報告会議も無事終わり、皆、会議室を後にする。

私は、少し早い足取りで、御堂さんの元へ向かった。






Rental-10-







「あ、あの、御堂部長」
「なんだ?」

声を掛ける私に、御堂さんは静かな視線を寄越してくる。
その眼は接待の時からはあまり想像のつかない、仕事の眼をしていた。
少し、緊張が走る。

「さ、先程は・・・」
「御堂くん」

私が会議でのフォローについて謝礼を述べようとしたその時。
他の人の声が、それを無碍に遮った。

「あぁ、大隈専務」
「あ・・・」

御堂さんは、自分を呼んだ上司に人当たりの良い笑みを浮かべ、私の横をすり抜ける。
だがまさか追い掛ける訳にもいかず、ただ、御堂さんと専務の姿を眼で追った。

「順調じゃないか。いや、君に任せて本当に良かったよ」
「恐れ入ります」

何て穏やかな笑顔なのか。
別に私に向けて欲しいとは思わないけれど、この変わり様は、ある意味凄い。
・・・いや、克哉も、結構凄いけど。
克哉も普段は挑発的な、人を食った笑みを浮かべている癖に。
人を騙す事となれば、嘘の様に人懐こい笑みを浮かべる事が出来る。

あの変わり身の早さは、いつ見ても凄い。
・・・尊敬出来るかどうかは、別にして。

克哉の笑顔を色々思い出し、一喜一憂する。
私を馬鹿にする時の笑顔。
何か企んでいる時の笑顔。
同僚をからかう時の笑顔。
どれも似た様に、口元を意地悪く吊り上げている。

でも、時折、ふと、慈しむ様な笑みを向けてくれる事もあるのだ。

柔らかな眼差し、穏やかな笑み、触れてくれる優しい指。

・・・そんなの、滅多に無いけど。


ふと克哉に持っていかれた意識を、御堂さんに再び戻す。


やっぱり、朗らかな笑顔。

御堂さんを褒めちぎる専務の言葉を耳に入れ、会議での自分の失態を思い出した。


(・・・結局、御堂さんに迷惑掛けちゃったな・・・)


自分からやると言ったのに、御堂さんは任せてくれたのに。
最終的には質問に答える事が出来ず、全て御堂さんに任せてしまった。
きっと、今は笑っている御堂さんも、心底呆れた事だろう。
任すんじゃなかったと、後悔しているかも知れない。


(・・・やっぱり・・・克哉の方が、良かったよね・・・)


克哉ならば、言い淀む事も無く、それでも口の巧い言い回しで凌いだだろう。
彼ならば出来たその対応。
・・・克哉の方が、向いていたのに。

今頃、いつもの調子で仕事をしているであろう克哉を、思う。



(・・・・もう、行こう)



まだ終わりそうにない御堂さんと専務の会話。

それを見て、さっさと鞄を手に取り、会議室を後にした。













「お前、まだのんびりしてるのか」
「え・・・?」


週末の近づいた帰路。

待ってくれていた克哉と並んで歩いていた私は、その問い掛けに顔を上げた。

克哉の問い掛けの意味が分からず、視線で問う。
すると克哉は意地の悪い笑みを浮かべて、私の心を引っ掻いた。

「御堂だ。・・・まだ、溺れる様子は無いんだろう?」
「っ・・・・」

克哉が、愉しそうに言う。
私はと言えば、込み上げた悔しさと恐怖に、唇を噛んだ。
やっぱり克哉は、私がどんな扱いを受けようと、どうでも良いんだろう。

「・・・そんなの、出来ないよ・・・」
「なんだ、御堂との関係が終わるのは、寂しいか?」
「ちがっ!なんで、そんな事・・・!!」
「だったらさっさと溺れさせろ。俺は、お前にたくさん教えてやっただろう?」

克哉の指先が、私の頬を緩く撫ぜる。
馴染んだその体温は、酷く心地好い。
思わず眼を細めるも、言葉にはしっかりと反応を返す。

「・・・でも、克哉以外の人には・・・そんなの・・・」

泣きそうになりながら言った言葉は、最後の方で掻き消えた。


克哉の唇に、遮られる。


柔らかいキスに、此処が外だと言うのも忘れて、眼を閉じる。

重ね合わせるだけの優しい口付け。
そっと克哉の手が私の髪を梳き、頭を寄せる。
波立った心が嘘の様に穏やかになり、克哉に全てを委ねた。

何秒くらい、そのままでいただろうか。
時間の経過がよくわからないまま、克哉の口が離れる。
それでも手はそのまま、私の頭をゆるりと撫ぜていた。

「可愛いお前。俺はお前を思って言ってるんだぞ?」
「・・・・うそつき」

からかうような言い方に、私はむくれ、俯く。
私を気遣うなんて、そんなの嘘だろう。
克哉は何より、この状況を楽しんでいるのだから。
退屈凌ぎには持って来いの、急激な物事の動き。
克哉が、楽しまない筈が無い。

事実、私が御堂さんに呼び出された所で、彼はそれを止める素振りすら見せないのだから。

「フン・・・だがこの調子では、プロトファイバー販促期間終了後も、付き纏われる可能性はあるぞ?」
「っ!」
「そうなる前に・・・なぁ?さっさと惑溺させてしまえ」

私が此間思った事。
販促期間が終わっても、関係が続くのではないかと言う、不安。
それを克哉に言われ、ビクリと肩を揺らした。

そう・・・御堂さんは、自分が満足するまで。と言っていた。

・・・もし、御堂さんが、期間中に満足しなかったら?
満足していたとしても、御堂さんがそれを素直に言うとは思えない。
まだだと言われれば、私は・・・?
8課の首が繋がった後も、言いなりにならなければならないのだろうか。

・・・何の為に、言いなりに?
仕事上の付き合いは、終わる筈なのに。

でも、きっと私は逆らえない。
また無理難題を吹っ掛けられて、今度こそ8課の全員の首が飛ぶかも知れない。
そう考えると・・・私が逃げられるチャンスなんて・・・


「克穂」


グルグルと思考が回る中、克哉の声がすっと入って来る。
俯かせていた顔を上げると、克哉は笑ったままだった。

「何を怖がる事がある。・・・お前には、俺がいるだろう?」
「・・・・あ・・・・」

優しい抱擁を受け、克哉の胸に身体を預ける。
気持ちが良い。
自分が一番安心出来る場所。

克哉の匂いに、体温に満たされ、心に蟠っていた不安がふわりと溶けていく。

「お前が今まで御堂にして来た事・・・無駄にしたくはないだろう?」
「・・・・うん」

克哉の言葉に頷く。
あの屈辱。恥辱。踏み躙られた、私。
8課の為を思って飲んだあの条件。
それらを無駄には、出来ない。
・・・だからこそ、頑張って、プロトファイバーの売上目標をクリアしなければ。

・・・・そして、早く御堂さんに、満足して貰わなければ。

「なぁ、お前。御堂は少なからず、お前に執着している」
「・・・・・・・・・」
「そしてそれは、初めに比べ、徐々に強くなっている」
「・・・・・・・・・」

前にも克哉に言われたそれ。
到底信じられない、その言葉。
御堂さんが私の何処に執着すると言うのか。
仕事も出来ず、口も下手で、プレゼンも結局御堂さんに任せてしまった、私の何処に。

どうしても理解出来ない私を1つ笑うと、克哉は私の髪に唇を落とす。

「俺は、それが少々、気に食わない」
「・・・・え?」
「このままじゃ、お前に溺れるどころか・・・俺からお前を奪い取ろうとするかもな」
「な、何言って・・・」

御堂さんが、そんな事をする筈が無い。
私なんかを求める筈が無いのに。

それでも、克哉の嫉妬めいた言葉に、嬉しくなっている自分がいる。
・・・本当に、どうしようもない。

「だからその前に、お前が手を打て。奴との関係を長引かせるな」
「・・・・・・・・・・・」
「お前がアイツに付き合っているのは・・・売り上げ目標を落としてもらう為だろう?」

克哉は知っていたんだ。
私が、どうして御堂さんに呼び出されているか。
・・・それは、そうか。
だって、8課で散々話題になっていたし。

「なら、期間終了後に付き合う理由は無い。
 今後付き纏われない様、この期間中に奴を絡めとってしまえ。・・・良いな?
 そうしないと・・・お前が御堂の条件を飲んだ事が、全て無駄になるぞ」
「・・・・・・・・・・・」


克哉の言葉には、どうしても頷けない。

でも、言う通りなのだ。

私が条件を飲んだのは、売り上げ目標を下げて貰う為。

あんな屈辱を受けたのは、8課を守る為。

だから。このプロジェクトが終わっても、御堂さんに支配されるくらいなら・・・。


「・・・克哉・・・」
「なんだ?」
「・・・・そばに、いて・・・・」


混乱して来た思考を無理矢理停止させ、克哉に縋る。

御堂さんとの関係を終わらせたい。
でも、終わらせる為に提示された方法は、到底私には出来ない。


どうして良いかわからず、ただ、克哉に泣きつくしか出来なかった。







克哉に肩を抱かれたまま、家に戻る。

電気もつけないまま、克哉にベッドに倒され、私も克哉に抱き縋る。


「明日までだ」
「・・・・・え?」


私のスーツに手を掛けながら、克哉が一言そう言った。

要領を得ず、聞き返す。

「御堂を堕とす期限は・・・明日まで、だ」
「あし・・・た・・・?」
「そうだ。明日、また約束しているんだろう?」
「・・・・・・・・」

そう言えば、克哉は会議室の前で待っていてくれた事があった。
その時、ドア越しに私と御堂さんの会話を聞いていたのだろう。
それを思い出し、1つ頷く。

「もうそろそろ新たな動きが無いと・・・いい加減俺も飽きて来た」
「なっ・・・別に、克哉を楽しませる為に、こんな・・・」
「わかっている。だが、何らか動きを見せないと、事態は一向に変わらない」
「・・・それは・・・」

確かにそうだ。
明日で、御堂さんへの接待は3回目。
どんどんとエスカレートしている要求。
そんな中、今度は何をされるか・・・想像もつかない。

それが更に続く様なら?

それならばいっそ、ここで何らか動きを見せたい。

・・・でも。


「・・・・そんなの・・・・」
「お前が出来ないなら・・・」


克哉が耳元に唇を寄せ、何かを含んだ声色で、囁く。





「今度は、俺が動くぞ」





克哉の言葉に、予感が1つ胸を駆け抜けた。



嫌な、予感が。



克哉ならば、状況を打破する方法をいくつか持っているだろう。

でもそれは、決して穏便な方法ではない。

どれを選んでも、決定的な傷が、癒えそうに無い深い傷が、誰かに残る。


恐らく・・・私と、御堂さんに。


何をする気なのか、何を企んでいるのか。

全く想像のつかない克哉の解決法が、酷く恐ろしかった。


「かつ・・・や・・・」
「良いな?・・・明日までだ」
「・・・・・・・・」


言い様の無い恐怖に駆られる私を見て、克哉は満足気な、それでいて心臓が凍て付きそうな笑みを浮かべる。



「精々、媚びて来るんだな」



嫌だと零しそうになった口は、克哉の唇に、乱暴に塞がれた。


















NEXT.


やっと克哉さん出て来たと思ったら不穏な動き。
克哉さんが見たいのは、御堂さんが克穂さんの身体に溺れる所。
そして、溺れて溺れて、依存が強くなった時に、彼女が自分の物だと見せ付ける事。
凄く嫌な性格ですが、連載の克哉さんはいつもこんな感じ。
でも、御堂さんは溺れるってより、克穂さんを支配したがってる。
・・・ので、そっち方面で執着されるのが腹立つので、克哉さんが動きを見せる、かも。
やっぱり克穂さんが可哀想だ。弄ばれすぎ。