トタトタトタ・・・と、忙しない足音が聞こえる。
目を開ければ、まだ空は薄暗く、朝の早い時刻の様だった。
何事だ。と障子の方を見遣れば、影として映る、走る姿。
・・・巴の、影。
『想華 拾』
「巴!」
慌てて障子を開け放ち、彼女の名を呼ぶ。
すると、巴は驚いた様にクルリと振り返った。
その様子に、彼女の存在が夢では無かったのだと、安堵する。
いいや、安堵した所で、彼女は巴では無いのだろうけれど・・・。
それでもやはり、嬉しいと言う気持ちが沸き起こった。
「すみません、騒がしくしてしまって・・・」
「いいや・・・」
見ると、巴は既に着物を纏い、外へと行こうとしていたらしい。
こんな早朝に?外へ?何をしに。
「一体どうした?」
「・・・・・が・・・・・」
巴が俯く。
?殿が、何かしたのか。
憤りを感じる前に、巴が一枚の紙を見せた。
受け取り、見る。
そこにはお世辞にも綺麗とは言えぬ字で、言伝が記されていた。
『ちょっと出かけて来る』
本当にそれだけだが、明らかに殿がここを抜け出したと言う証拠。
・・・・全く、巴に心配を掛けて・・・・何をやっているんだ。
と、また、彼に良からぬ感情を抱きそうになる。
だがコレばかりは、どうしようもない。
彼が巴に心配を掛けているのは、事実なのだ。
「それで、追い掛けようと?」
「はい・・・・・」
「1人でか?危険だ」
「大丈夫です」
「・・・ダメだ。俺も行く」
彼女を1人で行かせるなどしない。
何かあった時に、どうするのだ。
今は殿がいないのだ。
俺しか、彼女を守れる者はいない。
「そんな、ご迷惑をお掛けする訳には・・・」
「迷惑じゃない。俺が行ってはいけないのか?」
「・・・いえ、そんな・・・」
「・・・・何かあったら、大変だろう?」
俺が言うと、巴は少し悩んだ後、控え目に頷いた。
「よし、・・・では、少し待って貰えるか。寝巻きのまま外へは行けん」
「はい。・・・ごめんなさい・・・巻き込んでしまって」
「いいや、良い。何かあったらすぐに呼べ」
「はい」
淡く微笑む巴に暖かい何かを覚えつつ、俺は少々急いた気分で、自室の障子を閉めた。
まだ人気の無い街中を、巴と共に歩む。
隣に感じるこの気配が愛しくて、少し歩幅を遅らせた。
風に乗って香る白梅の香りが、懐かしい。
ダメだ。どうしても、巴本人にしか思えない。
ここまで同じなら、仕方無いだろう。
そう、自分を納得させながら、少し、巴本人が戻って来たと錯覚してみた。
「・・・・巴」
「はい」
静かな声が返って来る。
やはり、この声は巴だ。
他人になぞ、思える筈が無い。
「巴、昨日の話だが・・・・」
「はい」
「お前達は、何処から来たか答えられないと言っていたな」
「・・・・・はい」
巴が俯く。
違う、そんな顔をさせたくはない。
「すまない。答え辛い事なら良いんだ」
「すみません・・・昨日、と話したのですが・・・」
巴の口から、巴の声で。
違う男の名が呼ばれるのは、どうにも気分が悪い。
・・・・本当に、俺は一体どうしたんだ?
何故こうまで、嫉妬が顔を覗かせるんだ。
「昨日、殿が抜け出そうとしていたのと、関係が?」
「・・・・・・・はい」
「・・・・そうか・・・・」
だが、ふと思い出す。
昨日殿は、京都から旅をしている。と言っていた。
・・・巴は言えないのに、殿は言っていた。
・・・・・?
「巴、昨日、殿は京都から旅をしていると言っていたのだが」
「え?・・・・・はい、確かに、京都に住んでいましたから・・・・・」
ドキリ。とする。
京都。
この巴は、やはり、京都にいた。
・・・何故こうも、条件が揃うのだ。
やはり、この巴は?
・・・いいや、だから、巴は死んだのだ。
・・・・・俺が、この手で。
「・・・でも、本当は・・・」
え?
「・・・本当は?」
巴が言葉を詰まらせる。
本当は・・・何だ?
「京都には、住んでいます。・・・でも・・・」
「・・・・でも?」
胸騒ぎがする。
何か、コレを知ってしまったら・・・
巴が今から言わんとする言葉を聞いてしまったら・・・
何かが、戻れなくなる様な気がした。
「・・・ごめんなさい。忘れて下さい」
「・・・・巴」
「多分、言っても・・・信じては、下さらないでしょう」
「何故そう決め付ける。俺は、お前の言葉を信じる」
強く告げると、巴は俯かせていた顔を少し上げ、俺を見た。
漆黒の、憂いを帯びた瞳が美しい。
その瞳はやはり、巴の物で。
他人ではない。彼女は、巴だ。
・・・だが・・・
また、この思考が延々と頭を流れる。
それに今は、巴の言葉の続きも、気になる所だった。
「・・・ありがとう御座います。でもコレは、私だけでは、話せません」
「・・・・・殿か」
「はい。・・・すみません。ともう少し話してみます」
「・・・・どうして」
「え?」
「・・・・・・・・いいや、何でもない」
「・・・・はい」
どうして、そこまで殿に許可を求めなければならないのか。
彼女の判断であれば。そしてそれが最善であると判断すれば、俺にだけ言えば良いのに。
巴が言わないで欲しいと言うなら、誰にも言わない。
巴が信じて欲しいと言うなら、それがどんな話であろうと信じる。
それなのに・・・と、また勝手な嫉妬が沸き起こるのに気付き、慌てて思考を遮断した。
「それにしても、殿は何処へ行ったのだろうな」
沈んだ空気を変えようと、別に話題を振る。
すると巴は顔をあげ、少し怒った様な表情を見せた。
昔は、こんな表情を見せなかったから、やはり、新鮮だ。
・・・本当の巴では、無いのだろうが。
「ええ、本当に・・・・・どうして、いつも1人で・・・・」
「いつも、なのか?」
「はい。・・・いつも私を置いて、何処かへ行ってしまいます」
「・・・そうか」
「・・・・・そう言う性格だと、わかっているのですが」
巴を置いていく。
何故、そんな事を。
俺ならば、置いていかない。
ずっと、彼女の傍に。
「・・・・・あ」
不意に、巴が声を上げる。
その声に俺も前を見てみると、そこには、殿の姿。
どうやら診療所から出て来た所らしく、まだコチラには気付いていないらしかった。
「・・・っ」
途端、巴が走り出す。
着物姿である為に、思うように走れていないらしいが。
それでも、一心に殿の姿を見つめ、走っている。
ジリリと、嫉妬で胸が痛んだ。
もうダメだ。
10も年下の青年に、と。
彼女は本当の巴では無いのだから、と。
考えてはいたが、やはり、無理だ。
彼女が巴に見える。
見えて、仕方が無い。
いいや、他人だと疑える要素が無い。
ただ1つ、あの時、彼女は俺の腕の中で逝ったのだと言う事以外。
そんな彼女を見て、嫉妬をするななどと、無理な話だ。
「!」
「うぉ!?」
巴が彼の名を叫ぶ。
そんな大声も、普段は殆ど聞く事は無かった。
だが次の瞬間、俺は本当に珍しい光景を眼にした。
パァン!!
巴の白く細い手が、殿の右頬を思い切り叩く。
余りに綺麗な音に、俺も、殿も、そしてこの場の空気も。
見事に、しん・・・と沈黙した。
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緋村が吹っ切れ始めたぞ主人公ーーー!!!
もう抜刀斎の本性剥き出しモロ出しですね。
これはモザイクが必要だ。