静まり切った部屋のドアを静かに開ける。
すると、やはりと言うか、暗い室内がただそこに広がっていた。
ふぅ。と、疲れを滲ませた溜め息を零し、足音を立てぬ様部屋に入る。
部屋に入って真っ先に眼にしたのは、ベッドの上、月明かりに照らされたアイツの寝顔。
いつもの笑顔で迎えてくれるか、それとも不貞腐れた声で迎えてくれるか。
どちらかを少しばかり期待していたが、部屋の電気が消えていた時点で、それは無理だとわかっていた。
笑って迎えてくれたのなら素直に疲れも癒える。
不貞腐れていたのならば、それを宥めすかしてやるのも、中々楽しい。
だが、こんな風に寂しそうにベッドに丸くなっているのは、どうにもつまらなかった。
俺がいないにも関わらず、壁際に寄って眠るコイツの前髪を掻きあげる。
どうやら泣いていたらしく、目尻にはまだ乾かない涙が溜まっていた。
6時頃に連絡を1つしてやったきりだったからな。
不安だったのだろう。
寂しかったのだろう。
哀しげに涙を溜めながら待っていたコイツの目尻を拭いながら、1つ溜め息を吐く。
ふと床に、コイツの携帯が物哀しげに落ちているのに、今更気付いた。
「・・・・・・っ」
朝の気配を感じ、ふと目蓋を持ち上げる。
昨夜、本多に付き合わされた挙句に餌付けしていた野良猫に絡まれ疲労したと言うのに。
身体はどうやら、4時間少々の睡眠で満足してしまったらしい。
スッキリとした軽い目覚めに、心地好ささえ感じる。
少し下に視線をやれば、穏やかな克穂の寝顔。
昨夜の哀しげな顔は何処へやら、いつもの気持ち良さそうな顔。
朝日の白い光に照らされる顔は随分愛らしく見え、無意識に手を伸ばす。
そのまま抱き枕の様に腕に収めてやれば、何とも形容詞しがたい間抜けな呻き声を上げて来た。
「・・・・・・んぅ」
どうやら眼が覚めたらしい。
折角だ。このまま寝た振りでもしてやろうと、寝顔を見詰めていた目を咄嗟に閉じる。
それから数秒もおかず、克穂がもぞもぞと腕の中で動き始めた。
素肌に触れる柔らかな髪の感触がこそばゆい。
「・・・・・・・・あ」
克穂の視線を感じる。
俺が帰って来た事に、今気づいたのだろう。
小さな声を上げ、じぃと俺の顔を見詰めている。
暫く視線を感じていたが、不意に克穂の身体がごそごそと動きを見せた。
「・・・ばか」
小さな、不貞腐れた罵り文句と共に、拘束している俺の腕の中、動き辛そうに体の向きを変える。
完全に背を向けてしまったらしく、仕方が無いとばかりに眼を開き、少し離れた身体を強引に引き戻した。
「そう怒るな」
「わっ!?」
心底驚いたらしい克穂の声に、思わず笑いで肩が震える。
子供の様に拗ねて、コチラに背を向けた時点で十分に面白かったが。
それでも声には出さずにいると、克穂の方から随分不貞腐れた声が聞こえた。
「・・・・おかえり」
「ああ、ただいま」
わざとらしく言われ、俺も口元に笑みを浮かべながら、相応の言葉を返してやる。
それがまた気に食わなかったのだろう。
コチラへ振り向く気配すら見せない。
折角コイツが起きたのに顔が見えないとは、つまらない。
考えれば一日、コイツの顔を見られなかった訳だから。
顔を見せろと、まだ込み上げる笑みを多分に声に乗せながら、克穂を呼ぶ。
「・・・こっちを向け」
「いやっ」
だが意地になっているのか、少々荒げた声で拒絶をして来る。
全く、こうなったら梃子でも動かない様な奴だ。
そんな所にも愛しさを覚える自分に、相当末期だと呆れながら、目の前の髪を指先で梳く。
自分と同じ色をした髪は、サラサラと指に馴染み、肌に心地好かった。
「克穂、こっちを向け」
「・・・いや」
甘さを含ませた声色で名を呼ぶと、今度は少し躊躇った拒絶を寄越してくる。
本当に強情な、それでも愛しい片割れ。
こうなったらコチラが折れてやるかと、さも仕様も無いと言った風に謝罪を口にする。
・・・それでコイツが、機嫌を直すとも思えないが。
「・・・俺が悪かった。・・・だから、こっちを向け」
「・・・・知らない」
指先で柔らかな耳を優しく撫ぜながら、自分でも自覚している、甘えたな声で言う。
御堂や本多辺りが見たら、鳥肌でも立てるだろうか。
・・・・・・いいや、折角コイツと触れ合っている時間、何故男の顔を思い浮かべなきゃならん。
自分の思考回路に些かの呆れと疑問を抱きつつ、まだコチラを向かない克穂に意識を戻す。
・・・フン、そっちがその気なら。
「・・・・ホラ」
「・・・っちょ、っと・・・っふふ・・っ・・や、くすぐった・・・あははっ・・・」
何処までも不貞腐れる愛しい片割れの身体に、そっと手を滑らす。
そのまま指先で、脇腹の辺りを愛撫する様に擽ってやると、その細く柔らかい身体が跳ね上がった。
耳に心地好い、コロコロと転がす様な笑い声が響き、何処となく満たされた気分になる。
何とか擽る俺の手から逃れようともがく様子が、ひたすら愛らしい。
思わず、目の前で揺れる髪に唇を摺り寄せながら、愉快な気持ちで問い掛ける。
「こっちを向く気になったか?」
「んっ・・んん〜〜っ・・・や、だぁ・・・っ」
けれども克穂から返るのは、些か機嫌は直ったものの、拒絶する言葉。
その言葉に、少々考えてから、脇腹に滑らせていた手を離し、暖かい身体を力任せに引き寄せる。
克穂の着ている上着が、素肌で触れ合う事を阻み、それが酷くもどかしい。
もう少しコイツの熱を感じていたくて、腕の中に閉じ込めたまま、暫し過ごす。
不意に、克穂の呼吸が穏やかになり始める。
恐らく訪れた眠気と格闘しているのであろうその姿に、知らず溜め息が零れた。
「・・・はぁ」
「・・・・・・」
眠い筈だろう。
考えてみればコイツは、遅くまで俺の帰りを待ち侘びていたのだ。
ロクな連絡も無く、いつ帰って来るのかと、不安に泣きながら。
結局泣きながら寝てしまった様だが、それでも、疲れたのだろう。
そう考えると、コイツの顔を見るのは後にして、今はこのまま眠らせてやるのが良いか。
強く抱き締めたまま思案すると、不意に克穂の身体が小さく震える。
よもや寒いのかと一瞬考えたが、すぐに小さく聞こえた鼻を啜るような音に、気付かされる。
「・・・全く」
恐らく、俺が突然黙り込んだから、不安になったのだろう。
溜め息なんぞついたから、俺が怒ったのかと思ったのだろう。
心細げに泣き始めた克穂に、胸が痛む。
眉を少し顰めながら、後ろから指を伸ばす。
そのまま、克穂の眼に触れない様注意を払いながら、目尻に溜まった熱い涙をそっと拭ってやった。
「え・・・・」
「・・・泣くな」
細く震える声で零し、克穂が驚いた様にピクリと反応する。
そのまま涙を拭った指で髪を梳きながら、耳に口付けを落とした。
傷つかなくて良い事柄で心を痛める愛しい存在に、精一杯の愛情を乗せながら。
「・・・お前の顔が、見たい」
「・・・・・・・・・」
心底、昨日から抱いている言葉を、もう一度口にする。
合間合間に、目に付く場所全てに、慰める様なキスを贈り、指を髪に絡める。
顔が見たい。
だが、泣き顔はごめんだ。
笑った顔が見たい。
零した涙が乾くよう、擽るように首筋を撫ぜ、頬にまで滑らせる。
すると、今度ばかりは折れたのか、克穂がクルリと腕の中動き、俺へと向かい合う。
それでもすぐに胸に顔を押し付けられ、折角コチラを向いた顔を見る事が出来なくなった。
だがまぁ、良い。
すぐに向かせてやると、取り合えず素直に機嫌を直したらしい克穂の頭をポンポンと撫ぜた。
「・・・・なんで昨日、遅くなったの?」
克穂の当たり前な疑問。
それを今更聞くかとも思うが、それも仕方ない。
頭を撫ぜる手とは逆の手で、耳朶を緩く擽ってやると、心地良さそうな吐息が零れる。
そのままコイツの息を素肌で受けてから、克穂の問いに答えた。
「本多の馬鹿に引っ張り出されたんだ。デカイ取引が成功した祝いだとか言ってな」
「・・・・・・そう」
俺は断ったのだがとつけたし、昨日の光景を思い浮かべる。
全く、相変わらずの強引さだった。おまけに暑苦しい。
克穂に引っ付かれるのは歓迎するが、アイツにベタベタされるのはご遠慮願いたい。
「・・・連絡くらい、してよ」
「俺も、もっと早く帰るつもりだったんだ。お前の起きている内にな」
何度、宴席を抜けようとした事か。
携帯を取り出そうも、克穂の待ち受けを見て本多が騒ぐわ。
メールも電話もする隙を与えぬとばかりに、周囲に絡まれるわ。
俺の忍耐が思いの外強かった事に、自分で自分を褒めてやりたくなった程だ。
「・・・・でも」
「そうしたら、以前気紛れで餌付けた猫が絡んで来てな。時間が取れなかった」
「・・・・・猫って」
相当前に、気紛れで遊んでやったガキが1人。
子供がこんな時間にと呆れるも、お手軽な夜遊びが好きな子猫に何を言っても何処吹く風。
持ち前の粘り強さとガキ特有の癇癪を交わすには、相当労力を要した。
その時を思い出し、知らず疲れを色濃く滲ませた溜め息を零せば、克穂がううと唸ってから声を漏らす。
「・・・自業自得じゃない」
「うるさい。・・・全く、家に帰ってお前の顔を見ようと思えば・・・お前はベソを掻いて寝ているし」
「だ、だって・・・・」
別にコイツが悪い訳じゃない。
寧ろ、遅くまで健気に俺を待っていた姿が、愛しくて仕方ない。
だが。癒しを求めて帰って来た俺にとっては、泣き顔で出迎えられるのはダメージが大きかった。
ついつい、愚痴めいた声色で、克穂に言葉を投げ掛ける。
「仕方なく諦めて、起きてからにしようと思っていれば・・・お前は不貞腐れて、顔を見せないし」
「・・・克哉が悪いんじゃない」
「・・・・だから言ってるだろう。俺が悪かったと」
「うぅ・・・」
謝罪されては文句が言えないのか、これ以上意地を張るのも憚られたのか。
俺の胸に更に顔を押し付けて、ぐぅと黙り込みを決めてしまった。
全く。と、呆れの中に暖かい感情を抱きながら、もう一度、克穂に囁く。
「・・・顔、見せろ」
「・・・・・心配掛けた罰として、暫く見せてあげない」
「ほぅ・・・?」
「っ・・・あ、ははっ・・・く、くすぐんないでっ・・ふふふっ・・・」
今度は、随分と明るく、楽しげな様子で、可愛い拒絶をしてくる。
そんなコイツに、自身でも自覚している意地の悪い笑みを浮かべると、再び手を脇腹へ忍ばせた。
途端、また転がる、コイツの鈴の様な笑い声。
「やぁだっ・・・ふふっ・・・くすぐったいっ・・・てぇ・・・っ」
幸せそうな声に、ふっと、自然に笑みが零れる。
本当にコイツは、どうしようもなく、愛しい。
擽る手を止め、訝しげに首を傾げるコイツの頭にキスを落としてから。
心に灯る感情を惜しげもなく乗せ、蕩ける様な声で囁く。
「可愛いお前。・・・愛しいお前の顔を、見せてくれ」
克穂の身体が、一瞬ピクリと動く。
そしてそのまま、くたりと脱力し、俺に全てを委ねてきた。
どれだけ意地を張っても、コレには勝てないだろう?可愛いお前。
俺からのストレートな甘い言葉には、コイツはいつも敗北を喫している。
今回も例に漏れず、負けを認める言葉の代わりに、ゆっくりと胸元に押し付けていた顔を上げてくる。
少々赤らみ、それでも幸福そうな笑みを浮かべた顔に、知らず自身も口元を緩める。
この顔が見たかった。
愛しい、コイツの笑った顔。
「・・・ばか」
「何とでも言え。・・・可愛いお前」
目を細めて笑う。
それにつられた様に、克穂も抜ける様な空色の瞳をトロリと細め、俺をそこに映した。
その仕草に、どうしようもない愛しさが募り、ついと顔を近づける。
寂しい思いをさせて悪かったと、今度は言葉でなく、色付いた唇にキスを落として、謝罪する。
一度唇を離すと、克穂が名残惜しげに俺を見つめる。
それでも嬉しそうに1つ笑みを零すと、今度は克穂の方から口付けを強請って来た。
そのまま、可愛いおねだりに答え、幸せそうな笑みと愛しい体温に溺れる。
結局、俺はこの可愛い片割れの望み通りに、とろとろに甘やかしてしまうのだ。
ああ、まったく。
・・・お前には、勝てない。
END.
目から練乳、鼻から蜂蜜、口から水飴、耳から砂糖が垂れ流し。
ってくらいの甘さを目指しました。何回糖尿になれば良いのか。
『貴方には勝てない』の克哉さん視点。一生やってろ!と唾を吐きたくなる甘さ。
鬼畜眼鏡の鬼畜部分は何処へ。こんなの鬼畜眼鏡じゃない。
言うなればスウィート眼鏡。誰か買うのだろうかこのジャンル。少なくとも私は予約する。
スウィート眼鏡のフレームはベッコウ飴、レンズは水飴です。