鳴らない携帯。

時間の針はは既に0を通り越し、新たな一日を30分程刻んでいた。


冷たいまま黙り込んだ携帯をポイと床に捨て、冷たいシーツの上を転がる。

シングルのベッド。

いつもは自由に寝返りなんて打てない程狭く、抜け出したくない程暖かいベッド。


なのに。


じんわり滲み始めた涙を、大好きな体温の無いシーツに零す。

1人きりのベッドは、決して広くない筈なのに、どうしようもなく寂しくて。




「・・・ばか」




『少し遅くなる』


そんなそっけないメール1つ寄越したまま、日付が変わっても帰って来ない克哉に、悪態を吐く。

でもそれは酷く弱々しく、幼子の様に震えていた。

夕飯だって1人で。

お風呂だって1人で。

何をしても1人きりで。

いつ帰って来るかわからない不安が、胸を押し潰す。

何かあったのではないかと言う恐怖が、心を締め付ける。



「・・・・ばかつや」



もう一度、今はいない克哉に向かって。

何処で何をしているかもわからない、大好きな克哉に向かって。

小さな悪態を吐いたけれど、それはもう、涙に濡れて音にすらなっていなくて。



「・・・・・・はやく、かえってきて・・・」



寂しさに耐え切れず、冷たい枕に顔を埋めて、目蓋を焼く様な熱い涙を掻き消した。














「・・・・・・・・ん」


目蓋に感じた淡い白の、眩しい朝日。
そして、暖かい体温と、少々の息苦しさに、眼を覚ます。

薄く開いた眼にまず飛び込んで来たのは、克哉の胸板。

規則正しく上下する穏やかなそれは、随分と間近にあり。

そこでようやく、克哉に抱き締められているのだと理解した。


「・・・・・・あ」


取り合えず自由に動く顔を上に向けると、触れ合ってしまいそうなくらい近くに、克哉の顔。

意外と長い睫毛が、閉じた眼の下を薄く陰らせていた。

唇が少し開き、ゆっくりとした寝息が零れる。


「・・・・・・・・」


いつ、帰って来たんだろう。


確か、1時になる前には意識を手離した様に思う。

・・・と言う事は、その後に。

そんな遅くなったのに、克哉は結局、何も言ってくれなかった。

遅くなるってメールは一度来たけど、少し。って書いてあったし。それだって6時頃に来たんだし。


散々人を不安にさせておいて。

散々人を心配させておいて。


当たり前の様に人を抱き枕にして、穏やかに寝こけている克哉が何だかちょっと憎らしい。



「・・・ばか」



一言、寂しさに震えた昨日とは違い、不貞腐れた色を混じらせ、声にする。


そのまま、キツク抱き締められている腕の中を強引に動き、クルリと克哉に背を向けた。







「そう怒るな」
「わっ!?」







少し離れた身体を、また、ぐっと引き戻される。

明らかに、押し殺した笑いで声を震わせながら。

どうやら起きたらしい克哉が、私にそう言った。


「・・・・おかえり」
「ああ、ただいま」


わざとらしく言ってやれば、克哉もわざとらしく返して来る。

それがまた腹立たしく、再度抱き寄せられても、ツンと背を向けたまま。


「・・・こっちを向け」
「いやっ」


おかしくて堪らないとでも言いたげな、笑みを含んだその声。

髪を優しく梳く指先に惑わされそうになるけれど、私は今、怒っているのだ。

振り向いてなんか、やらない。


「克穂、こっちを向け」
「・・・いや」


名前を甘く呼ばれても、振り向かない。

私が昨日、どれだけ寂しかったかわかる?

どれだけ心配したか、どれだけ不安だったか、わかる?

心の中でそう呟きながら、まだ、拒絶を口に乗せる。


「・・・俺が悪かった。・・・だから、こっちを向け」
「・・・・知らない」


耳を擽りながら、優しく囁く。

殊勝な克哉の態度。でも、それは、半分は私へのからかいを含んでいるって、知っている。

だから、本気で悪いとなんて思ってない克哉の顔なんか、見てやらない。

・・・昨日は、あれ程見たいと思っていた克哉の顔だけど・・・

今は良い。克哉なんて、知らない。


「・・・・ホラ」
「・・・っちょ、っと・・・っふふ・・っ・・や、くすぐった・・・あははっ・・・」


突然、身体を拘束していた腕が、私の脇腹を擽り出す。

爪先で優しく刺激され、そのくすぐったさに思わず身を捩って喉を震わせた。

快感に良く似ているその刺激は、起き抜けの身体に酷く鮮烈で。

もぞもぞと克哉の手から逃れようともがくのに、克哉はそれを許してくれない。


「こっちを向く気になったか?」
「んっ・・んん〜〜っ・・・や、だぁ・・・っ」


手を緩めないままに言う克哉に、私も笑い声を噛み殺し、もう一度拒絶を伝える。

すると脇腹を攻めていた手が止まり、再び私の身体を、さっきよりも強く、キツク、抱き締めた。

背中に克哉の胸が押し付けられる。

1mmの隙間すらない、完全な密着。

パジャマの薄い生地越しに、克哉の素肌が当たり、そこから鼓動が伝わって来る。

その規則正しい音に、ついつい、また、眠気が襲って来た。



けれどそれは、克哉が零した溜め息により、パッと冷めてしまう。



「・・・はぁ」
「・・・・・・」



・・・怒ってしまったのだろうか。

私が、あんまり分からず屋だから。

克哉が優しく言ってくれてるのに、我儘に拒絶を続けるから。


・・・・・・どうしよう。


怒っていたのは自分の筈なのに、悪いのは克哉の筈なのに。

克哉が怒って、呆れて、自分に愛想を尽かしてしまったのではと、急速に、不安が胸に広がる。

でも、今更張っていた意地を捨てて振り向くのも気が引け、克哉の腕に収まったまま冷や汗を流す。

・・・怒らないで。

ただ、克哉が昨日帰って来てくれなかったから。

不安で、寂しくて、心配で、どうしようもなかっただけなのに。


昨日とは違った意味で、泣きたくなる。

克哉を怒らせてしまったのだと、酷く悲しくなる。


お願い、怒らないで。

ごめんなさい、克哉。

・・・何か、言って。


じんわり涙が浮かび、潤み始めた視界。

そこに、克哉の長い指が滑る。


「え・・・・」
「・・・泣くな」


克哉が、目尻に溜まった涙を、指先で拭ってくれた。

そのまま、また髪を梳き、私の耳に口付けを落とす。



「・・・お前の顔が、見たい」
「・・・・・・・・・」



何度も何度も、啄ばむ様な口付けを耳に、髪に、項に落とされ。

それに負けないくらい柔らかい声で、甘く囁かれて。

その声が、言葉が、怒ってないって・・・言ってくれていた。


私が張ったつまらない意地を捨てるタイミングを、克哉がくれたのだから。

私も、素直に身体を動かし、また、克哉と向き合い、腕に納まる。


大人しく克哉の胸に顔を押し付ける私の頭を、大きな手が、大好きな手が、撫でてくれた。


「・・・・なんで昨日、遅くなったの?」
「本多の馬鹿に引っ張り出されたんだ。デカイ取引が成功した祝いだとか言ってな」
「・・・・・・そう」

そう言えば、今重要な取引の最中だと、ついこの間聞いた気がする。
それが、片付いたのだろうか。
・・・それは、目出度い事だと、素直に思う。
そしてそれを祝う為に飲みに行ったのなら、私は別に咎めるつもりなど無い。

・・・でも、それにしたって。

「・・・連絡くらい、してよ」
「俺も、もっと早く帰るつもりだったんだ。お前の起きている内にな」
「・・・・でも」
「そうしたら、以前気紛れで餌付けた猫が絡んで来てな。時間が取れなかった」
「・・・・・猫って」

多分、克哉が前に相手をした女の子だろう。
克哉らしい言い回しに、思わず溜め息を吐く。

恐らく、その”猫”と呼ばれてる女の子と会った時間が既に、遅かったのだろう。

はぐらかすのに手間取ったのであろう様子が、少し疲れを滲ませる克哉の顔から窺えた。

「・・・自業自得じゃない」
「うるさい。・・・全く、家に帰ってお前の顔を見ようと思えば・・・お前はベソを掻いて寝ているし」
「だ、だって・・・・」

別に私は悪くない。
1時前までは待っていたのだし、泣いていたのは、克哉が帰って来なかったからだ。
だからそんな風に、文句めいた口調で言われては、私もまた、むっと頬を膨らませてしまう。

「仕方なく諦めて、起きてからにしようと思っていれば・・・お前は不貞腐れて、顔を見せないし」
「・・・克哉が悪いんじゃない」
「・・・・だから言ってるだろう。俺が悪かったと」
「うぅ・・・」

胸に顔を押し付けたまま、口を噤む。
そのまま、黙り込んでしまった私の髪を、克哉がくっと掴んだ。

「・・・顔、見せろ」
「・・・・・心配掛けた罰として、暫く見せてあげない」
「ほぅ・・・?」
「っ・・・あ、ははっ・・・く、くすぐんないでっ・・ふふふっ・・・」


私がふざけた口調で言うと、克哉も意地の悪い笑いを含み、1つ声を零す。

そしてまた、無防備な私の脇腹に、爪先を柔らかく滑らせた。

襲って来たこそばゆさに、また、身体を捩って悶える。


「やぁだっ・・・ふふっ・・・くすぐったいっ・・・てぇ・・・っ」


コロコロ喉で笑っていると、ふと克哉の手が止む。

すっと引いたくすぐったさに息を軽く乱しながら、心の中で首を捻る。


どうしたのか。と声に出して問う前に、克哉が私の頭の天辺にキスを落とながら、こう零して来た。







「可愛いお前。・・・愛しいお前の顔を、見せてくれ」







・・・反則だ。

そんな甘い、甘い、砂糖の様な言葉を。

深く、優しい、蜂蜜の様な声で囁かれたら。

・・・私に勝ち目なんて、ないのに。



克哉の切り札の1つとも言える、甘い言葉と優しい声と。

触れる場所全てから感じる溢れるような愛に白旗を揚げ、克哉の胸からそろそろと顔を上げる。


参りましたとばかりに、克哉の言葉により赤らんだ頬を、笑みに緩めながら。

完全降伏だと、そう敗北を認める言葉の代わりに、克哉の視線に自分のそれを絡めた。



「・・・ばか」
「何とでも言え。・・・可愛いお前」



克哉が、私と同じ色をした瞳を細めて笑う。

それは、それは、愛しげに。



その笑みに。言葉に。声に。

私はもう、昨日の寂しさも今日の怒りも、全て忘れて、近づいて来た克哉の顔をうっとり見詰める。


狭い、寝返りを打つ事さえ困難なベッドで。

2人分の体温が染み込んだシーツの上、暖かい克哉の腕に包まれ、優しいキスに酔いながら。


そうして結局、克哉のペースに飲まれてしまうのだ。





ああ、まったく。

・・・克哉には、勝てない。


























END.


砂糖で出来たティーカップに練乳と蜂蜜を淹れて、
水飴で出来たスプーンでそれらを掻き混ぜた後一気に煽り、
生クリームとチョコのみで構成されたパフェを掻き込んだ後、砂糖細工のカップを貪る。
くらいの甘さを目指してみました。甘過ぎて吐く。(狂おしい程の胸焼けを味わいたい!)
この克克はバカップルもしくは新婚状態。一秒と離れていられない、3分おきにちゅっちゅかやってる。
なんとなくデレッデレに、見ている方が白旗揚げそうな甘甘が書きたかった。

今回克哉さんが、命令形じゃなくてお願いしてるってトコも、克穂さんが落ちたポイント。
見せてくれ。って、懇願してる感じが本気っぷりアピール。でも計算の内。さすが眼鏡。