声が聴きたくなる。
魔界の月は相変わらず紅く。
まるで己の、忌んだ眼ではないかと冷えた頭で考えた。
声が聴きたくなる。
月に。脳裏に。ふと浮かぶ、愛しい女の顔。
幾多もの血を被って来た筈なのに、これ以上無い程血の似合わぬ女。
愛らしい顔。小さい躯。桜の髪。
そして、琥珀の様な。
悠久を見つめて来た、深い、瞳。
声が聴きたくなる。
幾ら来いと言っても、知らぬ顔ですり抜けるあの女。
この世を好けとは言わぬと、何度も言った筈なのだが。
幾ら言えど、幾ら待てど、幾ら焦がれども、来やせぬ女。
会いたいのに。逢いたいのに。
そんな俺の気を知っている癖に、知らぬ顔ですり抜けるあの女。
声が聴きたくなる。
血に汚れた風が吹く。
それは思いの他冷たく、身体の芯まで貫いた。
そう言えば、そろそろ、人間界は冬と言う季節。
あの女も、寒いと感じているのだろうか。
気紛れに吹き付ける風を、冷たいと感じているのだろうか。
俺と同じ様に。
俺と同じ事を。
つまらぬ空間を隔てた世界で、お前は感じているのだろうか。
声が聴きたくなる。
静かだ。
魔界の夜は、まるで、全てが死に絶えた様に。
この様に静かならば、人間界の音すら聞こえるのではと。
あの女の声も聞こえるのではないかと、耳を澄ます。
けれど、耳に届いたのは、哀しく脆い風の音。
銀色の、澄んだ声は、聴こえない。
声が聴きたくなる。
眠れない。
何故だか知らぬが、眠れない。
最近は退屈だったからか。
何事も無く平和過ぎて、身体が鈍っているからか。
退屈過ぎて、暇過ぎて、いつでもあの女の事を考える。
いつか誰かが、暇な時にはつい、惚れた女を思い浮かべると言っていた。
俺は毎日退屈だ。
俺は毎日暇だ。
だから、毎日、つい。
気が付けば、アイツの事を考えている。
声が聴きたくなる。
こんな風に何かが不安な夜には。
認めたくない、心を脅かす感情に晒される夜には。
それを、お前の言葉で表すならば、『寂しい』と感じる、こんな夜には。
逢いたくなる。
触れたくなる。
今は、きっと、お前は夢でも見ているのだろう。
幾多の命を奪って来たとは到底思えぬ、あどけない顔で。
安らかに、眠っているのだろう。
けれど、俺は、未だ眠れない。
声が聴きたくなる。
こんな月の紅い夜には
こんな風の吹く夜には
こんな静かな夜には
こんな眠れぬ夜には
こんな不安な夜には
こんな寂しい夜には
お前の声が、聴きたくなる。
END.