グスグスと鼻を啜りながら、ふかふかのソファに座る。

真っ赤な柔らかいソファ。

高い天井から下がるカーテンも真っ赤。

でもそのカーテンの奥にある大きな窓からは、綺麗な花畑が覗いていて。

色とりどりの花を涙に滲む視界に映してから、ふとテーブルに視線を戻した。


瑞々しい果物。

美味しそうなケーキ。

良い匂いのクッキー。

お砂糖のたくさん入った紅茶。


クゥ。と、お腹までが鳴き始め、真っ赤な眼を擦っていた手に、カップを取る。


高価そうな豪華なつくりのカップに揺れる、甘い紅茶を啜れば、ほぅっと心が温まった。


そんな私の様子を見て、目の前の綺麗な人が笑みを零す。


金色の長い三つ編み。

丸い眼鏡。

黒いコートは、いつもの様にしっかりと隙無く着込まれているけど

帽子がなくて、その綺麗な顔が良く見える。


そうして、笑みを模った唇を開き、優しい声で言ってくれた。



「涙は止まりましたか?愛しい姫君」









どうして私が此処にいるのか。

それはとっても簡単な話。


克哉と、喧嘩してしまったのだ。


喧嘩と言っても些細な事。
理由も、思い出すのも馬鹿らしいくらい、下らない事。
でも、克哉の冷たい言葉は、酷く私の心を打ちのめして。

言い返す事も出来ず、ただただ涙を流して、肩を震わせて。

携帯すら持たないまま、部屋を飛び出して来てしまったのだ。


あても無く外へ飛び出て、冷えた空気に冷静さを取り戻した時には、既に遅く。


今更部屋に戻るのも気が引けて、公園でぼうっとしていた時。


Rさんが、そっと、音も無く、気配も無く。

私の傍に来てくれたのだ。


『いかがなさったのです?その様に、悲しげなお顔をなされて』


優しく、視線を合わせるように屈んで聞いてくれたRさん。

途端、私は声をあげて泣いてしまい、Rさんを酷く困らせてしまった。


いくら慰めても泣き止まない私を、Rさんは此処へ連れて来てくれた。


CLUB-R内なのか、Rさんの私有地なのか。

一瞬の内に着いてしまった此処が何処なのか、正確にはわからないけれど。

それでも、窓から見える景色は絵画の様に美しくて。

部屋の中は、外国のお城の様に豪華で。

用意してくれたお菓子やお茶は、とっても美味しくて。

目の前に座るRさんは、とっても優しい。


悲しみが暖かい感情に塗り潰されていく内、ふと、Rさんに何の礼も言っていない事に気づいた。


慌ててカップを置き、座ったまま、ペコリと頭を下げる。


「あ、あの、Rさん、ありがとう御座います」
「おや?姫君、私なぞに礼など、必要ありませんよ?」
「そんな事!わ、私、散々大泣きして、ご迷惑掛けて・・・こんな素敵な所に連れて来て貰って・・・」

言い募る私に、Rさんは微笑を以ってそれを制してくる。
その笑みを眼に入れると、コレ以上口が動かなくなってしまった。

「え・・・と・・・」
「愛しい姫君が悲しんでいるとあらば、それを癒して差し上げるのが、私の役目です」
「そ、そんな・・・でも・・・」
「宜しいのですよ、姫君。貴女の涙が止まって下さったのならば」

綺麗な微笑で言われてしまうと、どうしようもなく照れ臭い。

それを誤魔化す様に、どうぞと勧められたケーキを、繊細な装飾の施された細身のフォークで掬う。

口に入れたそれは、優しい甘さで、ふわりと口の中でとろけた。

思わず眼を見開いて、Rさんに視線を向ける。

「これ、とっても美味しいですね。Rさんが作ったんですか?」
「いいえ。しかし、姫君のお口に合ったのでしたら、何よりです」

ニコリと笑って言われ、その綺麗さに思わず見入る。


克哉もRさんも。

どうしたら、こんな綺麗な顔になるんだろう・・・


克哉とRさんじゃあ、ちょっと種類が違うけど。

でも、2人とも、とっても綺麗な顔立ちで、女の私が酷く霞むくらい。

・・・私と比べるなんて、失礼にも程があるだろうけど、それでも。


ぽーっと見つめて来る私を不思議に思ったのか、Rさんが小首を傾げている。

何だかその仕草が人間らしくて、可愛い。なんて、思ってしまった。


「姫君、いかがなさいました?」
「あ、いえ・・・その、ケーキも紅茶も・・・美味しいです・・・本当に・・・」
「そうですか、それは良かった」


私の適当な返事にも、微笑んで返してくれる。

ああ、本当に綺麗。

金色の長い髪も相俟って、天使みたい。

そんな事を思いながら、切り分けて貰ったケーキを胃に収める。


流石にクッキーを食べて、ケーキを食べて、紅茶を飲み干せば、鳴いていたお腹も満足して。

Rさんの優しさと、美味しいお菓子達に癒された私は、克哉への憤りなんて、サッパリ消えていた。


逆に、泣いて飛び出してしまった事に、罪悪感さえ覚え、克哉は今頃どうしているのか、不安になる。


怒っているかな。
呆れているかな。
私の事、嫌いになってない、よね?


でも、携帯だって置いて来てしまった。

Rさんと会ったのも偶然だから、此処に私がいるなんて、克哉は知らないし。


急速に心が凍え出す。

折角、甘い甘い紅茶で、温まったと言うのに。


顔色を失くし、不安に震える私を見たRさんが、優しい声で、私に言う。




「コチラへいらっしゃいませ、姫君」




Rさんが、自分の隣を指す。

その優雅な仕草と優しい声色に、私は何の躊躇いも覚えず、彼の隣へと腰を下ろした。


甘い香りがする。

Rさんからは、果実の、甘い香り。


その甘美な匂いにうっとりしながら、心に芽生えた不安を、Rさんに伝えようと顔を上げる。


しかし、その途端。




「・・・え」




前髪を手袋に覆われた指先で払われたかと思うと

露わになった額に落ちたのは、Rさんの綺麗な笑みを模った唇。


少しだけひんやりしていたけど、とても柔らかくて。


優しい慰める様なキスに、心に広がり始めていた冷たい暗雲が、スッと晴れる。


子供に贈る様なキスを施してから、Rさんはニコリと笑って言ってくれた。


「大丈夫ですよ。王は、貴女をとても大切に想っていらっしゃいます。
 今頃、貴女の姿を追って、探していらっしゃる事でしょう」


Rさんの言葉に一瞬安堵しかけ、すぐに顔を蒼くする。


「ど、どうしよう!さ、探してるって・・・私が此処にいる事、知らせなきゃ・・・」


私が慌ててそう零すと、Rさんは悪戯めいた微笑を浮かべ、私の唇に人指し指を当てる。


「今回は、我が王に非があるのですから、少しばかり、お仕置きしても宜しいのでは?」
「お、お仕置きって・・・」


ちょっと、驚いた。


だってRさんは、克哉の事を溺愛していて。
克哉の言う事なら何だって聞いて。
克哉に何かあったら、すぐに傍に来て。

私の事は、あくまで克哉のおまけ。みたいな様子だったのに・・・。


そんな彼が、私を庇ってくれるのは、心底以外で。

・・・すごく、嬉しかった。


Rさんが言うなら大丈夫だろう。と、根拠のない確信がストンと脳内に落ちた。

Rさんは克哉が悲しむ様な事はしない。

克哉が私を探しているのなら、その内ちゃんとRさんが克哉に事情を説明してくれるだろう。


そう安堵したら、ふわりとした眠気が突然襲って来る。


お腹がいっぱいになったから?

Rさんがとっても優しいから?

暖かくて、良い匂いがして、とても気持ち良いから?

克哉が私を嫌ってないって、怒ってないって、わかったから?


理由は定かじゃないけど、でも、この心地好い眠気は、どうにも抗いがたく。


ウトウト舟を漕ぎ始めた私の身体を、Rさんがそっと支えてくれる。




そしてそのまま、身体を横に倒された。




ぼんやりした思考で、今の状況を整理する。

私の頭の下にあるのは、何?

柔らかいけど、ちょっと硬い。

そう。克哉に膝枕して貰う時と、似た様な感触・・・膝枕?


「あ、あ、あの、Rさ・・・っ」


ようやく状況が掴め、あまりの恥ずかしさに起き上がろうとするも、Rさんの手に阻まれる。

そうして結局、頭をRさんの太腿に乗せたまま、じっとするより無くなってしまうのだ。



・・・Rさんに、膝枕されるなんて・・・!



想像もしなかったイレギュラー事態に、まどろみつつあった脳内は混乱に陥れられる。

でも、Rさんは何て事無い様に笑っているだけで。

更に、その長い指で、私の頭をあやすように撫でてくれた。


優しい感触と良い匂い、暖かさに包まれて、一瞬遠退いた眠気が、再びやって来る。



「おやすみなさい、愛しい姫君」



包み込むような余韻を宿した柔らかな声色で囁かれ、急速に意識が闇に包まれる。



そうして、Rさんの暖かさだけを感じたまま、ついつい睡魔に負け、眠りの中へと意識を投げた。












「おい、おい克穂、起きろ!」
「ひゃっ!?」


身体をガクガク揺さぶられ、何事かと飛び起きる。


すると、まず眼に飛び込んで来たのは、心配そうな克哉の顔。

大好きな克哉が目の前にいる事に驚きつつ、ハッと周囲を見回す。


・・・私と克哉の部屋だ。

私が寝かされていた場所は、いつものベッド。


・・・アレ?

・・・さっきまでRさんといたのは・・・夢?

それにしては、随分リアルな夢だったけど・・・


取り合えず、克哉と喧嘩をしていた事もスッカリ忘れ、咄嗟に疑問をぶつける。


「・・・起きたか・・・全く、心配を掛けるな」
「え・・・わ、たし・・・どうして・・・」
「Rの奴が、お前を抱えて連れて来たんだ」
「・・・Rさんが?」


心底焦った。と、零す克哉に、ああ、夢じゃなかったんだ。と、納得する。

あのまま眠ってしまった私を、克哉の元に届けてくれたんだろう。

やっぱり、Rさんが克哉を悲しませる様な事を、する訳が無い。任せて良かった。

今度ちゃんとお礼を言わなきゃ。と、思いつつ克哉に擦り寄ると、真剣な声が降って来る。


「・・・お前、アイツに何かされたんじゃないだろうな」
「・・・え?」


克哉の顔を間近から覗けば、怖いくらい真剣な顔。

怒ってる様にも見えるし、心配している様にも見える。

ああ、彼を不安がらせてしまったんだ。と思うと、ズキズキと胸が痛んだ。

泣き腫らした目蓋よりも、よっぽど痛くて、慌てて首を横に振る。


「う、ううん、何も・・・あの、ただ、お茶とお菓子をご馳走になって・・・それから・・・」
「・・・それから?」
「・・・そ、それから・・・」


おでこにキスされて。

膝枕してもらって。

頭を撫でてもらっていたら、眠ってしまった。





・・・なんて、言える訳ない!





「・・・な、何でもない」
「嘘を吐くな。何でもないなら言ってみろ!」
「な、何でもないってばぁ!本当、その、大した事じゃ・・・」
「ほぅ、なら何故顔を赤らめているか、説明して貰いたい物だな」
「や、やだ!恥ずかしい!」
「・・・恥ずかしい?お前、本当に何をされたんだ!さっさと吐け!」
「やだーっ!」


ベッドの上でじゃれ合う。

克哉はちょっと本気で怒ってると言うか、心配してくれているけど・・・


このままじゃまた喧嘩になっちゃうかな。

だって、恥ずかしいんだもん。やましい事じゃ、ないけれど。



・・・でも。



「克穂!」
「やだっ、言わないーっ!」



このまま、また克哉と喧嘩して。


私が泣きながら部屋を飛び出して。


公園で1人、泣いていたら。






また、Rさんは、私をあそこに招待してくれるかな?






克哉の声を聞きながら。


『また、いつでも』


と言うRさんの声も、何処か遠くで耳に届いた気がした。























END.


逃げて克穂さん!(危機感ゼロ過ぎる!)
と言う訳で、胡散臭いくらい優しいRさんとメソメソ克穂さん。
基本『お友達』ポジションなので、克穂さん単体だと事件には巻き込まれない。
泣いてると慰めてあげるし、眠いなら膝枕してあげる。
でも克哉さんにとっちゃ気が気でないかと。

克克の喧嘩理由は、多分本当に下らない事だと思う。
『俺のが愛してる』『私の方が愛してる!』みたいな。バカップル・極。