深夜。

ふと、夢に魘された訳でも無いのに眼が覚める。

それは特に不快な目覚めではなく、随分とスッキリしていた。


(今・・・何時・・・?)


首を回して時計を見れば、暗い室内に忙しなく音を刻み続ける針が目に入る。

時刻は深夜1時近く。

隣を見れば、克哉が随分と穏やかな寝息を立て、静かな眠りについていた。


可愛い寝顔。


だなんて、克哉本人に言ったら怒られてしまう。

と、彼の反応を想像してクスリと笑みを零しながら、不意に少々の空腹を覚えた。


何か食べたい。

そう思った途端、脳裏に浮かんだのは、近所のコンビニの唐揚げだった。


そのコンビニにしかない特製唐揚げ。


前から好きで、会社帰りに買ったりした物だが、会社を辞めてからとんとご無沙汰だ。


くぅ。と、小さくお腹が訴えてくる。

思い出してしまったからには、食べたくなる。

こんな時間に唐揚げなんて、太る、絶対太る。

でも、最近は間食もしてないし、純粋とは言えないが、毎晩と言って良い程体は動かしている。


・・・良いよね、ちょっとくらい。


柔らかい鶏肉の感触とスパイスの味を思い出し、よしと意気込み、布団を捲る。

眠る克哉を起こさない様、慎重に、静かに。

そっとベッドを抜け出すと、パジャマのズボンだけ履き替え、携帯と財布を羽織った上着のポケットへ。

ブラをつけようかつけまいか迷ったが、どうせ近所なのだしと、つけない事にした。


最後に鞄から鍵を抜き出し、一度、克哉の顔を覗き見る。


深い呼吸。

安らかな寝顔。


見ているだけで、胸がきゅと暖かくなる。

大好きな克哉の、大好きな寝顔。


「いってきまーす・・・」


小さな小さな声で呟き、足音を忍ばせて玄関のドアを開ける。

ドアを閉める時、少々音が鳴ってしまった事に肩が跳ね上がったが、克哉の声は聞こえて来ない。

良かった、起きなかった。と安堵を覚えながら、軽い足取りでアパートの階段を下りて行った。











綺麗な月だ。


公園のベンチに座りながら、そう思う。

コンビニで買って来た唐揚げは暖かく柔らかく、何ら変わっていない味。

欲求がお手軽に満たされ、更に深夜に1人外出すると言う、子供の様な高揚感に心が踊る。

思わず鼻歌でも歌いたくなってしまう様な心地好い気分のまま、1つ唐揚げを口に放り込んだ。




「こんばんは」
「・・・え?」




もぐもぐと口を動かしていると、不意に横から声が聞こえる。

あまりの気配のなさに、思わず反応が遅れてしまった。


でも、その穏やかな声には、聞き覚えがある。


横を見れば、案の定。

長い金髪に、眼鏡を掛けた、綺麗な男の人。


まだ唐揚げの残る口で、小さく、隣に立っている人物の名前を零した。


「・・・Rさん?」
「はい」


私が名前を呼ぶと、Rさんはニッコリと笑みを深くする。

穏やかで人の良い、それでも何処か作り物めいた笑顔は、いつもの彼。

コクリと口内に含んでいた唐揚げを飲み込み、取り敢えずの疑問を彼にぶつけた。

「・・・あの、Rさん。どうして貴方が此処に・・・」
「それはコチラの台詞ですよ、愛しい姫君」

Rさんは私の事をいつもこう呼ぶ。
照れ臭いと言うか、私を姫などと呼んでは、他の女性を何と讃えたら良いのか。
身に余る呼び名に居心地の悪さを覚えるのは、毎回の事。
でも何度言っても取りやめてくれないから、いつしか諦めてしまった。
・・・慣れた訳じゃないけど。

ちなみに克哉の事は、『我が王』と呼んでいる。

Rさんは、よくわからない人だ。

「貴女の様なか弱く美しい女性が、この様な時頃に1人でいらしては・・・危険でしょうに」
「え?・・・でも、お金も大して持って無いし・・・」
「おや。・・・では、あちらをご覧なさい」
「?」

Rさんに指差され、つられて視線を示された方角へ流す。



公園の入り口。

そこには、数人の、少々ガラの悪い男性が、3人程。

でもRさんが自分達を見ている事に気づいたのか、心なしか早足でその場を去ってしまった。

・・・・・・まさか。


「あ、あの・・・」
「私がいなかったら、貴女は今頃どうなっていた事でしょうね」
「・・・た、助けて、くれたんですか・・・」
「大切な姫君の危機、見過ごす筈がないでしょう」
「あ・・・」

Rさんの笑みに、思わず下を向く。

まさか、私なんかが誰かに狙われるなんて、思ってもいなかったけど・・・

女性なら誰でも良いって人も、世の中にはいるのだ。


このまま1人で唐揚げを食べていたら、多分・・・。


自分の想像にゾッとした何かを覚え、下げていた顔をRさんへと向け直し、心からの礼を言う。

「あ、ありがとう御座います、Rさん」
「いいえ、礼には及びません」

貴女に何かあったら、我が王に叱責を受けてしまいますから。と、彼は悪戯っぽく笑う。
それに、私も軽く微笑みを返してから、今だ立っているRさんに隣を勧めた。

「あ、隣・・・どうですか?」
「これはこれは・・・それでは、失礼致しましょうか」

少し位置をズラして座りなおすと、Rさんは恭しく優雅に一礼してから、隣に腰掛けて来た。
・・・のに、全然気配らしい気配を感じない。


・・・彼は本当に、何者なんだろうか。


いつもそれを考えては、答えが見当たらない。

何やら妖しげなCLUB-Rと言う店を経営しているらしい、彼。

私達に謎めいた言葉を掛けては、王やら姫やらと世辞を延べてくる。

と言っても、彼に会った時には、あまりロクな事に巻き込まれないのだが・・・

特に柘榴を食べさせられた時は、気付くとそのCLUB-Rにいる。


・・・そこで行われる事は・・・あまり、考えたくない。


いつも飛び起き、その度に悪夢だったと自分に言い聞かせるのだが、
克哉によれば、それは現実に起こった事だと言う。

・・・いつも一緒にそこへ行ってしまう克哉が言うのだから、そうなのだろうけど・・・。



そこで、ふと思い出した。



私とRさんが2人きりなんて、まずない。

いつも克哉がいて、Rさんも、主に克哉に用があるらしく、わざわざ私に会いに来たりはしない。

・・・それを思うと、何だかとても新鮮な感じがした。

今のRさんは柘榴も何も持っていないと思うし、多分私だけだったら、変な事には巻き込まないだろう。


「いかがなさいました、姫?」
「え、あ・・・いえ、その、私とRさんが2人きりなんて・・・珍しいなって・・・」
「ああ・・・そうですねぇ」


思わず顔を見詰めてしまい、Rさんからの問いに慌てふためく。

咄嗟に思っていた事を口にすれば、Rさんは心得いったとばかりに、一度頷いた。

「いつも、克哉がいましたから・・・」
「そうですね。我が王は、今は眠りについていらっしゃるのでしょう?」
「はい。ちょっと、お腹減っちゃって・・・家を出る時は、克哉、寝てましたから」
「そうですか」

ニコニコと、張り付いた仮面の様な笑顔でRさんが言う。
その表情は何処となく冷たく感じるが、それでも、いつもの事。

然して気にもせずに、ふと、手に持ったままだった唐揚げのカップに視線を落とす。


そこで、あ。と、思いついた様に声を上げた。


軽く首を傾げるRさんを視界に入れつつ、先程まで使っていた爪楊枝で、1つの唐揚げを刺す。

まだ十分に暖かいそれは、すんなり尖った爪楊枝を受け入れた。


そのまま、それをRさんに差し出す。


「おや?」
「あの、宜しかったら、どうぞ。・・・お礼にもなりませんが」
「これはこれは・・・姫君、その様なお気遣いは宜しいのですよ?」

笑ったまま、受け取る仕草すら見せない彼に、一抹の不安を覚える。

「あの・・・もしかして、唐揚げ、お嫌いでしたか・・・?」
「・・・そう言う訳では無いのですが・・・」

不安を問えば、Rさんは少し違った微笑を見せてくれる。

少し困った様な、どう対処すれば良いか迷っている様な。

そんな、少し、人間らしいと言えば人間らしい笑顔。

それに、やはり迷惑だっただろうかと知らずに眉を下げると、Rさんがクスリと笑みを零す。




「・・・では、姫君のご好意に甘じて・・・」




Rさんが、微笑みながら私の手を取る。

そして、そのまま。


「あ・・・」


私の手に握られていた爪楊枝を、私の手ごと引き寄せ、唐揚げを口にする、彼。

天使の様に綺麗なRさんが唐揚げを口に入れている光景は、随分奇妙な物だった。


ゆっくり私の手を離し、ついで顔を離していく。


もぐもぐと口を動かすRさんは、何だかとても可愛かった。


「・・・美味しいですか?」
「・・・ええ、とても。姫君から頂いた物なのですから」
「は、はぁ・・・」


唐揚げがどう。と言う感想は、彼の中には無いらしい。

それでも、何だかちょっと仲良くなれた気がして、思わず嬉しくなる。

「ふふっ・・・でも、お口に合ったなら良かった」
「姫君の喜びが、私への何よりの褒美ですよ」
「そ、そんな・・・」

相変わらずのRさんに、顔を赤らめる。
世辞にしたって冗談にしたって、言い過ぎだろう。

照れ臭くて仕方なくなり、また下を向き、今度は自分の口に唐揚げを1つ運ぶ。


そんな私を見て、Rさんは、さてと静かに腰を上げた。


そろそろ帰ってしまうのだろうかと、口に唐揚げを含んだまま彼を見上げる。

「それでは、私はそろそろお暇させて頂きますよ、愛しい姫君」
「あ、は、はい。・・・あの、さっきは、ありがとう御座いました」
「いえいえ。・・・しかし姫君、先程も申し上げましたが、夜の一人歩きは感心しかねます。
 どうぞ今後は、お気をつけ下さいませ」
「は、はい。すみません・・・」
「いいえ」

もし何かありましたら、また私が、いつでも。と、Rさんが笑う。

そして、何か含んだ笑みを口元に浮かべると、いつもの穏やかな声で私に言う。

「・・・我が王が、貴女をお探しですよ、姫君」
「え・・・克哉、が?」
「はい」

もう起きてしまったのだろうか。
・・・しかしその割には、携帯は一度も着信を受けていない。
電話もしないで、私を探して部屋を出てしまったのだろうか。

Rさんの言葉に、急速に心配が胸を過ぎる。

「貴女との語らいを堪能したいが為に、少々細工を施してしまいました」
「え?・・・細工?」
「ええ。・・・おや、王の気配が近いですね。・・・それでは姫君、私はこれで」
「え、あ、は、はい」

Rさんが、まるで従者の如く綺麗な一礼を私に向けてしたかと思うと、すぐに踵を返してしまう。


その足が数歩進んだ時、Rさんは長い金髪を月光に煌めかせながら振り向き、ニコリと笑って言ってくれた。





「唐揚げ、ご馳走様でした」









「克穂!」



Rさんがそう言ったと同時に、公園の入り口から克哉の声が聞こえた。

バッとそちらを見てみれば、息を切らせた克哉が、そこに。

「か、克哉・・・」
「っ・・・こ、の・・・!」
「わ。わ。わっ!」

ズカズカと大股で近寄られ、その怒りに満ちた表情に、思わず肩を竦ませる。

そして、もしかして殴られるのでは。と言う恐怖に駆られ、思わずギュッと眼をキツク閉じた。

「っ・・・馬鹿が・・・っ!」
「・・・か、つや・・・」

でも、想像していた衝撃は訪れず、代わりに痛いくらいの力で抱き締められる。

一瞬、骨が折れるんじゃないかと思った。

「い、いた・・・」
「こんな夜中に、1人で出歩くな!何をしていたんだ!」
「え、えと、コンビニに、唐揚げ買いに・・・」
「なら俺を起こせ!黙って夜中に出掛けるな!」
「ご、ごめん!ま、まさか起きると思わなくて・・・」

大声で怒鳴られ、近所の人が起きてしまうのではと危惧し、自分からぎゅっと克哉に抱きつく。
兎に角落ち着いて貰おうと、頭を彼に摺り寄せた。

怒鳴った事で少し気分が落ち着いたのか、克哉がふぅと深く息を吐く。

「・・・大体、お前、携帯はどうした」
「え?・・・持ってるよ?ホラ」

克哉の問いに、ポケットから携帯を取り出す。
そこでふと、おかしい事に気づいた。

「・・・あれ?どうして電源、切れてるんだろ・・・」
「・・・・・・通りで、俺が何度電話しても出ない筈だ」
「あ、そうだったの?」
「当たり前だ」

コツン。と頭を小突かれる。
でも、それにしたって、私は携帯を切った覚えなんかない。
なんで・・・と首を傾げかけた所で、先程のRさんの言葉が脳裏を過ぎった。



『貴女との語らいを堪能したいが為に、少々細工を施してしまいました』



まさか。

いや、彼しかいない。

Rさんしか、こんな芸当出来ないだろう。


克哉に真実を告げよう。

・・・として、やめた。

何となく今夜の事は、私とRさんだけの秘密にしておきたかった。


答えを告げる代わりに、はい。と、克哉の抱擁の中なんとか腕を動かし、唐揚げのカップを見せる。


「・・・何だ」
「心配掛けちゃってごめんね。・・・お詫びに、コレあげる」
「・・・・・・」


心底馬鹿にした様な、呆れた様な、でも安堵した様な絶妙な顔で、克哉が私を見る。

そして、長く深い溜め息をこれ見よがしに零してから、ふと、ニヤリと口元を歪めた。




「・・・唐揚げより、こっちを食べるのが先決だな」




そう言うが早く、克哉の唇が、唐揚げを食べた所為で少々油に濡れていた私の唇に押し付けられる。

そのまま舌を素早く差し入れられ、ここが公園だと言う事も忘れ、自分からも克哉に舌を絡めた。




卑猥な水音が鼓膜を刺激する中、不意に耳の中でもう一度。




『ご馳走様です、お2人とも』




Rさんの愉快そうな声が、聞こえた気がした。

























END.


唐揚げとRと深夜の公園。
克穂さんが事件に巻き込まれなかったのは多分Rの優しさ。
Rさんは克穂さんにあまり興味を持ってない。良くも悪くも。
大切な王の妹。だから一応大切。みたいな認識程度。

克哉さんが一発で公園まで探しに来れたのは、愛です。愛。