赤い月の輝く夜。


異形が蔓延るこの世。


人間達が支配しているのは、表向き。


誰も知らぬ、月が赤い真夜中には、異形が姿を現す。






「ひ・・・ヒィッィイイ!!!!」



グチャ。と、トマトが潰れる様な音が地面に滲み込む。

それは多分、妖怪の頭部。

左半分が抉られた様に陥没し、罅割れていた。

中からジャムの様な物体が飛び散り、どうにも汚らしい。



そのはみ出した物体を、ビチャリと誰かが踏んだ。



「あ、汚」



血と嘔吐物の匂いが生暖かい風に乗り、死体を撫ぜるこの場で

余りにそぐわぬ涼やかな声。

黄金色の耳と尾。

頬に浮かぶ赤い紋章。


「あーあ・・・踏んじゃった」


黒いエナメルのブーツについたジャムの様な肉片を、狗守鬼の鋭い眼が見遣る。

だが特に払う事もせず、そのまま早い足取りで遺体の転がる道を進んだ。

ニチャ。ニチャ。と、歩く度に先程の物体が地面に潰れ、不快な音を立てる。



「あぁ・・・いたいた」



ポツリ。と、水の様に静かに呟く。



狗守鬼の視線の先には、黒髪の少女と醜い男。



「花龍」



呼ぶが、彼女は動かない。

呼吸はしているらしいが、意識は無い様だった。


そんな彼女を軽々と抱え、まずはもう1つの塊に視線を落とす。


醜い男は、ヒューヒューと蟲の様な呼吸を忙しなく繰り返していた。


喉が潰されているらしく、壊れた笛の様に奇妙な息の音がする。

血走った眼を恐ろしい程に見開き、刻み付ける様に狗守鬼を見る。



「た、たひゅ・・・たひゅけ・・・・・・・」
「ん?・・・ああ、助けて欲しいの?」


何処か哂う様な、冷たい声。

だが男は、もう余裕は無いと言った様に、ガクガクと首を縦に振る。

それこそ壊れた玩具の様で、何とも滑稽だった。


「ダメ」


狗守鬼が言い捨てる。

瞬間、男の眼が絶望の色に染まった。

息を呑むのが聞こえる。

だが狗守鬼にとっては、どうでも良い事だった。



「そうだなぁ・・・死ぬ前に、1つ教えてよ」



クッ・・・と、先程肉を踏んだブーツを、男の頚椎の辺りに置く。

助ける気は無いらしく、男が質問の答えを口にした直後、圧し折る気だ。

男は引き攣った顔で首を振るが、狗守鬼は無言で返す。


「ねぇ、アンタってさ、雇われてるんでしょう?」


男がガクガクと頷く。

狗守鬼は続けて、無表情のまま問い掛けた。


「それって・・・あの義眼の男?」


ビクリと、男の身体が眼に見えて揺れる。

図星だと、自ら宣言しているも同じだった。


義眼の男。


それは、今回の狗守鬼達のターゲット。

霊界からの依頼で、捕縛・最悪の事態が発生した際には抹殺許可も下りている。

何を仕出かしたかは知らないが、霊界に置いてブラックリスト入り。

第一級凶悪犯罪者に指定されている男らしい。


どうでも良いが。と、狗守鬼は考えを打ち消して、再び男を見下ろした。


「ねぇ、そう?」


男は答えない。

狗守鬼は、そんな些細な抵抗に、軽く哂った。


「秘密残して死ぬより、洗い浚い吐いて死ぬ方が気分良いだろ?」


グッと、頚椎に置いた足に力を込める。

途端、男が恐怖に四肢をバタバタと動かした。

死に掛けのゴキブリの様な動きに、狗守鬼は少々生理的嫌悪を覚える。


「・・・ま、良いや。どうせ、大した事知らされて無いんだろ?」


見ていられないとでも言いたげに、狗守鬼は肩を竦めた。

そして、男の眼が零れんばかりに見開かれるのに構わず、狗守鬼が一言優しく告げた。




「オヤスミ。大丈夫だよ、一瞬で終わるから」




ゴギッ。と言う、骨が爆ぜる音が、赤い月に響いた。













「うふふっ・・・つまんないわねぇ」



パンッ!と言う乾いた破裂音が空気を裂く。

それと同時に、1人の男の首から上が綺麗に吹き飛んだ。

あまりに一瞬で、男の胴体はまだ両脚で立っている。


「あらすごぉい。・・・でも、何だか不恰好ね」


もう一度、空色の髪の少女が手を翳すと、今度は身体ごと消し飛んだ。

まるで煙の様に消えてしまい、そこには塵すら残っていない。





「こら、つばき」





月明かりが届かぬビルの隙間から、ズルリと男が現れる。

黒いコートに、黒い髪。

それは闇をそのまま切り取った様な黒さで、この奇妙な夜に溶け込んでいた。


ただ、顔だけは、ぼぅっと蒼白く。


それだけは、何とも不気味だった。


「あらぁ、お兄ちゃんじゃなぁい」


つばきが、返り血に塗れた笑顔で、兄小瑠璃へと駆け寄る。

そのまま彼の胸に飛び込むと、小瑠璃も優しく返して来た。


「無益な殺生は止しなさいと、言ったでしょう?」
「相手から襲い掛かって来たのよぉ、正当防衛正当防衛」
「相手は人間です。手加減をなさい」
「嫌よ、だって気持ち悪いんだもの」
「つばき、仮にもお前や僕は霊界に住まう身。命を軽々しく扱う物では・・・」
「それなら、こんな仕事寄越して来た上層部の連中に文句言ったらぁ?」

つばきの台詞に、小瑠璃は黙る。

自分達は霊界の住まう者。

だがこの仕事を依頼して来たのも、霊界の者達。


「・・・全く・・・おかしな世界ですね」
「今更じゃない」
「そうですね」
「うふふっ」
「つばき、血が凄いですよ」
「あぁ、平気よぉ。全部返り血だもの」


小瑠璃が、つばきの後ろを見る。


3体程無惨な死体が石の様に転がってた。


1つはアスファルトに、影として、炭として焼け付いた死体。

1つは、元が何だったかも判別の難しい、グチャグチャに吹き飛んだ肉塊。

1つは、足だけが残っている、先程吹き飛ばされた男。


絵の具をぶちまけた様に、鮮やかな血が地面を覆っている。


けれどそれが、所々黒っぽく染まっているのは、別の体液が混じっているのだろうと、小瑠璃は思った。


「ねぇお兄ちゃん、ターゲットの居場所がわかったんだけどぉ・・・どうしよう」
「今から狗守鬼を探すのも面倒ですね・・・つばき、鳥を送りなさい」
「はぁい」


小瑠璃の言葉に従い、つばきが白い指先で円を描く。


すると、フワフワと黒い羽根を撒き散らしながら、一羽の鴉が舞い降りた。


その鴉が首に下げている鏡に向かい、つばきが言霊を送る。


「さ、行ってらっしゃい」


鳥は、何の反応も示さぬまま、また、大空に姿を消した。

狗守鬼の元へ行ったのだろう。

その黒い姿は、あっと言う間に見えなくなった。



「本当に・・・・」
「ん?」



小瑠璃が、転がる死体を見遣りつつ、ポツリと呟く。

つばきが不思議そうに見上げると、小瑠璃は困った様な笑顔を浮かべていた。



「本当にお前は、父に似ましたね・・・」
「あらぁ、嬉しい。あたし、パパ大好きだもの」


小瑠璃の胸に頬をすり寄せ、つばきが嬉しそうに微笑む。


「でも、ママもお兄ちゃんも勿論大好きよ」
「ふふっ・・・・ありがとう」


妹の言葉に、小瑠璃が柔らかく微笑む。


「僕もお前の事が、大好きですよ」


空色の髪を指先で梳く。





その蒼白い指先は、真っ赤な血に染められていた。













「そう、わかった」



狗守鬼が、つばきの鳥から言伝を読み取り、それを宙に帰す。


先程踏み抜いた男の死体が、すぐ隣にある中。

狗守鬼は無防備に腰を下ろし、胡坐の上で花龍の冷え切った体を抱いていた。


男の死体は、頚椎だけでなく、そのまま顔面まで踏み抜かれたらしい。

後頭部がベコっと凹み、脳味噌が割れた部分からはみ出していた。

圧力に耐え切れず、眼球がぼこっと飛び出ている。

その眼孔からはビチャビチャと薄濁った汁が滴っており、悪臭を放つ。

鼻は地面に押し付けられ折れている。

折れた骨が皮膚を突き破り、在り得ない方向へ飛び出ていた。



狗守鬼はもうそんな男の死体に興味が無いらしく、ただ己の腕にある花龍を見詰める。



真っ白い肌。

真珠の様だと、軽く頬を指先でなぞる。

艶やかだが、恐ろしい程に冷たい。


コイツの方が死体の様だと、狗守鬼が笑った。


花龍は、まだ意識を取り戻さない。


相当な数を相手にしたのは、周囲を見れば良くわかる。

花龍自身も傷が深いのか、顔面が血だらけだった。


頭も、口も、腕も、足も。


飛影さんが見たら卒倒するんじゃないか。

と、冗談交じりに考えた。



けれど、すべらかな雪肌が真っ赤な血に塗れているのは、何とも美しい。



穢れの無い真珠を、血の海に放ったらこんな感じになるのか。



そんな事を、花龍が意識を取り戻すまでの暇潰しとして、想像する。



花龍を血の海に投げ込んだら?






「・・・・・・結構、美味しそうかも」






元より自分は、人間や下等妖怪を食って生きる種族。

生憎自分は肉が嫌いだが、こんな美しい女の肉ならば、それは美味そうだと思う。



何となく、花龍のダラリと垂れ下がった腕を取り、そのまま歯を立てる。



ぐにっと肉に感触がした後、ブツッと皮膚が破れる音がした。

牙が食い込み過ぎたのか、狗守鬼が口を離すと、花龍の手首からは新たな血が流れ出ている。

穴が開いている所を見ると、本当に自分が食い破ってしまったらしい。


ああ、コレがバレたら、本当に飛影さんに殺される。


流れ出た花龍の血を舐め取りつつ、少々恐ろしい想像に、ふぅと溜息を吐いた。






花龍は、まだ眼を覚まさない。







「ねぇ花龍、早く起きないと、本当にこのまま食べちゃうよ?」







彼女の細い首筋に牙を押し当てながら、狗守鬼が少し楽しそうに呟いた。








彼の眼が赤く染まっていたのは、月の所為か。血の所為か。それとも・・・・・・・




























END.


ちょっと気持ち悪い感じのお話だった。
まぁ、偶に他の話に出て来る仕事って、こんな感じかなと。
小瑠璃の指先が血に染まっていたのは、彼も誰かを殺して来たから。
狗守鬼が鬼に覚醒したら、気絶してる花龍が死ぬんじゃないかと思った。