雨が降っている。

魔界の雨は酷く赤い。

水自体に色があるのではなく、月の色を反射している為だ。


雨雲が無くとも、気紛れに零れる雨。

雨が降り注いでも、一片すら陰る気配の無い紅い月。



まるで鮮血の様なそれを、同じ色の髪を持った男は無感動に見ていた。



廃墟の部屋。

人間界で言う洋館とやらに近いのだろうか。

洒落た椅子と、割れた窓、それを飾るボロボロになったカーテン。

元は美しいまでの真紅だったであろうその布は、無惨に色褪せ、哀れな様子で揺れていた。



「・・・・・・・・・・・・・・」



ゴロゴロゴロ・・・と、雷が鳴る。

そう言えば先程稲妻が走ったなと、は思った。

足を組み直した拍子に、椅子がギシリと苦しそうな音を鳴らす。

灯りの一切無いこの一室には、その稲妻の白い光は随分眩しい。



「・・・・・・?」



奥の方から、か細い甘い声が聞こえる。

だが、はまるでそれが聞こえなかった様に、何の反応も返してやらない。


ただただ、椅子に腰掛け、外を見ている。

割れた窓の枠に肘を置き、退屈そうに頬を支えている。

靡くカーテンを払いもせずに、役目を果たさぬ窓をすり抜け、自身に突き刺さる雨を浴びながら。


濡れた顔や衣服を意に介す事も無く、は人形の様に動かない。

氷色の冷えた瞳に、雨の一筋が映り込む。

それはやたらと遅く見えた。



「・・・・・・・・?」



か細い声は、より切なく。

何処か涙の色を覗かせて、再び彼に投げられた。

だが相変わらず、の意識はそちらに向かない。



「・・・・・どうしたの、・・・・・」



あまりに素気無いその態度に、悲しい声で問う少女。

解け、寝乱れたその氷色の髪を気にもせず、怯えた様子で近寄って来た。

血色の丸い瞳は、随分憂いのある輝きを宿している。

けれどそれは決して良い類の物ではなく、寧ろ、不祥を思わせる暗い輝き。


白い死に装束を纏うその氷の女は、迷子の様に震えながらへと近寄った。



「・・・・・・?」
「うるさい、寝ていろ」
「・・・貴方は・・・?」



凍て付いた声で突き放されても、雪菜は彼に近寄る。

彼はいつもこうだからと、彼女に問えば返って来る。


そっと雪菜の白い手が、に触れた。


だがその柔らかく縋った手も、邪魔そうに払うだけ。

雪菜の表情が少し曇る。

眉を下げ、を血色の眼でじっと見詰める。

しかしは、相変わらず視線すらやって来なかった。



「・・・雨、冷たくはない・・・?」
「ああ」
「・・・・・眠らないの?」
「少ししたら寝る」



無碍に返される言葉。

雪菜はそれでも、そこから動かない。

も、視線をやる事無く、じっと外へ顔を向けていた。



「・・・・雨って」
「何だ」
「・・・雨って、綺麗ね」
「氷河の国では、降らなかったか」
「ええ。・・・降るのは、誰かの命を奪う、酷く冷たい雪だけ」



は、氷河の国について、あまり詳しくは知らない。

いいや、詳しく知っている者など、氷女達を除いていないだろう。

隔離された死の国。

生きる意味すら見出さない女達を思い浮かべ、は少し苛立った。



「・・・?」
「何だ」
「・・・あの、どうしたの・・・?」
「何がだ」
「そ、その・・・何だか、不機嫌だから・・・」
「うるさい、とっとと寝ろ」
「・・・・・・・・・・」



答える事無く、それだけを返す

だが雪菜は、相変わらず泣きそうな声でに縋った。



「・・・・・・」
「寝ろ」
「・・・・は、氷女が嫌い・・・?」
「ああ」
「・・・・・・・・」



簡潔に、そしてあまりに冷たい返答に、雪菜は言葉を飲み込む。

何となく予想はしていたが、やはり、ショックだ。

自分は氷女である。

それが嫌いだと言う事は、自分の事も嫌っているのだろうか。

聞いてみたいが、今度ばかりは少し怖い。



「・・・寝ろ」
「・・・・・・・・・」
「・・・聞こえないのか」
「あ、あの・・・・・そ、の・・・っ・・・・」



押し殺した嗚咽が聞こえた。





「・・・・何を泣いている」





が初めて雪菜を見遣る。


雪菜の血色の瞳から、ミルク色の宝石が零れていた。

それは硬く。カツカツと音を立てて床に散らばる。

暗く薄汚れた絨毯に、淡い光を放ちながら無惨に転がる涙の宝石。

その数は増え、また増え、彼女の涙が止まらぬ事を知らせていた。



「・・・・嫌・・・・」
「オイ、聞いているのか」



の呼び掛けに、今度は雪菜が反応を示さない。

少し訝しく思っていると、彼女は突然、の胸にしがみ付いた。

ぶつかるように飛び込んで来たその細い体を、思わず反射的に抱き留める。



「・・・オイ」
「・・・・嫌わないで・・・・」
「?」
「嫌わないで・・・嫌わないで・・・私を、嫌わないで・・・」



胸に顔を埋めている為、どうしてもくぐもる声で、雪菜は恐怖する様に訴える。

の衣服を掴んだ白い手は小刻みに震え、唇は嗚咽の為微かに開かれていた。



「嫌われたくないなら、とっとと寝ろ」
「・・・・・・・・お願い、一緒にいて・・・・」
「聞き分けの無い女が、一番嫌いだな」
「・・・・・・・・・・・・」



冷えた声に、雪菜は黙り込む。

だがどうしてもから離れる事が出来ず、彼の胸に顔を擦り付けたまま眼を閉じた。



「・・・何をしている」
「・・・・・眠るの」
「向こうで寝ろ」
「・・・・お願い・・・・眠るから・・・・静かにしているから・・・・ここにいさせて・・・・」



どうやら動くつもりのないらしい彼女に、は大きな溜息を吐いた。

それは、酷く呆れた様子の。


今彼女を強引に突き放す事も出来るが、それではまたこの女が煩いだろうと、ぼんやり考える。

そして不意に、また顔を窓の外へと向け、再び雨を観賞し出した。

どうやら、『もう勝手にしろ』と言う意味を込めた行動らしい。

雪菜も、もう眼を閉じたまま本格的に寝入り始めていた。

の冷たい体温を感じ、ようやく安堵感を得たのだろう。

表情は、穏やかだ。



「・・・・・・・ふぅ」



彼女の緩やかな寝息を聞き、が雪菜の顔を見る。

乱れた氷色の髪が、雨に晒されている所為で顔に張り付いていた。

いいや、前髪だけでなく、着物も、彼女自身の身体も、全て冷たい雨に貫かれている。

氷河の国で生まれ育った為寒さには強いのだろうが、それは何とも哀れな様子だった。



「・・・・・・・・・・」



シャッ。



と、突然と雪菜に降り注いでいた雨が途切れる。

同時に、紅い月の輝きも一緒に。



が、雪菜の姿を見かねて、朽ちたカーテンを閉めなおした為だ。



いくらボロ布の様に成り果てても、面積だけなら大きいそれ。

辛うじて雨をほとんど防ぐ事が出来た。



「・・・全く、ゆっくり景色を観賞していれば・・・」



濡れた雪菜の髪を少し梳く。

ぴちゃりと水滴が滴った。

雨を吸って重くなった髪が、の指に纏わりつく。


それを少し不快そうに払ってから、再びカーテン越しに、窓枠に肘をついた。



「・・・仕方が無い・・・今度は、音でも聴いているか・・・」



見えなくなってしまった雨と月の景色を思い出す様に、が眼を瞑る。

そして、右手で自分の顔を支えながら。

空いた左手で、雪菜の体を支えながら。



魔界特有の赤い雨の音を聴き出した。





魔界の、ある夜。


























END.


雪菜ちゃんは主人公大好きっ子。
主人公は自分の邪魔をされるのが嫌いなタイプ。
意外とダメな組み合わせですが、何となく合ってる。
出会ってどの位だろう・・・ちょっと経ったくらいかな。
主人公が雪菜ちゃんを突き放さない所を見ると。