いつだっただろうか。
初めて、この物怪に抱かれたのは。
雪と見紛う美しい白銀の髪。
鍛え抜かれた無駄の無い肉体。
野生を思わせる、その精悍な容貌。
「何見てるんだ、俺に何かついているか?」
「・・・いいや・・・」
あまりに見ていた為か、物怪が振り向く。
月の様な鋭さを宿した瞳が私を射抜いた。
その眼差しはあまりに強過ぎて、無意識に目を逸らす。
「クククッ・・・俺に見惚れたか?」
「ンな訳あるか!」
「全く・・・素直じゃないな、霊界の姫君は」
憤る私を、楽しそうに見遣りながら酒を煽る物怪。
700と言う時を過ごして来た私より、遥か昔に生を受けた男。
コイツにとっては、私なぞ単なるヒヨッコにしか過ぎぬのだろう。
「どうだ?アンタも一杯」
「いらん。酒は・・・得意じゃない」
「まぁまぁ、他人からの酒は素直に受けるもんだ」
「・・・いらんと言うに・・・」
強引に杯を渡され、仕方なくそれを口に含む。
濁った色の酒は苦味が強く、私の舌を一気に侵食していった。
痺れる様な感覚に、思わず眉を顰める。
私の反応が甚く気に入ったのか、物怪は喉から細い笑いを零した。
「子供だなぁ、アンタも」
「・・・悪かったな」
馬鹿にされている気がして、胸がムカムカとする。
けれど事実。
何の反論もする事が出来ず、それこそ子供の様に拗ねてみた。
この男の考えている事は、未だにわからない。
何故私に付き纏うのだろうか。
何故私に愛しいと言うのだろうか。
何故私を抱くのだろうか。
幾度も幾度も考えたけれど、答えは出ない。
昔愛した女と私を重ねているのか。
いいや、そんな筈は無い。
あの女性は、私なぞとは比べ物にならぬ程美しく、そして気高い女性だった。
闇を想わせる毒壺の女。
その女を想う余り、私を彼女の影と重ねているのか。
そう、問うた事がある。
けれど物怪は答えずに、有耶無耶の内にまた私を抱くだけだった。
わからない。
目覚めた時には、もう物怪はいなかった。
何故。
何故。
物怪との繋がりを嫌と言っている訳ではない。
しかし私は、いずれ霊界を継ぐ者。
この男は、魔性の世を掌握する物怪。
この関係がいつまで続くか、わからない。
いいや、続いてはならぬ。
次の一瞬にでも、私はこの男から離れなければならぬ。
なのに、気付けばこの物怪の隣にいるのだ。
「・・・おい」
「ん?」
「・・・・食脱医師は、まだ転生せんぞ」
私の突然の言葉に、物怪は訝しげな表情を浮かべる。
それが、まだ年端もいかぬ童の様で、思わず緩やかな微笑みを浮かべた。
「・・・何だ、突然」
「お前は、私に食脱医師の影を重ねているのではないのか?」
「・・・・・・」
物怪は答えない。
「以前聞いた時に、お前ははぐらかしたな」
「・・・そうだったか」
「・・・別に無理に答えを貰うつもりは無い。
しかし・・・あの女性が転生するのは、まだずっと先の話だ。
従来魂が持っている輝きが、他の者とは比べ物にならぬ女性だ。
それを受け入れられるだけの器も、まだ無い」
そこまで言った時、不意に身体の自由が奪われた。
物怪が、私を拘束している。
ああ、自身の分が悪くなると、いつもこうして誤魔化そうとするのだ。
突然黙って、私を組み敷き、獣の様に貪るのだ。
その度に、私の胸の奥を襲う得体の知れぬ閃光。
「・・・・・私なんぞを代わりにしても、物足りなかろう」
「・・・・・・」
「・・・っ!」
引き裂かれた衣服。
顕わになった私の肌に、物怪の鋭い牙が突き刺さる。
女の肉を深く貫く尖った三日月の様な牙。
ブチリと皮膚と肉の裂ける音。
その切れ口から、小さな噴水の様に噴出す、真っ赤な鮮血。
鮮やかなそれは、私の身体や顔、そして、物怪をも妖しく彩っていった。
「・・・っ・・・」
喉から悲鳴が漏れる。
身体を食い破られ、牙で引き千切られ、焼かれる様な激痛に悶え苦しむ。
肉体を支配する痛み。
しかし、まだ、胸の奥に迸る閃光。
「・・・・腹でも・・・・減った、か・・・・」
ビチャリ。と、物怪は私から噴き出る血を舐め取っている。
傷口にざらついた舌が当たり擦れる度、例えようの無い引き攣るような激痛が走る。
物怪が、私の身体を弄りながら、顔を近づけた。
紅で彩った様な、血塗れの口付け。
鉄の味がする血を流し込まれ、咽る。
けれども物怪は構わずに、更に、深く。
「・・・・・・何、故」
乱暴だけれど、何処か愛しみの感じるその口付け。
それに、更に強く私を痛めつける、胸の奥の閃光に似た痛み。
私は何なのだろう。
この物怪にとって、何なのだろう。
女の代わりか。
餌の代わりか。
この物怪にとって、私は何かの『代わり』なのだろうか。
「・・・答えて、くれ・・・」
もしもそうだと言うのなら。
何故私を愛すと言うのか。
何故私を抱くのか。
何故愛しむ様に口付けをするのか。
「・・・・・・・・雷禅・・・・・・・・」
この男に触れられる度、胸の奥に走る閃光。
それが走る度に零れ落ちる、肌を焼く様な涙。
その閃光に似た痛みの正体も。
切なく流れる涙の意味も。
私は、知らない。
END.