「狗守鬼、僕を診て下さい!」
「見てるけど?」
「診察してって事です!!」
相変わらず喧しい来訪者に、1人気儘に留守番をしていた狗守鬼は、
「はぁ・・・・」
と、冷たい溜息を1つ吐いた。
『鬼の溜息』
「で、何」
縁側に面した畳の一室。
ここは狗守鬼の部屋である。
幻海は存ぜぬが、花龍と雪菜、それと雨菜は飛影の元。
折角1人でゆっくりしようと思ったのに。
狗守鬼が声に出さず、呆れる。
だが取り合えずただ事ではないらしいので、聞くだけ聞いてみる事にした。
「・・・数日前の事なんですが・・・」
「大変だね」
「まだ何も言ってません!!!」
適当に相槌を打ったら、小瑠璃が両手を振り上げて怒る。
あぁ、ゴメンゴメン。と、微塵も悪いと思っていない声で言う狗守鬼。
一方小瑠璃は顔を憤りに赤くしつつも、いつもの事だと何とか自分を抑え、話を続けた。
「・・・記憶の一部が抜けているんです」
「ふぅん」
「いつもはそんな事ありません。意識が無くなるくらいに忙しい時期でもありませんし」
「そうだろうね」
「でも、この間は・・・その、何だか、記憶に靄が掛かった様に思い出せなくて・・・
そ、それでも、ぼんやりと覚えているんです。
とっても怖くて、悲しくてですね・・・でも、全部、思い出せないんです・・・」
「・・・・・・・・・」
そりゃあ、そうだ。
狗守鬼がまた、声に出さず呆れる。
彼の髪付近に残る、独特な甘い香り。
魔界の植物。
他者のデータを操る、毒々しい華。
夢幻花。
恐らく何者かが、小瑠璃に使ったのだろう。
彼の言う、その”記憶”を思い出させない為に。
それに気付かないとは、何ともお気楽な奴だと、狗守鬼はふぅと小さく息を吐いた。
「狗守鬼・・・?」
「何」
「え、いえ、その、突然黙ってしまったので・・・」
「あぁ・・・・まぁ」
「な、何か、あるんですか・・・?」
心底不安そうに問うて来る小瑠璃。
いや、別に。と思うには思うのだが、どう言ったら良いかわからない。
事実を告げた所で、また煩そうだなぁ・・・と。
小瑠璃の顔を無表情で見詰める狗守鬼。
それに、小瑠璃はコクッと首を傾げた。
「?」
「・・・誰か何か言ってなかった訳」
「え?」
「つばきとか」
「え、あ、その・・・僕はずっと部屋にいた・・・って」
「・・・じゃ、そうなんじゃないの」
「ち、違います!絶対違います!!」
「何か夢でも見たんじゃないの」
「・・・・夢、じゃないですよ、多分」
どっちなんだよ。
そう心中で突っ込む。
絶対違うと言いながら、多分とは。
だがまぁ、夢で無いのは確かだろうと、狗守鬼も思った。
夢ではない。
記憶を消した。
危害を加えられた様子は無い。
つばきですら気付かなかった。
と言う事は、時空が歪んだのだろう。
少し上位の妖怪ならば、それくらい簡単に出来る。
そして、まぁ、決定的なのは、夢幻花。
夢幻花なんて魔界の植物、それ系統の妖怪でなければ持っていない。
例えば、植物を操る何処かの銀狐とか。
それと友好を持つ者とか。
・・・あるいは、血を分けた者とか。
「・・・・あのガキとか」
狗守鬼が無表情のまま、機械的に呟く。
あまりにさり気無く、そして小さかったそれは、小瑠璃の耳には入らない。
だが、何かを呟いた事は察した様で、紫の瞳でそれを問うて来る。
「・・・小瑠璃」
「はい」
「その日、つばきが誰かの気配を感じなかったか」
「気配、ですか?いえ・・・・」
「・・・・ふぅん」
「あ、でも、匂いなら」
思い出した様に零した小瑠璃に、狗守鬼が眼で促す。
「その、僕から、誰かの匂いがするって・・・・」
「誰の?」
「そ、それが、微か過ぎてわからないと・・・気のせいかも・・・って・・・」
微かな匂い。
それは恐らく、妖気、または霊気から立ち上る香りだろう。
つばきは鼻が利く。
一応支配者級の妖怪であるし、気配には敏感だ。
例え微かな妖気でも、知っている存在であれば気付く筈。
そのつばきがわからなかった。
と言う事は、つばきの知らない存在。
小瑠璃に関係していて。
夢幻花を操る事が出来て。
時空の歪みを発生させる程度の妖気を持っている妖怪。
ンな物、考えるまでも無いだろうが。と、狗守鬼がまた、心中で突っ込んだ。
だが生憎、目の前のこの男は、所謂天然である。
理知的に振舞って、冷静沈着を装っている癖に、一番子供で何処か足りない男。
「はぁ・・・」
「な、何です?やっぱり僕、何かおかしいですか?」
「おかしいのは元々だ」
「し、失敬ですね!!」
説明するのも面倒臭い。
何せ小瑠璃は、その”ガキ”とやらの事を、詳しく知らない。
勿論狗守鬼自身、あくまで推測の域を出ないのだが・・・
大方それは当たりであり、小瑠璃が知ったら間違いを起こす事も必至である。
それを止めるのは面倒だし、自分の事だから勝手に死なせてしまうだろう。
それだと色々問題があるので、出来る事なら自分に関わりの無い所で知って欲しいのだ。
その、当事者の正体を。
だがどうせ、行き成り知ったのでは、精神崩壊を起こす方が先かも知れない。
何か異常は無いかとしつこく問う小瑠璃を綺麗に無視して、狗守鬼がやおら話を始めた。
「小瑠璃、良いか、良く聞け」
「え、は、はい」
突然狗守鬼が真剣な声で話を始めたので、小瑠璃もつられてピッと背筋を伸ばす。
「未来と言うのは1つじゃない」
「・・・・はぁ?」
今までの流れと全く違った方向に進む話。
それに、小瑠璃が思わず間抜けな声を上げた。
「ちょ、ちょっと、どう言う意味です?」
「いつか、お前がその”無くした記憶”の事実、そしてそれの当事者について
知る事があると思うからね、一応先手を打って置こうと思って」
「??」
「だから聞いてろ」
「は、はい」
些か要領を得ないが、仕方ない。
ここは黙って狗守鬼の言う通りにしようと、再び口を閉じた。
「未来ってのは、1つじゃない。無限に存在する物だ。
例えば今から1分後、ここに下等妖怪が奇襲して来るかも知れない。
もしかしたら1分後、つばきがここに遊びに来るかも知れない。
未来はいつでもそこにあるけれど、実は選ばれない未来も存在する」
何だかややこしい話になっているが、小瑠璃は取り合えず頷いた。
ここはもう心で理解するしかない。
「だから、俺やお前が存在しなかった未来も、何処かにあるんだ」
「え・・・で、でも、僕や貴方はいるじゃないですか。
僕や貴方が存在しなかった未来。それは、もう無い事になったのでしょう?」
「それが、そうじゃないかもよ」
「え・・・・」
「未来が無限にあるように、その世界もまた無限だ」
「は、はぁ・・・」
「俺達が今いる世界と、全く違うルートを辿った世界もまた、ある」
「違った世界・・・?」
首を傾げる。
そんな物があるとも思えない。
だって自分はここにいるし、存在出来る世界もまた1つなのだし。
「勿論、同じ時空には存在してない」
「は、はぁ・・・そうですよね」
「”時空が歪められた時”くらいしか、その存在を確認出来ない」
「・・・時空が歪む?」
小瑠璃が難しい顔をする。
どうやら理解が追いついていないらしい。
あぁ、コレはもう端的にアドバイスするか。と、狗守鬼が頭を掻きながら告げる。
「だからまぁ、もしもの話」
「はい」
「お前のいない世界に、お前の知らない兄弟とかがいるかもよって事」
「えぇ!?・・・って、事は、親は・・・」
「そう、鳩かもよ」
「・・・鴉です」
「あぁ、それそれ」
名前の誤りをしっかり訂正しつつ、小瑠璃はまだ些か混乱している頭で整理を始めた。
違う時空がある?
それは、今と違うルートを辿った世界?
だから、自分や狗守鬼は存在しない未来?
って事は、今の親達は、違う人物と一緒になっている?
そして、自分達ではなく、見知らぬ者達が子供になっている?
・・・意味はわかるが。
「・・・どうしてこの話に行ったんです?」
「・・・・お前、鈍いとかそう言う問題じゃないよね」
「??」
わざわざこっちに話が逸れた。
それは、先程の本筋と、少なからず関係している。
・・・とか察する事は出来ないのか。と、狗守鬼はジト眼で小瑠璃を見た。
「な、何ですか!?」
「・・・・別に」
「あぁもう、兎に角!未来とかの話は置いといて!!
どうして僕は何も覚えてないのか、それが知りたいんです!」
「消さなきゃならない事態になったからだろ」
「・・・・・・・・・・え?」
珍しくストレートに正答を返され、小瑠璃が眼をパチパチと瞬かせる。
狗守鬼は、相変わらず無表情だ。
「け、消さなきゃいけないって・・・」
「・・・だから例えば、お前がいない筈の未来にいる奴等に会っちゃった。とかさ」
「ででで、でも、消さなくても良いじゃないですか!どうせ僕の知らない人なんですし」
知ってるだろうが。
そう言ってやりたいが、ここは堪える。
これ以上ヒントを与えてやる義理も無いし、面倒だ。
「だ、大体、どうして僕、そんな所に行っちゃったんです?」
「・・・知るか」
「だって、そんな風に時空が歪むのなんて、聞いた事ありませんよ!」
「誰かが意図的にやったら、歪むさ」
「誰が!?」
「自分で考えろ」
自分ばかり当てにするな。
と、暗に告げてやる。
だが小瑠璃は、まだまだ納得が行かないらしかった。
「でも・・・そんな、意図的にやったのなら、記憶なんて消す必要・・・」
「消しとかなきゃ、お前が精神崩壊起こす様な事でもあったんじゃない」
「そ、そんな事、あったんですか!?」
「だから、知るかっての」
わたわたと慌てる小瑠璃を尻目に、ついに狗守鬼がゴロリと寝転がる。
そして、トーンの一切変わらない声で、簡潔に結論を纏めてやった。
「つまり、お前の記憶が消されたってのは事実。
意図的に誰かがお前の記憶を操作したって事だ。
別に病気だの、お前の頭がおかしくなっただのじゃあ、無い。
以上。わかったらとっとと帰れ」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ!貴方、気づいてるんでしょう!?」
「何に」
「僕の記憶を消した人にですよ!!」
わからいでか。
大体、小瑠璃と関係を持ちたがっている輩など、片手の指で足りるのだ。
絞り込むのに時間はいらない。
その他、特定出来る要素がいくつもあるのだし。
大方、『鳥』の方か『狐』の方か。どちらかがやったのだろう。
コイツも何故自分で探そうとしないのかと、狗守鬼は少々疑問に思った。
「だから?」
「教えて下さいよ!」
「却下」
「どうして?!」
「わざわざソイツが記憶消したのに、俺が呼び起こす必要も無い」
「・・・で、でも、気になるじゃないですか」
「なら自分で調べろ」
「う・・・・あ、貴方が知っているんですから、教えてくれれば早いじゃないですか!」
「じゃあ、今までの俺の話、全部ひっくるめて推測して来い」
「??あ、貴方の話、ですか・・・?」
うーん。と、その場で考え始めた小瑠璃を、素早く起き上がった狗守鬼が蹴り飛ばす。
予想していなかった衝撃に、小瑠璃の細い体は縁側の方まで綺麗に飛んだ。
「な、何するんですか!!?」
「考え事なら他所でやれ」
「だ、だからって蹴らないで下さいよ!!!」
「煩い。言語理解能力の無い奴と話すの、ストレスなんだよ」
「し、失礼ですね!!!貴方の言い方が回りクドイんですよ!!!」
「だから、お前の言語理解力が欠陥してるってんだよ」
「〜〜〜〜〜あぁ、そうですかっ!!」
ガバッと小瑠璃が立ち上がる。
そして、パッパとコートの汚れを払うと、膨れっ面で狗守鬼に告げた。
「どうも、ありがとう御座いましたっ。ご迷惑お掛けしましたねぇっ」
「ホントにね」
「〜〜〜〜っ・・・ホント、酷い人ですね、少しは僕の話、真面目に聞いて下さいよ!!」
「真面目に聞くだけの価値があるなら、聞いてやる」
「僕の話はつまらない。って事ですか!?」
「つまならいに加えて、考えなくてもわかる様な事で悩んでるから、説明が面倒なんだよ」
「・・・・・だから、それを説明してって、頼んでるのに・・・・・」
じーっと狗守鬼を恨みがましい眼で見るが、彼は既に背を向けて寝転がっていた。
自分に丸っきり関心を持っていない狗守鬼。
それに、何となく悲しくなりつつ、鋤を取り出すと、霊界へと霞の様に消えて行った。
「・・・・ふぅ」
やっと行ったか。
狗守鬼が、寝転がった体勢のまま思う。
全く。何故こうまで鈍いのか。
少し調べれば、わかるだろうに。
ある意味不幸な奴だと、狗守鬼は更に呆れた。
「・・・それに」
小瑠璃といると、気になる事が1つあるのだ。
自身に突き刺さる、酷い殺気と妖気。
この妖気は『鳥』の方ではないから、恐らく『狐』の方だろう。
”自分達の存在しない未来”にいる筈の、”誰かさん”の兄弟。
(生憎、男には興味ないけどね)
俺を巻き込むな。
取り合えず、いつか会う機会があったら、それだけ言ってやろうと、狗守鬼は思う。
そして、何時の間にか、小瑠璃の後を追う様に消えたその『狐』の妖気に
「・・・・・・はぁ」
面倒な”兄弟”だ。と、今日最後の溜息を、深く深く、吐いた。
END.
サーフさんに無理矢理送りつけた作品。
サーフさん宅の子供さんである、麒麟君。
彼は非常に(我が家からすれば)複雑な生い立ち。
詳しくはサーフさん宅で。
んで、小瑠璃とは半分血の繋がった兄弟になるんだけど・・・
それが複雑なのです。同じ次元に存在出来ない程。
なので、我がサイトではこう言う設定にしました。
そしてそれを年長者の狗守鬼に解説させました。
糞長いので、小瑠璃と麒麟君が出てる時だけ使う事にします。
そして狗守鬼。麒麟君にさっそく嫌われてる感じです。