「お帰り小瑠璃。随分と遅かったな」
居間の扉を開けた途端、当たり前の様に居座っている黒い人物の姿が目に入る。
それに、小瑠璃はコントの様な素晴らしいこけ方を披露した。
『黒い翼』
「なっ・・・んで貴方がここにいるんです!!」
「失礼な息子だな。家にいてはいけないのか?」
がぁっと怒鳴る小瑠璃に、黒い人物・・・彼の父・鴉は、小首を傾げて問う。
そんな相変わらずな父に、小瑠璃ははぁと溜息を吐いた。
「いけないとかじゃないですよ。ただ、どうしていつも急なんです!!」
「自分の家に帰って来るのに、何故予約がいる?」
「予約じゃなくて連絡ですよ!!何か一言あるでしょう!!大体、何年ぶりだと思ってるんですか!!」
「3ヶ月ぶりか?」
「5年ぶりです!!!」
全くかみ合わない言葉のキャッチボールに、小瑠璃は肩を震わせる。
同じ顔をしている2人だが、性格はまるで似ない。
優雅に本を読んでいる父に、更に何かを言おうとした、その時。
「あらぁ、お兄ちゃん。お帰りっ、遅かったのねぇ」
父と、変な所が良く似ている妹、つばきが顔を出した。
「つばき・・・」
「うふふっ、パパが帰って来たのよぉ?もっと嬉しそうな顔したら良いのにぃ」
「・・・嬉しくありませんからね」
「もう、素直じゃないわねぇ」
「全くだな・・・照れずとも良いだろう」
「照れてるんじゃありません!!」
本心です。と、何とも複雑な表情で付け加える。
鴉は別に何て事無い様に、そうかと一言だけ返し、つばきへと視線を変えた。
「おいで、つばき」
「はぁ〜い」
優しく呼ばれたつばきが、素直に近寄る。
そして、何の抵抗も無く、鴉の膝へと乗った。
その様子に、小瑠璃は早速額を押さえる。
「うふふふっ、ねぇパパ、今度はいつまでいられるの?」
「さぁな、近くに来たから寄っただけだ。明日にはもう行く」
「・・・そう、すぐ行っちゃうのね」
寂しそうな、悲しそうな、暗い表情を一瞬浮かべるつばき。
だが、すぐに花の様な笑顔を取り戻すと、父の背に腕を回し、嬉しそうに言った。
「パパには、翼があるものね。その翼を休めるのは、一夜で足りちゃうもの」
娘の言葉に、鴉は優しく、彼女の空色の髪を梳く。
サラリと抵抗無く零れる髪に、彼は満足そうだった。
「その通りだ、我が娘。やはりお前は、私に似ている」
「あらぁ、顔なら、お兄ちゃんの方が似てるわよぉ。ね、お兄ちゃん」
「・・・・・・顔だけ、ですけどね」
嫌そうな様子の小瑠璃に、つばきは首を傾げる。
ハッとし、すぐにバツの悪そうな表情を浮かべてから、小瑠璃は踵を返す。
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん、何処行くのよぉ」
「急用を思い出しました。今日は遅くなります」
「??そぉ?折角パパが帰って来たのにぃ〜」
だからですよ。と、心の中で返しながら、小瑠璃は先程閉めた扉を押し開ける。
部屋を出る瞬間、父の視線を背に感じた気がした。
「で、何で家に来る訳?」
「・・・・すみません」
一時避難。と言った様子で、小瑠璃は狗守鬼の所へと赴いた。
幻海の道場なのだが、今は狗守鬼と花龍しかいないらしい。
「ちょっと、避難です」
「ふぅん・・・」
「・・・まさか、帰って来てると思わなかったので」
「良いだろ、別に。父親なんだから」
「・・・良くは無いです。連絡くらいは、して貰いたいですね」
「あそ」
全く興味の無い調子の狗守鬼に、相変わらずだなと小瑠璃は肩を落とす。
彼は本当に、何かに執着をしない。
何のしがらみにも囚われない。
だからこそ、何かあった時に、こうして来てしまうのだが。
「・・・・・・・・・・・・」
そこへ、花龍が人数分の湯飲みを持って、静かに現れる。
ゆらりと湯気が立ち上る、湯呑み。
ふっと現れて、ふっと音も無く消える湯気は、まるで父と同じだと、小瑠璃は思った。
「ありがと」
「すみません、花龍さん・・・」
「何謝ってんの?」
「・・・・・・・ありがとう御座います」
狗守鬼の突っ込みに、小瑠璃は苦い顔で訂正する。
花龍は何の反応も示さずに、狗守鬼の隣へと腰掛けた。
3人揃って、夕暮れを迎えた縁側で、茶を啜る。
狗守鬼は何の抵抗も無く、飲む。
花龍は、ふぅふぅと息を吹き掛け、冷ましている。
小瑠璃は猫舌の為、まだ両手で持っているだけ。
「・・・・・で?お前の父親・・・えっと・・・何だっけ、鳩だっけ」
「鴉です」
「そうそう、それ」
相変わらず他者の名前を覚えない狗守鬼に、小瑠璃は呆れながら教えてやる。
それ。と言いつつも、どうせ次の日には忘れているであろう狗守鬼。
簡単に想像が出来て、小瑠璃は溜息を吐いた。
花龍はそんな2人を見つつ、無言で漸く茶を啜る。
「いつまでいんの」
「・・・さぁ、明日にはもう、いないんじゃないですか」
「じゃ、お前、夜には帰れよ」
「・・・・・・・・・」
狗守鬼が、視線すらやらずに、茶を含む。
小瑠璃は少し俯いて、いまだ熱い湯気を立ち上らせる茶を見た。
「・・・・・幻海さんは、いらっしゃらないんですか?」
「いない」
「どちらへ?」
「忘れた」
「・・・・そればかりですね、貴方」
父の名も、幻海の居所も綺麗に忘れている狗守鬼。
全く、そんな風に、何事にも頓着せず生きてみたい物だ。
と、小瑠璃は、空を見て思う。
薄オレンジの空は、今にも零れて来そうだった。
「お前の父親、帰って来るの何年ぶり?」
「5年ぶりです」
「ふぅん。良かったね、会えて」
「・・・・・・・・・・」
小瑠璃は答えない。
狗守鬼は、それにも興味が無いらしかった。
「1日しかいないんだろ?タイミング良かったな」
「・・・・・別に・・・・会いたかったとかじゃぁ・・・・・」
「違うの?」
「・・・・・・・・・・」
つっけんどんな口調に、小瑠璃は黙る。
何と言うか。
自分でも、良くわからないのだ。
会いたかったのか、会いたくなかったのか。
「・・・大体、父は、いつも勝手過ぎるんですよ」
「ふぅん」
「いつも、僕達を放って置くのに・・・・・・」
「置くのに?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・ま、別に良いけど」
狗守鬼は、答えを追求しなかった。
どうせ本音は返って来ないのだろうし、何より興味が無いから。
と言うよりも、小瑠璃自身が、自分の感情を理解していないからだ。
ロクな答えなんか、返って来やしないだろうと。
黙ったまま俯く小瑠璃に構わず、狗守鬼はまた、茶を啜る。
「・・・ねぇ狗守鬼」
「何」
「・・・貴方は、幽助さんが・・・お父さんが、好きですか?」
突然の質問に、狗守鬼は考える。
そして、やはり関心が無さそうに、機械的に答えた。
「お前と同じ」
予想していなかった回答に、小瑠璃は顔を上げる。
「どう言う事です?」
「そのままだよ」
「・・・貴方は、幽助さんの事を、好いていると思っていましたが」
「だからだよ」
小瑠璃の言葉に、狗守鬼は答えた。
「だってお前、父親の事、好きだろ?」
小瑠璃は、答えられなかった。
ピーヒョロロ。と、鳶が円を描いて、オレンジの空を掻き回す。
その間にも、狗守鬼の湯飲みは、空になっていた。
小瑠璃の湯呑みには、まだ並々茶が入っている。
それはすっかりと冷たくなり、揺ら揺らと気儘な湯気さえも、立ち上らなくなっていた。
結局狗守鬼に追い出されたのは、丑三つ時。
皆がしんと静まり返った、暗い中だった。
街のネオンが輝く。
それを廃ビルの屋上から見下ろしながら、小瑠璃は気配を感じ取った。
自分とは全く似ていない、妖気。
振り向く事も無く、小瑠璃は無機的に言う。
「・・・もう行くんですか」
「ああ」
「早いですね」
「そうか?」
何時の間にか背後に立っていた鴉は、何て事無い様に答える。
小瑠璃は、不可解な感情が心に漂うのを、感じた。
「母が寂しがるんじゃないですか」
「アイツは既に、理解している」
「つばきは?」
「アレもだ」
「・・・じゃあ、僕だけですね、理解出来ていないのは」
小瑠璃が自嘲的に笑う。
鴉は、紫暗の瞳で、息子の背中を見詰めた。
「お前は寂しいのか?」
「・・・・・いいえ、寂しくはありませんよ」
「そうか、ならば良い」
「・・・・・何がです?」
解せない父の言葉に、小瑠璃は問う。
だが、まだ、振り返らない。
「愛しい者に別れを惜しまれるのは、私とて辛いからな」
「・・・・辛い?」
「そうだ。また、旅立つのが、辛い」
「・・・・なら何故、貴方はここにいないんです?」
小瑠璃が、少々憤った様に、言葉を投げ掛けた。
少しの沈黙が満ちた後、涼やかな声が答える。
「それは、私が鳥だからだ」
その言葉に、小瑠璃は初めて振り返る。
そこにいた父は、黒髪を風に靡かせながら、自分をじっと見詰めていた。
余りに迷いが無い眼だった為、小瑠璃は、少し、戸惑う。
「私は、羽を持って生まれたから。
だからこうして、大空を羽ばたいて、自由と戯れる。
それは私の意味でもあり、生きると言う事その物なのだ」
「・・・・・翼?」
「お前には見えないか?私の背にある翼が」
小瑠璃は、じっと、父を見る。
彼の背後には、ただ、月が煌々と輝いているだけ。
「・・・・・見えませんよ」
「そうか」
「・・・翼なんて、僕にも、生えていないのだし。見える訳も無い」
「それは、お前がまだ孵化をしていないからだ」
鴉が初めて歩み寄る。
小瑠璃は反射的に、一歩下がった。
「・・・孵化?」
「そう。お前はまだ、しがらみの殻の中にいる」
「・・・・・・・・」
「だから、お前には、翼が無い」
「・・・・・・・・」
「つばきには、もう、翼があるぞ」
まだ未熟だが、と、鴉は言う。
孵化。孵化と。
妹ですら経験した、孵化とは。
疑問に思うが、聞けない。
何故だか知らないが、こればかりは、自らで答えを見つけなければならない。
そんな気が、した。
「小瑠璃。お前も、いつまでも殻の中にいる訳には行かん」
「・・・・・・・・」
「自ら殻を破れ。そうすれば、飛び方を教えてやろう」
「・・・・・結構ですよ」
「フフフッ・・・そうか」
小瑠璃の返答に、鴉は笑う。
それは、愉しそうに、笑う。
そして、わしゃっと、自分と同じ顔をした息子の頭を、乱暴に撫ぜる。
「っ」
「我が息子。愛しい息子。お前も父と同じ、鳥なのだよ」
「・・・・・・・・」
「いつか、己の眼で世界を見て、飛ぼうとする日が、来るだろう」
「・・・・・・・・」
そんな日が来るのだろうか。
自分なぞが、飛べる時が来るのだろうか。
目の前の、父の様に。
「小瑠璃」
「・・・・・はい」
「お前が自ら殻を割り、飛び立とうとするその日を」
「・・・・・・・・」
「そして、自由を知り、共に空の最果てまで行ける日を」
「・・・・・・・・」
「私は、楽しみに待っている」
父の手が、頭から離れる。
それと同時に、黒い姿が、空へと舞った。
慌てて追うと、もう鴉の姿は、下のネオンへと吸い込まれて行く所だった。
その姿が、黒い姿が、光の洪水へと消える、瞬間。
「・・・・・・・・・・・あ」
父の背に、黒い翼が、見えた気がした。
END.
いつか、ハッキリ見える時が来る・・・かな?
狗守鬼やつばき、そして父に影響されて。
自由を知る日が、きっと彼にも来る・・・かも。
鴉は、息子の成長を急かさず、見守る。
しっかり息子を見詰め、愛し、信じていると言った感じ。