まだ暗くなりきっていない道を歩くのは久々だ。
と、珍しくスーパーの袋を仕事鞄と共に手にぶら提げながら克哉が思う。
その袋に入っているのは夕飯の材料、水、そして市販の風邪薬。
ついでに言うなら、甘そうな林檎も2つ程購入しておいた。
克哉が早めに退社し、夕飯を買って岐路を急ぐのは、勿論克穂の為である。
今日は、朝から彼女の様子がおかしいと思ったのだ。
ぼんやりしているし、顔は赤いし、ダルそうに朝食の準備をしていた、克穂。
今にも倒れそうな頼り無い身体を無理矢理にベッドへ引っ張り倒し、熱を測ったのが朝7時前。
作りかけの朝食の調理を引継ぎながら、彼女の戸惑った声を聞き流し、慌しい朝を迎えた今日。
結局体温は朝の時点で8度近くを示しており、渋る彼女をベッドに押し込んでからの出社となった。
夕飯の材料が無いから買い物をすると言う彼女に、自分が帰りに買って来ると説得してから。
「・・・・はぁ」
一歩足りとも部屋から出るな。と釘を刺しては来たが・・・と、克哉が溜め息を吐く。
どうせ彼女の事だ、部屋から出ないにしても、大人しく寝ている事はありえないだろう。
朝、部屋からではなくベッドから出るな。と告げておかなかった事に一抹の後悔を覚えた。
ふ。と顔をあげる。
もう自分達が住んでいるアパートまですぐそこだ。
部屋の窓を確認してみると、灯りは点いている。
そして、辛うじて見えるベランダの窓にチラチラ動く人影が見え、また重い溜め息を吐き出した。
「あ・・・おかえり、克哉・・・」
部屋のドアを開ければ、洗濯物を取り込んでいたらしい克穂が、気まずそうに克哉を迎える。
どうやら、大人しく寝ていなかった事を克哉に知られ、叱られるのではないかと身構えている様子だった。
案の定不機嫌そうな眼つきの克哉は、三度目の溜め息を床に落とすと、真っ直ぐに克穂へ歩み寄った。
「あ、あの、克哉・・・?」
「うるさい、じっとしてろ」
「わっ!?」
スーパーの袋をテーブルに置きながら彼女の傍まで近づき、下から一気に持ち上げる。
急に宙に浮いた体に驚いた克穂の手から、畳み掛けのタオルが滑り落ちた。
「か、克哉!こ、怖い!!」
「黙ってろ。・・・全く、ベッドから出るなと言っておくべきだったな・・・」
「そ、それは無理・・・」
先程感じた後悔をそのまま克穂に伝えると、彼女は困った様にヘラリと笑う。
その笑みは熱の所為で何処か辛そうに見えた。
克哉の舌が無意識に1つ音を打ち、強引に抱え上げた克穂の身体をベッドに静かに下ろした。
「あ、あの・・・」
「寝てろ。そこから一切動くな」
「・・・はい」
低い克哉の声に、彼が怒っているのだと感じた克穂は、シュンと下を向き答える。
その様子に、克哉が本日何度目かの溜め息を唇から零し、彼女の髪を指先で梳く。
いつもはサラサラとした感触の前髪は、汗の所為で少ししっとりとしていた。
「熱は計ったのか」
「え・・・えと・・・朝計ったっきり・・・」
「・・・今計れ」
小さい声で答えた克穂に、呆れ混じりの声色でそう告げる。
大人しく枕元に置いてあった体温計を手に取った彼女を見て、克哉はようやく克穂から視線を外した。
「熱を計ったらそのまま寝ろ。良いな」
「う・・・うん・・・ごめん」
「悪いと思ってるなら俺の許可無しにベッドから下りるな」
にべもなくピシャリと言い放ち、克哉がようやくスーツを脱ぐ。
それを、ぼんやりした視線でじっと見詰めながら、克穂が小さく息を零した。
「・・・ん?」
風呂は溜めず、シャワーだけ浴びて上がって来た克哉が、ふとベッドに視線をやる。
熱を計り終えたらしい克穂が、体温計を手にしたまま、ベッドの上でうつらうつらと淡い眠りを揺蕩っていた。
指先に力なく存在していた体温計を取り上げてみれば、熱は38度5分。
そんな状態でも家事を優先する彼女の主婦ぶりには感嘆する。と、克哉が濡れた髪をそのままに思う。
「・・・・ぅ」
「・・・・・はぁ」
熱の所為で、身体の節々が痛いのだろう。
鈍痛に苛まれる頭と身体の所為で、中々しっかりとした眠りにつけないらしい。
微かな呻き声を上げ、克穂の身体がモゾモゾと動いた。
「・・・全く」
それでもまだ意識を取り戻さない彼女の髪を一度撫ぜ、克哉がキッチンへ立つ。
シャワーの前に、自分用の夕食を適当に作った際、一緒に作ったおじや。
くたくたに煮込み米粒がほとんど原型を留めない、味噌味のそれは、昔良く母親が作ってくれた物だ。
まさか自分が作るハメになるとは。と、克哉は何とも言えない複雑な心境に陥った。
ドロリと冷めたそれを、再び暖める。
健康体である自分にはあまり食欲をそそられないが、今の克穂には丁度良いだろう。
暫く鍋を見ていたが、不意に克穂の声がベッドの方から聞こえた。
おじやも十分に暖まった頃だし、良い所で起きた彼女の方を、コンロを止めながら振り向く。
「起きたのか」
「え・・・あ、うん・・・あの、克哉・・・何作ってるの?」
「お前の夕飯だ」
「・・・克哉が作ってくれたの?」
「・・・・今お前は何を見ている?」
少々かみ合わない会話を、熱に浮かされている克穂と展開しながら椀によそったおじやを持つ。
そのまま、まだベッドに横たわっている克穂の背に空いた片腕を滑り込ませ、ゆっくり起こしてやった。
「・・・?」
「ホラ、持て」
「うん・・・」
熱い克穂の身体を固定する様に片腕に抱き留めながら、椀を持たせる。
まだぼんやりしている彼女は、何の疑問も口にする事無く素直にそれを、少し感覚のおかしい両手に挟んだ。
じんわりと椀から熱が染み込んだのか、克穂の頭が少々クリアになる。
そして、幾分ハッキリした口調を取り戻し、克哉に上目遣いの視線を送った。
「・・・克哉、コレ、熱くない?」
「熱くない」
「・・・ホント?」
「うるさい、食え」
椀から立ち上る湯気に怖気付きながら克穂が問う。
しかし克哉はそんな彼女の問い掛けを無視して、蓮華におじやを少量掬った。
そのまま、克穂の口元に湯気を立てる蓮華をツイと向けてやる。
熱気に少々躊躇った克穂だったが、口を開かなければ強引に入れられてしまう。
それを予感し、思い切って差し出された蓮華を口に含んだ。
「〜〜〜っ・・・はふぃっ」
「あ・つ・く・な・い」
案の定白い湯気を立たせるおじやは熱く、含んだ克穂が涙目で抗議する。
が、克哉は殊勝わざとらしく言葉を区切って否定すると、もう一掬いを再び口元に突きつけた。
「良いからとっとと全部食え。そして薬を飲んで早く寝ろ」
「うぅ・・・舌がヒリヒリする・・・絶対火傷したよ・・・」
「食え」
尚も蓮華を押し付けてくる克哉に、今度は硬く口を結んで拒絶を表す。
相当熱かったのか、まだ浮き出る涙を目尻に、じぃっと克哉を睨み付けた。
「ん〜っ・・・」
「お前な・・・ガキじゃあるまいし、さっさと食え」
「っ!っ!」
首をふるふると振る克穂に、克哉が呆れ果てた様なため息を吐き、眼を伏せる。
そして手にしていた蓮華を椀に戻すと、代わりに硬く閉ざされている克穂の唇に指を這わせた。
「・・・っ」
「早く治せ。でないと、キスも出来ない」
「ぅ・・・」
ニヤリと笑われ、克穂が熱とは違う色の赤さで頬を染め上げる。
それを見て眼を細めてから、口元を色付く克穂の耳元にすっと寄せた。
「・・・俺に、オアズケをさせる気か?」
「っ!?」
吐息を多分に含んだ囁きに、克穂の身体がビクリと跳ね上がる。
克哉が耳元から顔を離せば、あわあわと涙目のまま慌てている克穂がいた。
眼を泳がせ、何と答えたら良いか思案している彼女の汗ばむ額に唇を押し当てながら、もう一度蓮華を手に取る。
「・・・わかったなら、とっとと食え」
またおじやを少量よそり、今度は何度か冷ます様に息で吹いてやる。
そうして克穂の口元に柔らかく押し当てると、今度は素直に唇が開いた。
END.
『早く治せ!』の小説バージョン。
相変わらず克哉さんがデレデレですが仕様です。
夕飯の材料買って来たり、おじや作ったり、抱っこしながら食べさせたり。
あまつ『ふぅふぅ』して冷ましてあげてる辺り相当末期です。
でも冷まさなければならない程熱い物を最初無理に食わせた辺りは流石ドS。