薄っすらとした光を閉じた目蓋に受け、シンが小さく呻く。
そして、その光に促されるように、その眼をゆっくりと開いた。
眼に入るのは、マンションの一室。
何処のマンションか知らない筈なのに、自分はそれを知っていた。
自分の住んでいる場所なのである。
勿論ミサトの家ではない。
それでも自分の住んでいる所なのである。
朝の日差しは、白いカーテンの阻まれ、隙間からようやっと覗く程度。
時計の秒針が忙しなく時を刻む音。
外から聞こえる鳥の囀り。
先まで感じていた恐怖。血の臭い。母の慟哭。
それら全ては夢だったのかと一瞬思案するも、すぐにその考えは打ち消される。
ここは、自分が望んだ世界だ。
ふと、それを思い出した。
在り得ない話の割に、それはすんなり事実として受け入れられた。
自分が世界を作ったと言う実感は皆無であるが、それでも、それは事実なのだと理解した。
ここが自分の望んだ世界ならば。
エヴァは無い。使徒も襲って来ない。平和な世界の筈。
何かもっと確信めいた物が欲しいと、シンがベッドから起き上がり、辺りを探ろうと部屋を数歩進んだ時。
「おやシン君、お目覚めかい?」
扉が静かに開き、柔らかな声が耳に届く。
開いた扉を見遣れば、銀の髪を揺らし、紅い眼を優しげに細めた、カヲルの姿。
ああ、やっぱり、ここは自分が望んだ世界なのだ。と。
カヲルの姿を認めたシンは、今度こそ確信を得て、ほっと安堵の息を吐いた。
「大丈夫かい?シン君」
「う、うん・・・大丈夫」
「三日も眼を覚まさなかったんだ、心配したよ」
「・・・三日?」
カヲルから告げられた日数に、シンは首を傾げる。
自分がどんな世界を望むかを問われ、母の叫びを聞いたのは、つい先程の様な気がするのだ。
疑問を感じるシンに、カヲルは以前と変わらぬ微笑でシンに答える。
「世界を創造するのは、それ相応の労力が必要だろうからね。
疲れてしまったんだろう。君は三日間、眠り続けていたよ」
「そう・・・なの?・・・あ、て事は、やっぱり此処は・・・」
「君が望んだ世界。・・・君だって、わかっているんだろう?」
クスクスと笑われ、シンが顔を赤らめながら、それに微笑む。
それを受けてから、カヲルは更に今の状況を説明し始めた。
「君が眠っている間、色々調査してみたよ。
まず、君の父上と母上はご存命。電車で5駅先の地で研究所を設立しているみたいだ。
それと、ファースト、セカンドは、同じマンションに住んでいるよ、ルームメイトらしいね。
他のネルフ所員達は、君のご両親の研究施設に同じく所員として。
他の君の友人達は、普通の学生として暮らしている」
すらすらと周囲の状況を告げられ、シンは慌てて頭の中で整理する。
しかし、今は皆、誰もが平和に暮らせているのだと理解すると、胸の奥から歓喜が湧き出た。
「それと、皆にエヴァについての問いを掛けてみたら、誰一人として記憶していなかったよ。
返して来たとしても、旧約聖書のアダムとエヴァのそれだけ。
使徒についても、全く同じ回答だった。良かったね、シン君」
「う・・・うん・・・」
カヲルの言葉を聞き、泣きたいくらいの喜びが広がる。
もう戦わなくて良い。
誰も失わなくて済む。
平和に暮らしていける。
それが兎に角、嬉しかった。
「君の事は皆、覚えている。僕の事も、普通の人間として誤認識されているよ。
君は熱を出して寝込んでいるって、ファースト・・・いや、レイ君とアスカ君には伝えておいた」
「そ、そうなんだ。・・・・・・・・普通の人間として、誤認識?」
一度その言葉に頷くも、すぐに引っ掛かりを覚える。
カヲルは何を言った。
普通の人間として、誤った認識をされていると。
どう言う事だ。とカヲルを縋る様な眼で見ると、カヲルはまだ優しい微笑みを浮かべたままだった。
そして、その笑顔のまま、脈絡無く話を始めた。
「人であった者達は皆姿を失い、1つになり、そしてまた君の願いで人の容を得た」
カヲルが、自身の制服のシャツのボタンを、1つずつ外し始める。
シンに、背を向けて。
カヲルのその行動に驚きはした物の、言葉の先が気になり、何を口にする事も無く、待つ。
「この世界の始まり。最初の地にいたのは、君と僕だけ」
胸騒ぎが、暗雲の様に広がる。
シンは何も出来ないまま、ただ、自身の制服のスカートを握り締めた。
「君はもう人じゃない。人々が交わった時にそれを個体として傍観し、この世界を創造した、一線を画す上の存在」
カヲルがボタンを全て外し終える。
先までボタンに掛かっていた白い両手は次に、シャツ自体に掛かった。
ゆっくりと、カヲルがそれを下げていく。
両肩が見える。白い両肩。
「そして神たる君は、僕と生きる事を望んだ。平和な世界で。エヴァが消えた世界で」
それでも。と言いながら、カヲルがシャツを脱ぎ終える。
そのまま、白い背を向けたまま、無造作にシャツを床へと投げ落とした。
シンの身体に戦慄が走る。
「・・・君は、使徒が消えれば良いとは思わなかった。・・・僕が使徒だから?僕を人にしたいとは考えなかった?」
その一言で理解した。
彼は、人ではないのだ。
彼はまだ・・・・。
カヲルが振り向く。
シンの眼が、絶望を乗せて見開かれた。
「僕は、使徒のまま」
白い胸に、ドクリと息衝く、紅い球体。
コア。
使徒の心臓。
一瞬で恐怖が背筋を駆け抜け、シンの身体が大きく震え出す。
「新しく作られた世界、争いの無い、君にとってのこの楽園」
カヲルが一歩足を踏み出す。
シンの身体が、それに合わせる様に一歩後退った。
「その楽園の始まりに存在した、エヴァの記憶を持つ君」
もう一歩踏み出せば、また一歩シンは下がる。
彼女の口は何かを言いたそうに震えているが、漏れるのは言葉にならない掠れた声。
「そして、アダムの魂を持つ、唯一の使徒である僕」
更に一歩、カヲルが踏み出す。
シンも一歩下がろうとしたが、ベッドに阻まれ、そのままシーツの上に座り込む。
「っ・・・カ、ヲル、君・・・?」
漸く出た声で名を呼び、何と問うでもなく見上げる。
身体の震えが止まらない。
平和を願った。エヴァの無い世界を願った。使徒の襲って来ない世界を願った。
そしてただ、カヲルと一緒に生きたかった。
それだけだった。
彼が人であろうとなかろうと、変わらず好きだったから。
だからこそ、彼が人になればなんて、考えもしなかった。
「?!・・・カヲル君、どいて!どいてよ!!」
ベッドに座っていた身体を、カヲルがそのまま押し倒し、覆い被さる。
脈打つコアが、シンの胸に当たった。
「ねぇシン君、もし君が僕の子を孕んだら、それは使徒なのかな。
それとも、君の血を引く?神が生まれる?ねぇ、どっちだろうね」
カヲルの言葉を、耳元で聞く。
出来れば、考えたくない事柄だった。
けれど、身体は動かず。
見開いたままの眼で、カヲルの微笑んだ顔を見詰めていた。
「僕と生きたいと願ってくれた君。どうして自分が幸せになろうと思わなかったの」
君の母君は、泣き叫んで止めていたけれどね。
言葉を受けたシンが、嫌だと両手でカヲルの身体を押し返そうとする。
それでも、細身なカヲルの身体は、ビクとも動かなかった。
「君が望んだ楽園で。また始まるんだよ。
アダムとエヴァがいる限り、罪はまた繰り返す。
・・・さぁ、始めようかシン君」
罪を。
カヲルの綺麗な微笑み。
その細められた林檎色の眼に映ったシンは、声を発する事さえ出来なかった。
そ
し
て、罪
新世界の設定。
個人的には綾波とアスカも覚えてて良いかな。と思いますが。
それでもやっぱり、アダムとエヴァを地で行って欲しかった。
ささやかな幸せを求めただけなのに、得られたのは新たな罪。
シンちゃんの右腕が失くなるのは、もうちょっと後。