遅い。


そう感じたのは、皆昼餉を終え、各々の部屋に戻った時。


巴と殿がまだ戻って来ない。


・・・・気になる。











『想華 拾肆』











別に、ゆっくりと2人で食事をしているのかも知れない。


だが、それはそれでやはり、腹立たしいと言うか。


ああ、いかんいかん。

落ち着け、これ以上彼に当たってどうする。


・・・殿は俺を警戒している様だしな。


・・・・アレだけ睨みつければ、そうもなるか・・・・




「あ、ねぇ剣心」
「ん?・・・ああ、薫殿・・・」
「悪いんだけど、ちょっと頼まれてくれる?」

薫殿が、障子を少し開けて言う。
何だろうか。

さんの服、血で汚れてたじゃない」
「ああ・・・そうだったでござるな」

昨日、絡まれている燕殿を助けた際に、彼は怪我をしていた。
確か左頬を切られていたな。


綺麗に、縦筋に。


俺も巴の命を奪う前は、丁度殿と同じ様に一筋の傷痕だった。

そんな所に共通点を見出した所で、意味は無い。

俺は今、巴の刃によって十字の傷へとなったのだし。


「それでね、血って中々落ちないけど、洗濯くらいは出来ると思って・・・」
「そうでござるな。・・・しかし、殿は・・・」
「それなの。ちょっとさん達、帰って来るのが遅いから・・・もしかしたら迷ってるのかも」
「ああ・・・なるほど」
「だから迎えに行ってあげてくれる?」
「承知したでござるよ」

彼等は久しぶりに東京へ帰って来たらしかったし。
迷う事もあるだろう。

ならば、早い内に。


「では、行ってくるでござる」
「うん、宜しくね」


薫殿はそのまま何処かへ行ってしまった。

恐らく、弥彦の稽古だろう。



「・・・さて・・・」



くっと腰をあげ、刀を整える。



殿の傷を思い出し、何故か、俺の左頬もじくりと痛んだ。












赤べこへと1人向かう途中も、やはり頭には巴の姿が浮かぶ。


どうしても。どうしても。


他人ではない。彼女は、巴だ。あの巴だ。


だが何故ここにいるのだ。

恵殿の言う様に、死者?

・・・いいや、それは無い。

それは御伽噺の世界。在り得ない事だ。


だが・・・


・・・ああ、もう。

この思考は、昨日からだ。



・・・落ち着こう、今夜になれば、わかるのだ。



殿のあの眼を見れば、相当な決心がついたのだろうとわかる。

・・・今夜知る事が出来る。



・・・巴の事を。








「あーもー悪かったって!!」
「・・・・・・・・・」
「ちょ、ちょっと、お巡りさんも何とか言って下さいよ!!」
「知るか」
「えぇー!?」


・・・・・・・この声は。


ふっと向こうの通りを見てみると、巴と、殿。

そして・・・・斉藤?

何故斉藤が?

・・・いいや、それより、殿が何か巴に謝っていた。


巴は、無表情だ。


まるで、俺と出会った当初の様に。


・・・・また、彼が何かしたのか。






「・・・・あ、緋村さん」


殿がこちらに気付く。

それと同時に、巴の手を引いてこちらに駆け寄って来た。


その余りに自然な仕草に、知らず眉間の皺が寄る。


「あ・・・あのー・・・緋村さん・・・?」
「・・・どうしたのでござる?」
「い、いや・・・・えーと・・・・ど、どうしてここに?」

殿が脅えた様子で伺って来る。
ああ・・・またやってしまった。
気をつけようと、先程思ったばかりなのに。

「いや・・・遅い様だったから、見に来たのでござるよ」
「あ、そうだったんですか、すみません・・・・」
「・・・・で、何故お前がいる?」

苦笑いする殿から視線を外し、後ろに立っていた斉藤に意識を向けた。

「フン、このガキに聞け」
「えー・・・お巡りさん、勘弁して下さいよ・・・」

斉藤も殿も、互いに事情を話すのが嫌らしい。


巴の方を見てみると、少々不機嫌なのか相変わらず無表情だった。


その無機質な美しさに、ドキリとする。

昔、近所の子ども達はそれを怖いと称したが・・・今は純粋に、美しい。

この表情を見ても、やはり彼女は、巴だ。


「っつーか巴!いつまで怒ってんだよ!」


殿が唐突に巴に我鳴る。

だが巴は、無表情のままツンとソッポを向いてしまった。

・・・・やはり、殿が何かしたのだな。


「・・・殿。・・・一体何を?」
「えーー・・・・っとぉ・・・・は、話すとちょっと長いんで、どっか座れるトコ無いですかね・・・」

そう言われ、周囲を見回すが、この辺りは休める場所は無い。

少し思案していると、斉藤が面倒そうに言った。


「ここから署まですぐだ。来い」
「えぇ!?警察署ぉ!?俺犯罪者じゃねーですよ!!」
「うるさい。取調べだ」
「さっき赤べこで事情話したじゃないですか!!」
「緋村。お前も来るんだろう」

斉藤が殿の耳をぐっと引っ張る。
ああ、痛そうに。

巴も、先程の無表情を崩して、心配そうにを見ている。

・・・・じくりと、胸と十字傷が痛んだ。

「・・・ああ、行こう」
「えぇぇ!?緋村さんまで・・・!!」
「来い、ガキ」
です!!」


殿は斉藤に耳を引っ張られながらも、巴の手を握っている。


・・・・思わず、苦い思いで眼を逸らした。










「・・・では、また殿が喧嘩をしたのでござるな」
「え、ええまぁ・・・で、でも、人助けなんですよ!!」
「ああ、わかっているでござるよ」


警察署で話を聞いた所、昨日の輩とまた一悶着起こしたらしい。

いいや、再び絡まれていた燕殿を助けただけらしいのだが・・・

・・・やはり、巴に心配をさせたのは、頂けない所だ。


「・・・それで、巴」
「はい」
「お前は、怪我は無かったのか」
「はい。が助けてくれましたから」
「何?・・・何かあったのか」

殿が助けたと言う事は、危険な目に合ったと言う事だろう。
思わず、身を乗り出して問うた。


瞬間、斉藤の驚いた様な視線を感じ取り、しまったと思うももう遅かった。


「いえ・・・お店のお客さんが乱暴に突き飛ばされたらしくて・・・」
「俺等が店入った途端に、その人がぶっ飛んで来たんですよ。
 それが巴に当たりそうになったから・・・」
が助けてくれましたから、何ともなかったのですが・・・」
「・・・そうか」

取り敢えず、怪我は無いらしい。

それにコレばかりは殿の所為ではない。

彼を睨んでは、ならない。

「・・・でも、
「ん?」
「昨日・・・喧嘩しないって、言ったのに・・・」
「お、俺の所為じゃねぇだろ!それに人助けだから仕方ねーって」
「でも、あんな風に挑発するなんて・・・危険だわ」
「わぁってるよ」
「・・・・・・・・・・」
「っだーから!その泣きそうな顔やめろよ!俺すっげぇ悪いみてーじゃねぇか!!」

殿が巴に怒鳴る。
いいや、焦りや照れが混ざっているのだろう、顔は少し赤い。
・・・だが、見ていて気分の良い物でも、ない。

殿にそう言われた巴は、少し俯いてしまった。


苛立ちが、沸々と胸に湧き上がる。


「・・・殿、巴はお主を心配しているのでござるよ」
「え?・・・あ、はい・・・」
「あまり、そう言う物ではない」
「あ、は、はい」
「良いんです。私が少し心配性なもので・・・」

巴が、殿を庇う様に言う。

それを見て、苛立ちと後悔が心を掻き乱した。


殿に何か言えば、巴が傷つく。


・・・・巴を、傷付けたくはない。


「・・・まぁ、怪我が無くて何よりでござるよ」
「は、はぁ・・・」
「・・・そうだ、殿。薫殿が、お主の着物を洗いたいと言っていたのでござるよ」
「へ?」

殿がキョトンとする。

それから自分の服を見直して、あぁと納得した様に呟いた。

「あー・・・でも、落ちるかなぁ・・・」
「血は中々落ちないでござるが・・・洗わぬよりマシでござろう」
「そーですね・・・あ。でも代えの服がねーや」
「そうでござるな・・・」

彼の服は、見れば見る程珍しい。

西洋の物であろうが・・・こう言った物は、見た事が無い。

形で言えば斉藤の着ている警官の制服や、左之の物と近いが。

「んー・・・まぁ、何とかなるかな・・・」

洗うべきだと判断したらしく、殿がポツリと言った。
そして、よっと立ち上がり、斉藤へと顔を向ける。

「えーっと、お巡りさん、後宜しく!」
「何が宜しくだ、阿呆」
「だ、だってさぁ・・・ま、今回は人助けだったって事で!」
「フン・・・」

斉藤が呆れた様な表情を見せる。

そして、ヒラヒラと追い払う様に手を振った。


「じゃ、お邪魔しましたー」
「どうも、ご迷惑をお掛けしました」
「お前は何もしていない。そこのガキだけだ」
「どうもすみませんでしたねぇ!!」

殿がヤケになって叫ぶ。
彼も斉藤とは馬が合わないらしい。

「それじゃあ・・・戻るか」
「ええ」
「・・・おい緋村、少し話しがある」
「?」


巴達と外へ向かおうとした時、斉藤が珍しく呼び止めて来た。


・・・何だ?一体。


「どうした」
「話がある。残れ」
「・・・・しかし」


巴達だけにすると、また何か問題を起こしそうだ・・・

・・・それに、もうこれ以上2人だけの姿を見ていたくない。


「あ、俺等なら大丈夫ですよ。道わかりますし」
「ええ。・・・どうぞ、お気になさらず」
「・・・だが」
「ホ、ホラ!もう面倒事には関わりませんから!!」

俺の視線から察したのか、殿は慌てて付け加えた。
・・・昨日もそう言っていたが・・・信用は出来ん。

「・・・・本当でござるか?」
「は、はい。これ以上喧嘩したら、巴に殺されますから」
「い、!」

茶化す殿に、巴が顔を赤くして彼の裾を引っ張る。

そんな様子でさえ、今の俺には苛立ちしか感じられない。


・・・全く、俺も本当に女々しい奴だ。


「・・・では、気をつけて」
「はーい」
「それでは、また」
「ああ、巴、気をつけて行け」
「はい」


2人が戸の外へ出たのを確認し、クルリと斉藤に向き直る。

とっとと終わらせたい。



「・・・で、何だ」
「お前、あの娘とどう言う関係だ?」
「・・・どう言う意味だ」

突然の言葉に、ドキリとする。
巴と?・・・何を、感じたのだろうか。

「あの娘に向けたお前の声、そして眼・・・懐かしい感覚を覚えた」
「・・・何が言いたい?」
「あの娘を見ていた時のお前は、抜刀斎そのものだったぞ」
「・・・・・・・・・・・」

確かにそうかも知れない。
・・・巴が傍にいれば、そうなってしまうのも、仕方ない。

「どう言った関係か・・・興味があるな」
「言っておくが、彼女に近づくな。彼女は・・・関係無い」
「ほぅ。・・・だがまぁ、あの娘といた・・・とか言う小僧は、随分と体術の覚えがあるな」
「・・・・そうなのか」
「ああ。どっかのトリ頭より、余程腕が立つ」

トリ頭。とは、左之の事だろう。

・・・彼より、殿の方が?

・・・・それは、意外だった。

だが斉藤が言うのだから、間違いは無いのだろう。


「・・・で、話はそれだけか」
「ああ。お前とあの娘の関係に、まだ興味はあるがな」
「彼女に近づくな」
「わかったわかった」

斉藤が、煙草に火をつけながら面倒そうに言った。
ああ、もう、さっさと行こう。






と、戸に手を掛けた瞬間、背中に斉藤の声が突き刺さった。






「緋村。いい歳の男が嫉妬とは、見苦しいぞ」






その一言に、ぐっと苛立ちを飲み込んでから、乱暴に戸を開け、力任せに締め切った。






わかっている。

自分が見苦しい嫉妬をしている事くらい。

いつまでも巴の姿を思い描き、焦がれている事くらい。




殿に、ほんの少しばかり、憎しみにも似た感情を、覚えている事くらい。




































NEXT


緋村がハッキリと主人公への憎しみを明言致した。
主人公はそろそろ逃げた方が良い。
斎藤さんは傍観決め込んでますが、興味はある様子。
さて、次回とその次、15話・16話で一区切りとなります。
17話から第二幕。