俺には許婚がいる。
「おーい、巴ー」
美人で、優しくて、淑やかで、料理上手で。
「とーもえー」
俺には勿体無いくらいの、良く出来た許婚がいる。
「おい、巴?」
4歳の頃に、親に勝手に決められた許婚。
「・・・なぁにやってんだ?巴」
でも、例え勝手に決められた同士でも。
「なぁ、巴?」
・・・俺等は、好きあってる。
「あ、ごめんなさい・・・」
「珍しいな、お前がぼーっとしてるなんて」
「ええ・・・ちょっと、外の景色を見ていたの」
縁側に座っていた巴が、微笑みながら振り向く。
何だか、今日はやたらと、巴の笑顔が眩しい。
昔は、こんな風に笑わなかった。
初めて会った時。
4歳の頃だったけど、その頃の記憶はいまだに鮮明。
無表情で、日本人形みたいな女の子だった。
ちょっと怖くて。
何を話しても頷くしかしなかったから、怖くて。
それでも、綺麗な子だと思っていて。
・・・仲良くなりたいと、思っていて。
初めて笑ってくれた時の、あの笑顔。
何をした時だったかは、定かじゃない。
誕生日に、髪を結うリボンをプレゼントした時だったか。
初めてあげたプレゼント。
そのリボンは、今でも巴の綺麗な黒髪を結っている。
もういい加減古いから新しいのを買ってやろうかと思ったが、巴がいらないと言った。
・・・俺から初めて貰ったリボンが、一番良いと言う。
その時は、心がこそばゆくなった。
「それで・・・どうしたの?」
巴が首を傾げる。
ふわりと、綺麗な香りが舞った。
巴の好んでつけている香水。
香水と言うか、まぁオードパルファン。
いや、この香りは元々キツイらしいから、オードトワレか。
丁度良いくらいの、香り。
「なぁ巴、お前のつけてる香水って何だっけ」
「もう、また忘れたのね」
「悪い悪い」
何度聞いても、巴の香水の名が覚えられない。
何故だろうか。
そんなに長い名前じゃない。
確か、白・・・・何とか。梅の香りだから、梅が入ったと思う。
「白梅香よ」
「・・・そうそう、それそれ」
「もう・・・短い名前くらい、覚えてね」
「おー」
そうだ、白梅香。
どうして覚えられないんだろう。
・・・いくら覚えようと思っても、すぐに忘れてしまう。
この香水の、名前だけ。
「・・・それで、どうしたの?香水の名前を聞きに来たの?」
「馬鹿、ンな訳あるか」
巴がまた首を傾げる。
やっぱり、綺麗な匂いが、黒髪と一緒に揺れた。
「いやさ、何つーか・・・」
「?」
「・・・今日、涼しいしさ」
「・・・ええ」
「・・・・・・まーその・・・外歩くには、丁度良いんじゃねぇ?」
「そうね・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
14年間一緒にいても。
許婚として暮らしていても。
同じ家に住んでいても。
同じ部屋で寝ていても。
やはり何だか、何かに誘うと言うのは、少し気恥ずかしい。
「・・・・ふふっ」
「え?」
「・・・誘ってくれないの?」
「・・・・・え、ああ」
巴が、堪え切れ無い様に笑う。
コロコロ、鈴みたいに綺麗な声で。
肩が少し揺れて、また、白梅の香りが舞った。
「・・・あー・・・なぁ、巴」
「なぁに?」
「・・・・散歩、行かない?」
「ええ、勿論」
巴が微笑んで、少し腰を浮かせる。
その様子に、自然に手を差し出した。
巴の手も、自然に、俺の手に重なる。
掴んだその手は、白くて、滑らかで、綺麗だった。
「・・・えーっと・・・んじゃ、行こうか・・・」
「ええ」
繋いだ手をそのままに、俺は縁側から降りる。
いつでもそこから出られる様に、靴が置いてあるから、別に問題は無い。
巴も下駄を置いていて、すんなりそれを履いた。
「良い天気だな」
「ええ、そうね」
「あー・・・何処行こうか」
青い空が広がる。
それは広くて、何処までも続いている様に見えた。
「・・・あ、ねぇ」
「んー?」
巴が、少し嬉しそうに話し掛けて来る。
俺は手を繋いだまま、巴の顔を見た。
やっぱり、何だかやたらと、綺麗だと思った。
「今日、夢を見たのよ」
「夢ぇ?何の?」
「ほとんど忘れちゃったんだけど・・・雪が降っていたの」
「雪ぃ?」
今は、秋。
丁度良い気候になって来たが、まだ昼間は暑い。
それなのに、雪の夢を?
・・・巴は寒がりだ。
寒がりの癖に、雪の夢?
「ふーん・・・ま、そろそろ雪の季節だけどな」
「ええ。それでね・・・2つの場所が頭に浮かんだの」
「2つの場所?」
巴が言う。
俺は、耳を傾ける。
繋いだ手は、暖かい。
「1つは、雪の降る大きな橋。もう1つは、雪の降る山の中なの」
橋?
・・・この辺りに、橋なんかあったか。
一応京都に住んでいる事は住んでいるけど、この辺りにはあまり見当たらない。
昔の名残は割と残っているけれど。
そうだな、例えば、そっちの道の向かいにある、葵屋とか。
俺の道場は、ジジイの代からだから、ンな古いっつー訳じゃないけど。
まぁ、橋は置いといて・・・
山ってのは、あそこの山か?
「山って、いつも散歩で行く?」
「ええ、そう」
「ふーん・・・確かに、あそこは雪降ると綺麗だよなぁ・・・」
樹が白くなって。
全てが銀色に光る世界は、綺麗だと思う。
巴は何故だか、雪が良く似合う。
「・・・よし、行くか」
「え?」
「山。久々に行こうか。少しぐらい紅葉してんじゃねーか?」
「・・・・ええ、そうね」
手を、ついと引く。
それは躊躇い無く、すぐについて来た。
時折、巴の顔を見ると、不安になる。
あまりに綺麗過ぎて。
あまりに良い子過ぎて。
あまりに優し過ぎて。
あまりに好き過ぎて。
巴が誰かに心を移したらとか思うと、少し。
巴を疑う訳じゃない。
俺は巴を大切だと思うし、愛しいと思うし。
許婚と決め付けられても、何とも思わず受け入れた。
でも、巴はどうだったんだろう。
幼い頃、勝手に決められて。
俺はいつも好き勝手やってて、巴を心配させて。
・・・巴は、許婚である事を、どう思ってるんだろう。
最近、何だか、気になりだした。
前までそんな事は無かったのに、ここ最近、急に。
・・・もし。
もし巴に、好きな奴が出来たら。
俺は、身を引くべきだろうと思う。
それも、最近、思うようになった。
「・・・?」
「え?」
ふと顔をあげると、もうそこは山の中だった。
そんなに時間が経っていたのだろうか。
歩いた記憶があまりない。
ずっと、黙ってしまっていたから、巴を不安にさせたかも知れない。
巴の顔を見てみると、やはり、眉を下げて不安そうにしていた。
「あ、ああ・・・ごめん」
「・・・・どうしたの?・・・・突然、黙って・・・・」
「い、いや・・・別に」
「・・・・・・・・・」
「や、やめろってその顔・・・」
巴が泣きそうな顔をすると、俺は何も言えなくなる。
どうしようもなく苦しくなって、俺まで辛くなる。
「・・・何か、あったの?」
「いや・・・何もない。気にすんな」
「・・・・・・・・・そう」
「・・・ん」
巴の手に力が籠る。
悪い事をした気がした。
「・・・・・ここは、綺麗だな」
「・・・・・・・ええ」
木々に囲まれた、この山の広場。
そこは綺麗で、清浄で。
悩みなんか、全部、消えていくようで。
「なぁ、巴」
「?」
「・・・・・お前は俺の、許婚だよな」
「・・・今更そんな事・・・」
「いや、何となく」
「・・・・私には貴方以外、いないもの・・・・」
「・・・・・・そう、か」
巴の手を、少し強く握り返す。
それはとても暖かく。
巴は、俺の許婚。
美人で、優しくて、淑やかで、料理上手で。
俺には勿体無いくらいの、良く出来た許婚。
4歳の頃に勝手に決められた許婚だけど。
それでも、今は、お互い、許婚だ。
・・・・お互い、好きあってる。
それはきっと、この先もずっと変わらないんだろうと思う。
この先の未来も、ずっと。
「・・・・・・・え?」
何かがチラリと、青い空から降って来た。
「・・・・・・・・・・・・・・・雪?」
ずっと、変わらず
好きでいる。
雪が、落ちた。
END.
『壱』で、主人公と巴さんが明治に来る直前の話し。
主人公は、巴さんの心が離れるのを、どこか恐れている。
そしてまだ、心が何処か不安定。
山。雪。橋。そして好きな人。
全て、『想華』本編においてのキーワードです。