朝は克哉を送り出す。
昼は家で克哉を待つ。
夜はお帰りと克哉を迎えて。
そうして、退屈に疲労した身体を、克哉の腕の中で休める。
・・・そんな、毎日。
Rental-19-
「・・・ふぅ・・・」
まだ日の高いこの時間。
周囲は、穏やかな静寂に包まれている。
・・・それはそうだ。
だってこんな時間、皆、学校に行ったり、働いていたり。
私だって、此間までは、この時間、忙しく動き回っていたのに。
良く晴れた空を見上げながら、洗濯物を干していく。
今日も、何事も無く過ぎて行きそうだった。
蒼い空に、退屈の溜め息を零す。
暇。暇過ぎて、どうにかなりそう。
かといって、新しく働き始めるのは、克哉から却下されているし。
テレビだって、主婦を狙ったワイドショーくらいしかやっていない。
習い事なんかも、特に興味も無く。
と言うより、これからは私の分の給料が無くなるのだ。
出来れば今は出費を抑えたい所なので、自然とそちらへの意識は無くなる。
唯一の楽しみは、最近見つけた、『ロイド』と言う喫茶店に、お茶を飲みに行くくらい。
そこで仲良くなった店員さんと、少し世間話をする程度。
でも、それでも良い。
・・・克哉も、なるべく早く帰って来てくれるし。
1人で待つこの時間は、退屈で、寂しくて、仕方ないけど。
プロトファイバーの一件を、キクチ、MGN両社の記録を塗り替える好数字で完遂した後だから。
今の所そんなに大きな問題も無く、克哉は、まっすぐ帰って来てくれる。
・・・だから、仕事出来なくて、嫌だけど。辛いけど。
・・・・・・克哉の帰りを、ただ、ひたすら2人の部屋で待つ。
・・・それが、克哉の望んだ事だから。
・・・私の、望んでいる事だから。
「・・・あ」
不意に、部屋の中で置き去りにされていた携帯が音楽を奏でる。
克哉からのメールを告げる、着信メロディ。
メールも電話も、克哉からの着信だけ、彼が好きだと言っていたアーティストの歌にしている。
・・・だから、この音楽が携帯から鳴り響く度。
私は、思わず駆け寄って携帯を手に取ってしまう程、浮かれてしまう。
「・・・えっと」
メールの内容は、何てこと無いもの。
夕飯は和食にしろと、ただ一言。
それでも、頬が緩むのが抑えられないほど、嬉しくて、幸せ。
克哉は隙を見て、こうやってメールを送ってくれる。
時間が取れた時は、電話もしてくれた。
1人でいる私が寂しく無い様に。
一応、克哉なりの慰めなのかな。と、なんだか心が躍ってしまった。
了解の返事を送り、画面を閉じようとした瞬間。
指先が滑り、誤って通話履歴のページを開いてしまった。
ページの一番下に記録されている名前に、息が止まる。
一週間前。
私が会社を退職したその日を最後に、一切通じていない、彼の名前。
「・・・御堂さん・・・」
暫く、その名前を見つめてしまった。
彼と最後に言葉を交わしたのは、コレが最後。
仕事を終え、もう来る事の無い会社を後にし、仲間達が送別会を開いてくれた、後。
どうしても最後に、お礼と謝罪がしたくて、私から電話を掛けたのが最後。
結局、私が御堂さんの番号を呼び出したのは、それと、その前の2回のみ。
・・・本当は、もっと、別の用事で使えれば良かったんだけど。
最後に聞いた御堂さんの声は、酷く静かだったように記憶している。
色々、言いたい事だってあっただろうに。
思う事だって、たくさんあっただろうに。
それら全てを通り越して、いっそ無機質な声で、私の言葉に淡々と答えただけだった。
・・・あんな無感情な声、仕事でも、接待の中でも、聞いた事が無かった。
でも、それも当然だと、受け入れる。
もう、彼は十分に傷ついてしまったから。
私達が傷つけてしまったから。
・・・これ以上、傷ついて欲しくなかったのに。
結局、また、私は、彼を傷つけてしまった。
折角、新しく関係を築こうと言ってくれたのに。
私を認めてくれて、お互い良い信頼関係を築こうと、言ってくれたのに。
でも、コレで良かったのかも知れないとも、思う。
私と克哉が一緒にいる限り、御堂さんはこれからも傷ついてしまうだろう。
私の所為で。克哉の所為で。私と克哉の所為で。
・・・それなら、このまま、彼との関わりを無くしてしまえば。
御堂さんはもう、私達の事で傷を負わなくても良い。
あの優しい彼が、傷つく事は無いのだから。
プロトファイバーのプロジェクトも終わり、暫くはMGNとの直接連携も無いだろう。
例え何か動きがあっても、また御堂さんが指揮を執る企画と合うかわからない。
克哉と出会う事もないだろうし、会社を辞めた私と会う確率はもっとない。
このまま、御堂さんとの関係を消滅させてしまうのが、一番良い。
その方が傷つかない。御堂さんも、私も。
そこまで考えて、コレが酷く自己中心的な考えだとわかっていながら、目を閉じる。
・・・彼は、私を忘れてくれるだろうか。
「でね、喫茶店に新メニューが増えてて、美味しかったんだよ」
「そうかそうか」
「・・・聞いてないでしょ」
「聞いている。興味が無いだけだ」
克哉の膝に収まって、背中を彼の胸に預ける。
薄いパジャマ越しに触れ合う体温が心地良い。
大好きな克哉の体温。
お風呂上りの清潔な匂い。
眼鏡を外して、良く見える様になった綺麗な顔。
髪を優しく梳いてくれる長い指。
全部が幸せで、昼間の鬱憤は何処へやら。
この生活も案外良い物かもしれない。と、思ったりしてしまう。
ああ、自分でも、何て単純なのかと呆れてしまう程。
でも、それだけ。
こうして克哉が甘えさせてくれる夜の時間は、幸福だ。
仕事も好調らしいし。
私は克哉の当初の希望通り、家で大人しく彼の帰りを待っている。
例の”退屈しのぎ”だって、恐らく克哉の予想とは違えど、満足した事だろう。
・・・御堂さんには、本当に申し訳ないけれど。
出来れば、私も、御堂さんと良い関係を築いていきたかったけど。
それでも今、克哉は私を撫でてくれている。
私が見上げれば、キスだって落としてくれる。
それがあるだけで、もう、十分満たされる様な気がして。
「あぁ、そうだ」
不意に克哉が声をあげる。
その思い出した様な言葉に、私は首を傾げて次を待った。
「明日は夕飯はいらない」
「え?・・・誰かと、食べてくるの?」
「ああ」
唇を吊り上げて言う克哉に、何となく不安な何かを感じ取る。
・・・誰と、ご飯?
「・・・会社の人?」
「いいや、ちょっとした接待だ。気にするな」
「あ、あぁ・・・そっか、接待か・・・」
と言う事は、また、仕事の関係なのだろう。
それなら良かった。と安堵の息を吐きかけるも、引っ掛かる。
・・・あの克哉の笑みは、何なんだろう。
「・・・どうした?克穂」
「え?・・・あ、えと・・・接待って事は、遅くなるのかな・・・って」
克哉に問われ、咄嗟に曖昧な笑顔を浮かべながら答える。
きっと克哉にはバレているのだろうけれど。
それさえも楽しいと言いたげに喉を鳴らしてから、私の嘘の問いに答えてくれた。
「あぁ、少しな。・・・大人しく待っていろよ?」
「こ、子供じゃないんだから、ちゃんと待ってるよ!・・・克哉の事、ちゃんと・・・」
「良い子だ」
私がすっかり克哉のペースに巻き込まれてしまえば、もう話題を掘り返す事なんて出来ない。
結局頭を撫でる優しい手にほだされ、気持ち良くて眼を閉じてしまった。
その中で、もう一度、克哉の言葉を反復する。
・・・接待。
克哉が。
仕事の接待なんだろう。きっと。
また新しい契約でも取ってくるのかも知れない。
克哉は、すごいから。
あの冷たい微笑みが、何を意味するのかわからないけれど。
そう無理に不安を押し込めようとした、瞬間。
御堂さんの傷ついた様な表情が浮かんだのは、何故だろう。
NEXT.
早くも状況に適応している克穂さん。
基本克哉さんがいれば何でも良いんです。
でもコレだと御堂さんがあまりに不憫過ぎる。(まぁそれだけの事はしたけど)
ので、最後にもう一度克哉さんに腰を上げて頂きました。
どう考えても御堂さん死亡フラグな気がします。
と、言う訳で次回でラストです。