月夜。

それは美しい満月。

こんな夜には、自由気儘に宙を舞う。

1人で、全部忘れて。

嫌な事も、全部忘れて。




でも最近、そんな自分の時間が、奪われる事が多い。









「ねぇねぇ義理兄さん、聞いてる?」
「え?・・・あ、すみません・・・ちょっとぼうっとしてました・・・」
「しっかりしてよ。もう一回話すよ?」
「え、ええ」


彼だ。

月色の眼を持ち、星色の髪と耳を持つ青年。

その狐耳は狗守鬼を彷彿とさせるけれど、この青年は銀。

見事なまでに繊細で、煌めくそれは、随分神懸った物で。

けれど何処か見覚えのある、その銀糸の耳と髪。そして金の眼。

そう、それは、あの銀糸の妖狐を思わせる、神聖な色彩。


そして、誰かを思わせる、漆黒の前髪。


「・・・・聞いてた?」
「え?・・・・あ、すみません・・・・」
「・・・どうしたの?俺の話、つまらない?」


僕よりも年は上に見えるけれど、雰囲気は少し幼い。

容姿の整った彼が、少し悲しそうに耳を下げるのを見て、慌てて言葉を紡いだ。


「い、いえ、そんなんじゃ・・・ただ、ちょっと考え事を・・・」
「考え事?何の?」
「えっと・・・・貴方の事ですよ」


彼の素性はわからない。

蔵馬さんに似ている。誰かさんにも、少し似ている。

でも、性格はと言えばつばきに似ていて。

人懐こくて、無邪気に笑って、誰とでも打ち解けられる素直な人。


親は誰?

貴方は誰?

どうしてここに?

どうして僕を兄と?


今まで色々質問を投げ掛けて来たけれど、返って来る答えは決まって



『秘密』



だけ。

そう言われると気になる物だけれど。

彼が言いたくないのなら、仕方ない。


そう言えば、狗守鬼は少し勘付いている節があった。


でも聞いた所、『お前が自殺しかねないから、言わない』と返された。

その彼の言葉からも、彼の素性は知らぬが仏であるのだと、察する事が出来る。


「え、俺の事?」
「?・・・え、ええ・・・」
「嬉しいなぁ〜!」
「うわ!?」


突然背中にタックルをされる。

痛みは無いけれど、容赦が無いので、それなりに危険だ。

何せここは月に近い空の上。

僕と彼が乗っているのは、何とも頼り無い一本の鋤。

しかも本来は1人で乗る物だから、随分バランスが危うい。


「あ、危ないですよ!」
「大丈夫だよ、落ちたら俺が下敷きになってあげるから」
「そ、そう言う問題ではなくてですね・・・!」


恐らく本気なのだろう。

明るい笑顔を浮かべる彼は、きっと。



それにしても彼は、良くこうしてじゃれ付いてくる。

自分より背の高い、それも男に、こんな風に接されるとは思わなかった。

別に嫌な訳ではないけれど、不思議な感覚は拭えない。

義理兄さん義理兄さん。と、僕を呼ぶ彼。

もしかしたら寂しいのかな。とか、誰かに構って欲しいのかな。とか、思ったりもする。


「・・・・・・・・・」
「?何?」
「あ、いえ・・・」


背中に張り付かれて良く見えないが、その見事な銀糸の耳と髪は辛うじて見えた。

月明かりに照らされたそれは、本当に、随分と神妙な美しさで。

その綺麗な髪が、少し羨ましくもある。






「・・・・・?」






張り付かれたまま空を舞う事、暫し。


少し、違和感に気付いた。


「・・・もし?」
「んー?何?」
「貴方、怪我をしていますね?」
「え?」


彼が漸く顔を背から離す。

普段鋭い眼つきのそれが、少し驚いた様に見開かれていた。


「血の臭いがしますよ」
「よくわかったね。これでも洗って来たのに」


コロコロと無邪気に笑う彼に、知らず溜息が出る。

確かに微量の血臭ではあるけれど、これだけ体が近づけば否応でもわかる。

それなのに、何故か素直に感心している彼に、また1つ、溜息が漏れた。


「全く・・・」
「ん?どうしたの?」
「何でもありませんよ。・・・それより貴方、霊気は大丈夫ですか?」
「え?何が?」
「霊気を浴びても大丈夫ですか?」


僕の言わんとする所がわからなかったのか、些か要領を得ない顔で頷く。

それを見てから、地上へ降下する為、鋤の先をしっかりと握る。


「治療して差し上げますよ」
「義理兄さんが?」
「ええ。霊療になりますが、霊気に耐性はあるのでしょう?」
「う、うん」
「・・・では、今から下りますよ、掴まって下さい」


そう言うと、彼の腕が僕の腰に回る。

しっかりと筋肉のついたその腕は、僕の体なんて簡単に圧し折れそう。

彼の腕に力が篭った所で、鋤の先をぐっと下げ、丁度下にあった小高い丘へと急降下した。







「ホラ、見せて下さい」


向かい合って座り、促す。

彼は少しキョトンとした顔で、衣服を捲り上げた。

覗いた傷口は既に治癒し始めているが、まだドス黒い穴が空いている。

少し痛々しいが、これならばすぐに塞ぐ事が出来る。


「・・・ねぇ、義理兄さん」
「何です?」
「・・・あ、いいや、まず治療して貰える?」
「?ええ」


何かを言おうとしたらしい彼だったが、口を噤んでしまった。

それを少々気に掛けつつ、傷口に手を翳す。


瞬間、思わず手が止まった。


「?義理兄さん?」
「・・・・・・・・いえ、何でも」





傷口に残る、紫の妖気と、火薬の臭い。





この傷を負わせたのが誰かわかり、思わず憤りが背を駆け抜けた。

何処で何をしているか知らないが、相変わらず他者を傷付ける生活をしているのだろうか。

彼は良い青年であると思う。

他の人物と交流している所を見た訳ではないが、恨みを買うような性格はしていない。

なのにあの人は、誰某構わず傷をつけるのだろうか。


傷口に霊気を送り込みながらも、思考があの人に塗り潰されていく。

自分と良く似た顔を持つ、あの人に。


「・・・・痛みはありますか?」
「ん?無いよ」
「そうですか」


傷口を塞ぎ終わり、問う。

彼はその部位を擦りながら、そう返して来た。


「ありがとう」
「え?いえ・・・」


不意に、屈託の無い笑顔で礼を述べられ、少し慌てる。

特にそんな事は期待していなかったから。

けれど、いらぬ世話にならなかったのは、良かった。





「・・・で、先程何かを言いかけていましたが・・・」
「ん?ああ、それ?」
「ええ、少し気になる物で」
「別に大した事じゃないんだけどねー・・・」


答えを待っていると、彼はそこで一旦言葉を区切った。

思わず首を傾げる。

彼は、僕をじっと見詰めていた。




「わ!?」




暫く見詰め合っていたが、再び彼がタックルをして来て、その沈黙は破られた。

今回も勢いが良く、成す術も無いまま、地面に突き倒される。

慌てて起き上がろうとしたが、それより早く彼が圧し掛かって来て、それは出来なかった。


「?」


馬乗りになられたまま、彼を見上げる。

満月が丁度彼の頭に隠れ、柔らかい逆光が降り注ぐ。

蒼い月光に縁取られた彼の銀髪が、眼に痛い。


「何ですか?」
「ねぇ、どうして治療してくれたの?」
「え?」


口元に笑みを浮かべながら、彼が問う。

押し倒されたこの状態だと少し話し難いのだけれど、動けない。

彼の両腕がしっかり頭を挟んで突っ立ててある。


「ね、どうして?」
「どうしてって・・・怪我をしているからですよ」
「それだけ?」
「そ、それだけですけど・・・」
「ふぅん・・・俺が好きだからとかじゃなくて?」
「は?」


思わず間の抜けた声が出た。

彼の言わんとする所がわからない。

彼は、どう言った意味で聞いて来たのだろう。

どう言う回答が欲しいのだろう。


「え、いや、別にそうじゃ・・・」
「俺のコト、嫌い?」
「え!?い、いえ、嫌いと言うか・・・」
「・・・言うか?」


また、悲しそうな顔をする。

そんな顔をされては、まるで僕が加害者である様な錯覚に陥る。

慌てる必要は無いのに、随分と早口で理由を捲し立てた。


「ぼ、僕は貴方の事、ほとんど知りませんし・・・好きも嫌いも、どうとも・・・」
「ふぅん・・・じゃあ、俺のコト知れば、好きになる?」
「え、えぇと・・・・た、多分・・・・」


一杯一杯で返すと、彼は嬉しそうに笑う。

でも、眼だけは少し開いていて、何故か少しぞっとした。




「じゃあさ、今から知ろうよ。お互いのコト」




彼の顔が、少し近づいた。




今から知る?

お互いの事を?

この状況で?




・・・これは、もしかしたら・・・













「プロレスごっこですか?僕、弱いですよ?」













彼が固まった。

僕はキョトンと彼を見上げる。


「・・・あっはははははは!!!!!」
「?」


突然、体を起こして爆笑し始めた彼を見て、僕は少し首を傾げた。

違ったのだろうか。

いや、てっきりマウントを取られたから、格闘系の遊びかと・・・

・・・違ったのなら、かなり恥ずかしい。


「まさか、この状況でそう来るとは思わなかったなぁ・・・!」
「え・・・は、はぁ・・・」
「天然?それとも、逃げる為の計算かな?」
「?・・・えぇと・・・言っている意味がよく・・・」
「・・・・そっか、天然だね」


目尻に涙を溜めながら、まだ肩で笑う彼。

そんなに笑わなくても。と思うのだが、どうやら彼のツボに入ったらしい。

・・・だって、彼は僕を兄と呼ぶし、遊んで欲しいのかと思っていたから・・・


「ま、良いや」
「え?」
「今日は、良いや」
「そ、そうですか・・・?」


結局、彼は何をしたかったのだろう。

漸く自由になった体を起こしながら、考える。

まぁ、此処でプロレスごっこをしたいと言われても、やる前から結果は見えているし・・・


「・・・また、今度ね」
「え」


・・・今度?

と言う事は、結局やるのだろうか。

そう言う力技は狗守鬼辺りに任せたい。

あの人の性格だから、面倒の一言で切り捨てられそうだけれど。


「さぁてと、俺はそろそろ帰ろうかな」
「あ、そうですか・・・?」
「うん。今日はありがとう義理兄さん」
「い、いえ・・・怪我をしたら、いつでも来て下さいね」


2人で立ち上がる。

彼は、相変わらず人懐こい笑みを浮かべていた。


「じゃあ、わざと怪我して来ようかな」
「わざとなら治療しませんよ」
「冗談冗談」


彼は踵を返す。

僕は鋤を取り出して、それに腰掛けた。


「ねぇ義理兄さん」
「何です?」


地を離れようとした所で、彼が振り向く。


「こんな風に月が綺麗な夜に」
「?」
「また、一緒にお月見しようね」
「・・・ええ、そうですね」


そう返すと、彼はまた笑いながら、今度こそ振り返る事無く、闇へと消えて行った。





肩に触れる。

先程彼に突き倒された時に触れた、肩。



何故かその部分から



紫色の妖気が香った。
























END.


サーフさんに描いて頂いた小瑠璃&麒麟があまりに素敵で・・・
思わず、勢い余って書いてしまいました。
小瑠璃はあくまで麒麟に、兄的な立場から接しているらしい。
にしても何故プロレスごっこだと思ったんだ。と、問いただしたい。

サーフさんに描いて頂いたイラストは頂き物にあります。
是が非でも見て下さい!!美麗過ぎますよ!!