青い空。高く澄んだ空。
幻海の寺は、いつもは心地好く穏やかな静寂を保っている。
けれど何だか、今日は少女の声が賑やかに響いていた。
「青空って綺麗よねー、お空を飛ぶのに丁度良い日だわ!」
「あ、そ」
その声は、つばき。
霊界に生まれながら強い妖力を持つ、支配者級の少女。
空と同じ色の長い髪を風に遊ばせながら、彼女は隣にいた狗守鬼に笑い掛けた。
だが彼は酷く素っ気無い返事を返すだけで、視線すらやって来ない。
感情の読めない瞳は、空とも景色ともつかぬ何かを見詰めている。
その眼に映るのはただ無だけで、つばきはつまらなそうに唇を尖らせた。
「何よ何よぅ。狗守鬼君たら相変わらずテンション低いわねぇ〜」
「お前が煩いんだよ」
「しっつれー!女の子は元気なのが一番なのよぅ!!」
「俺、花龍みたいなコの方が良いな」
「ふーんだ!花龍ちゃんみたいな子じゃなくて、花龍ちゃんが良いんでしょ!」
つばきの言葉に、狗守鬼は何の感情も無く、うんとだけ答えた。
つばきもその答えは予想していた様で、相変わらず唇を尖らせながら更に続ける。
「あーあ。こんな可愛い子が退屈してるのに、どーしていつも出会いが無いのかなぁ」
「煩いからだろ」
「知ーらない!!牛若丸だって最近忙しいとか言って構ってくれないしー」
「・・・牛若?」
そう、あの随分古めかしい衣装を纏った男の名を挙げる。
いいや、本来は死々若丸と言う名なのだが。
つばきがその名で呼ぶ所為で、狗守鬼達にはコチラの呼び方の方が馴染み深い。
だが狗守鬼は皆目見当がつかない様で、手を顎に当てて思案を始めた。
どうせ思い出せないだろうが。と、自身でわかり切った顔で。
そしてやはり考えてもわからなかったらしく、とっととその思考を中断した。
結局いつものパターンである。
その彼の様子に、つばきはジトっと眼を細めながら、彼に言ってやった。
「・・・狗守鬼君てば、忘れてるでしょー」
「うん」
「もー、あたしの顔は忘れないでよー?」
「多分」
「忘れたら花龍ちゃんに言いつけてやろー!」
「好きにすれば」
「うぅ・・・狗守鬼君てば、相変わらず冷たいわねぇ」
でもそこが好きよ。と、つばきが悪戯っぽく笑いながら言う。
狗守鬼は、無反応だ。
「・・・・ちょっとー!!可愛い女の子が好きって言ったんだから慌てたりしてよぅ!!」
「別に嬉しくないし」
「ひっどーい!そんな事言うんなら無理矢理チューしちゃうんだからー!」
言うが早く、つばきが隣の狗守鬼へと体当たりに近い形で飛びつく。
予想していなかった狗守鬼の身体が、不覚にもグラリと揺れた。
「・・・離れろよ」
「チューしたら離れてあ・げ・る」
「無理矢理剥がしてやっても良いけど?」
「きゃー。女の子には優しくするものよぅー?」
「男女平等」
「うーん・・・確かに」
狗守鬼の首に両腕をしかと回し、顔を首筋に擦り付ける。
狗守鬼は嫌そうな表情をしていたが、特に強引に突き放しはしなかった。
無論、本気で口付けなぞされそうになったら剥がす気ではいるが。
特に害がある訳でも無いし、何より動くのが面倒だった為、つばきの好きにさせてやった。
「ねー狗守鬼君」
その状態で暫く。
つばきが不意に狗守鬼へと問い掛けた。
「何」
「こんなトコ花龍ちゃんに見られたら、嫉妬されちゃうのかしら?」
ふふふ。と笑うつばきに、狗守鬼がチラリと視線を寄越す。
その質問が些か予想外だったのか、少しばかり驚きに似た色を眼に浮かべて。
彼の視線を受けたつばきは、随分楽しそうな笑みを口に浮かべていた。
自分の首元に顔がある為見辛いが、どうやら狗守鬼の様子が少し面白かったらしい。
そして、答えを返して来ない狗守鬼に、つばきはまた言葉を続けた。
「花龍ちゃんて、あんまり感情とか出さないじゃない?」
「そうだね」
「だから、あたしがこーして狗守鬼君にくっ付いてたら、花龍ちゃんも感情を出すのかなぁ。なぁんて」
ちょっと思ったのよ。
そう、好奇心に満ち溢れた視線を狗守鬼へと送る。
狗守鬼はその言葉に少し考えてから、サラリとそれを否定した。
「無いんじゃない?」
「えー、そーぉー?」
「花龍はそう言うのに興味無いみたいだしね」
「うーん・・・でも女の子なら、誰でも嫉妬とかするものよぉ」
「・・・じゃ、お前は?」
「?あたし?」
逆に質問を返され、つばきが意外そうに眼を丸くする。
「小瑠璃が知らない女を妹みたいに可愛がってたら、どう」
「・・・その女の子、爆破しちゃいそぉ」
「ブラコン」
「そーよぉ、あたし、嫉妬深いんだからぁ」
可愛らしく笑いながら、それでも言葉には本気の色を篭めて。
相変わらず兄離れしていない女だと、その様子を見ながら狗守鬼が思った。
そしてそれは、小瑠璃にも言える事である。
彼も、妹馬鹿と言って良い。
「今好きな人もいないし、お兄ちゃんが一番だもの」
「お前の父親とかは」
「んー?パパァ?パパも勿論大好きよ。一番理想の人」
「ふぅん」
「あ、狗守鬼君も大好きよ?」
「嬉しくないね」
グリグリと頭を首筋に押し付けられ、再び狗守鬼が苦い顔をする。
そして軽く、彼女の頭を手で退けるように押し遣った。
「あん。何よぅ、酷いわねぇ」
「邪魔」
「ひどーい」
「煩い」
「ふーん。・・・でも、チョット見てみたいなぁ、花龍ちゃんが嫉妬するトコ」
普段から一切の感情を表に出さない彼女。
感情が無い訳ではないのだが、今までで一度もそれを顕わにした姿を見た事が無い。
声ですら、普段は中々聞けないのだ。
何せ彼女に名を呼ばれた事が無い。
いいや、兄の名も志保利の名も雨菜の名も、彼女は呼ばないのだ。
そんな彼女が、女の感情を露出した様。
結構、見てみたい。
「無理だろ」
「・・・そーよねぇ。あーあ、つまんなーい」
ブゥブゥと文句を垂れるつばきを、狗守鬼は今度こそ自身から剥がす。
つばきも特に抵抗せず、再び狗守鬼の隣にチョコンと座った。
「んー・・・、狗守鬼君て、結構花龍ちゃんの匂いするのねぇ」
「いつも一緒だからね」
「まぁねぇ・・・また飛影さんに怒られちゃうんじゃなぁい?」
「胃が痛いね」
「うっふふ。お兄ちゃんの胃薬貸してあげましょぉか?」
つばきのニヤニヤとした笑みに、狗守鬼は軽く肩を竦める事で返す。
その動作から、いらない。と言う言葉を読み取り、つばきはそうとつまらなそうに零した。
そこで、少し沈黙が落ちる。
ようやく静かになったかと狗守鬼が足を組み直し、空を見る。
太陽が少し傾き、眩しい日差しが木々を照らしていた。
「うーん・・・」
そこに、つばきの呻き声。
腹でも下したかとそちらを見たが、どうにも違う様子。
少々難しい顔で、何かを考えていた。
「ねぇ狗守鬼君」
「・・・何」
今度は何だと、狗守鬼が億劫そうに答える。
つばきは、また好奇心に満ちた眼を向けて来ている。
またどうせ問い掛けなのだろうと、予想してみた。
「狗守鬼君はどうするの?」
「は?」
要領を得ないその問いに、狗守鬼が間の抜けた声で返す。
突然どうするのかと決断を迫られても、それはコチラが聞きたい。
解せない表情を浮かべると、つばきは手をピラピラしながら言葉を付け足した。
「ホラァ、さっき、花龍ちゃんが嫉妬するかなぁ。って言ってたじゃない?」
「言ってたね」
「じゃあじゃあ、逆に、狗守鬼君が嫉妬する事ってあるのかなぁ?って考えてたの」
「・・・下らない事考えてる暇があったら、仕事に戻れ」
「い・や☆・・・ねぇねぇ、どーなの?さっきちょっと想像しようとしたんだけど無理だったのよぅ」
先の呻き声は、自分の嫉妬している姿が思い浮かばなかったからか。
と、狗守鬼は呆れた様子を隠さずにつばきを見遣る。
だがつばきはコクリと首を傾げるだけで、狗守鬼の答えを待っていた。
ふぅと溜息を吐き、狗守鬼が簡潔に答える。
「するよ」
「え?」
「・・・だから、するよ。嫉妬」
狗守鬼の答えに、つばきは思わずキョトンと聞き返す。
だが再び寄越された答えは同じで、次の瞬間つばきの口から大きな声が漏れた。
「えええっ!!するのぉ!!?」
「煩い。声」
「だってぇ、狗守鬼君が嫉妬するなんて思わなかったんだものぉ」
余程以外だったのか、じーっと真ん丸くした瞳で狗守鬼を見る。
アメジストの瞳に映った彼は、いつもと変わらぬ様子だった。
「へぇー、どんな時?どんな時?」
狗守鬼の答えに興味をそそられたのか、つばきが身を乗り出して問う。
ワクワクとしたその空気に、狗守鬼は少し疲れた表情を見せる。
そして、頭を掻きながら、適当な答えを寄越した。
「色々」
「えー、だからぁ、それがどんな時だか知りたいのー」
「色々あるから、言うの面倒」
「んんー・・・じゃあじゃあ、1個で良いから、教えてよぅ」
再び狗守鬼に抱きつきながら、つばきが強請る。
擦り寄せられた頭を手で離しながら、狗守鬼が仕方ないとでも言いたげに2度目の溜息を吐いた。
「・・・そうだね、強いて言うなら・・・」
狗守鬼の答えを期待し、つばきがキラキラと眼を輝かせながら彼の顔を見上げる。
その視線に答える様に狗守鬼も顔を彼女に向けると、いつもの淡白な口調で、ケロリと答えを遣った。
「花龍がいる空間に、俺以外の男がいる時。かな」
しん・・・・と、奇妙な静寂が訪れる。
そして数秒後、つばきの黄色い悲鳴が青い空に溶けた。
「きゃーーっ!!独占欲ってやつぅーー?!素敵ーーーっ」
「声煩い」
「ああん、だってそんな素敵な本音聞いちゃったら叫びたくもなるわよぅ!」
「あ、そ」
「あぁー、もう、狗守鬼君が嫉妬してるトコ見たぁーい。今度チャンスがあったらチェックしなくちゃ!」
「勝手にしてろよ」
再び煩くなったつばきを自身から剥がし、狗守鬼がまた青い空を見る。
そう言えば、今日花龍は小瑠璃と出かけたんだった。
何でも、霊山に行くとかで。
それをふと思い出し、まだキャーキャー騒いでいるつばきに言ってやった。
「つばき」
「ん?なぁに狗守鬼君」
「・・・そのチャンス、そろそろ来るかもね」
「え?」
狗守鬼の言葉に、つばきが首を傾げる。
遠くの青い空に、案内人の鋤に乗った小瑠璃と花龍の姿が見えたのは、丁度その時だった。
END.
狗守鬼は意外と嫉妬深い。
同じ酸素吸うなくらいに思ってたら良いと思います。
戻って来た小瑠璃は多分狗守鬼に蹴られる。
そして眼を白黒させてみるけど、つばきまで面白そうに笑ってて混乱すれば良い。
どうして狗守鬼とつばきのペアなのかと言えば、ただ単に絡ませたかったから。