗らかな日だった。
こんな風な空の青さは、随分憎たらしく思えて。
舞い散る桜の花弁は、言えないまま散った俺の恋情の様に見えて。
だからあの日から、ずっと、春が嫌いになっていた。
コイツと再会する、去年まで。
「・・・だから、今日、空が青い時間に・・・お前と話したかったんだ」
そう。
だからこそ。
柊沢が俺の前から消えた、あの日の様な日だからこそ。
この景色に焼き付いた別れの場景を、コイツとの想い出に塗り替えたくて。
コイツが好きな桜の木の下に辿り着き、ふと足を止める。
俺の手を握って歩いていた柊沢も、数歩遅れて、隣に止まる。
その表情は、何処か不安そうで。
俺から何を言われるのか、皆目見当もつかない様子だった。
俺より大分低い所にある顔が、大きな黒紫の眼が、真剣に俺を見つめて来る。
桜色の唇が、何か言いたげに開きかけ、それでも、俺の言葉が先と、すぐ閉じる。
けど、視線だけは何事かと急かして来て、それに押される様に、ようやく言葉を紡ぎ出した。
「・・・お前と再会して、もうすぐ1年経つよな。
・・・俺、この1年間で・・・本当にお前の事が好きなんだって、よくわかった」
「・・・李君・・・?」
穏やかに話し出した俺に、好奇心より不安が勝ったのか、眉尻を下げながら俺の名を呼ぶ。
そんな柊沢の頭を、コイツが良く俺にする様、優しく撫でてやる。
別に、何も俺から別れ話を切り出す訳じゃない。
そんな意趣返しをする程、俺も悪趣味じゃないだろうと笑えば、柊沢は痞えていた息を吐いた。
「お前の表情全部、声も、仕草も、体温や香りだって。
人をおちょくって楽しむ様な性質悪い所も・・・全部。本当に、全部、好きだ」
例えば、コイツのズルイ所だって、悔しくもあり、愛しくもある。
嫌な所なんか挙げればいくつでも。
コレは直せ!なんて言える様な所も、何個か。
でも。
そんなのを全部ひっくるめて、俺は本当に、コイツの事が好きなんだ。
柊沢の頬が桜色に染まる。
コイツは、自分が言葉遊びを好む性質な為か、直球な愛情表現に弱い。
「え・・・と・・・」
「・・・好きで。本当に、好きで。・・・ずっと、離れないでいて欲しいって、思うんだ」
「・・・・・・」
柊沢が少し俯く。
まだ気にしてるんだろう。自分がいなくなった時の事を。
俺だってまだその出来事は心に傷として残ってる。鮮明に、今でもたまに、夢に見るくらいに。
でも、そうじゃない。責めてるんじゃないんだ。
・・・ただ、純粋に、お前が好きで・・・傍にいて欲しいだけなんだ。
「・・・そんな顔、するなよ」
「・・・・・・でも」
「違うんだ。・・・ただ・・・コレからもずっと・・・傍にいて欲しいってだけだから」
「・・・傍にいますよ。・・・本当です」
繋いでいない方の手で、俺の服をついと掴む。
まるで迷子になった子供の様に不安げな仕草で、必死に。
信じてくれ。と、縋る様な眼で見てくる柊沢に、俺は一度眼を瞑る。
信じてない訳じゃない。
でも、絶対が欲しい。
その言葉を、疑う余地が無いくらいに。
不安なんて無くなるくらい。幸せで、不安を埋め尽くしてしまえるくらいに。
指輪をやった。ペンダントをやった。
繋ぎ止める為のそれらも、結局は、ただの”物”。
だからどうか、俺から渡す”物”だけじゃなくて。
コイツの意思で、コイツからの何かで、その絶対を確信したい。
・・・コイツの言葉を、信じたい。
コイツが傍にいてくれる未来を、信じたい。
眼を、開ける。
柊沢は、泣きそうな顔をしていた。
「・・・李君・・・」
「・・・なぁ、柊沢・・・」
「はい・・・」
「・・・それを踏まえて、俺からの誕生日プレゼントだ」
「・・・え?」
唐突な話題に、柊沢は潤んでいた瞳をシパシパと瞬かせる。
そして数瞬置いてから、努めていつもの調子で、俺に笑い掛けて来た。
「・・・前置きがシリアス過ぎますよ。ビックリしちゃいました」
「悪かったな」
「ふふっ、それにしても、今下さるんですか?てっきりパーティーの時だと・・・」
「今じゃなきゃ、ダメだ」
「?」
コイツとの終わりを連想させるこの景色を。
コイツとの始まりを連想させる景色にしたい。
「・・・俺からのプレゼントは」
「はい」
「・・・言葉だ」
「え?」
予想外だったらしい柊沢は、大きな眼を更に丸くして、キョトンと呟く。
その表情は明らかに要領を得ておらず、詳しく説明しなおしてくれと告げて来ていた。
けれど俺はそれに構わず、自分の言葉を続ける。
コイツへ言葉を告げる時は、一瞬でも躊躇いを覚えてはいけないと、あの時学んだ。
「そして、そのプレゼントの言葉は、お前にやると同時に、貸す物だ」
「・・・言葉を、貸す?」
「ああ」
益々わからない。と、柊沢は首を傾げる。
言葉遊びが好きなコイツも、どうやら理解不能らしく、眼で答えを求めてくる。
だが、”貸す”と言うワードからはヒントを得た様で、オズオズと俺へ聞いてきた。
「貸す・・・と言う事は、私は貴方がプレゼントして下さる”言葉”に対し、何か返答しなければならないと?」
「そう言う事だ」
「なる程・・・しかしそうなると、貸すと同時に、私に下さる。と言うのが、良く・・・」
「・・・それはきっと、俺のプレゼントを聞けば、わかる」
俺が言うと、それもそうかと、柊沢は聞く体勢に入る。
それを確認してから、もう一度、柊沢に告げた。
「今言った通り、俺からの誕生日プレゼントは、”言葉”だ。
コレはお前にやる物だけど、貸す物。つまり、お前から返して貰わなきゃいけない。
でもそれは、今すぐじゃなくて良い。
どれだけ長い時間が掛かっても良い。
俺からの言葉を返す時、その言葉がどんな物だって良い。
・・・どんな言葉でも、どんな形でも・・・
・・・・・・お前からの答えが、欲しいんだ」
柊沢が、1つ頷く。
それを見て、俺は握ったままだったコイツの左手を、クイと持ち上げる。
俺の掌におさまってしまう、華奢な白い手。
その細い薬指には、俺が贈った白銀のリングが嵌っている。
空の青を反射する指輪に、一度、静かな口付けを落とした。
・・・どうか、物じゃなく。コイツからの答えを。
「・・・俺からの、”プレゼント”だ」
柊沢の首に掛かったペンダントが揺れる。
懐かしく感じるようなこの空間。
青い空。
桜の花。
言葉を無くす、コイツの顔。
・・・どうかこの光景が、幸せな記憶になる様に。
「・・・結婚して下さい」
END.
プロポーズ編。
最初『チェックメイト2』と言うタイトルだった。安易過ぎる。
エリオル君を繋ぎ止める最後のチェーン。流石の彼もビックリです。
高校生李君の言葉は1つ1つが必殺級だと良い。
まだ高1だから、多分卒業してから。って意味だと思います。
何処で挙式するんだ。イギリスはパートナーシップがあるけど。
まぁいっそ、日本で同性結婚が認められた設定でも夢があって素敵。
エリオル君はきっと、李君の誕生日に言葉を返すかと。