目の前の男を見遣る。
色素の薄い髪。
抜ける様な白い肌。
澄んだ蒼い瞳。
綺麗に整った顔。
全て、彼女にも当て嵌まる筈なのに。
この男の冷たい微笑みだけは、彼女に被る事は無かった。
Rental-20-
「嬉しいですね、貴方から食事に誘って頂けるなんて」
小馬鹿にした様な声と嘲笑を、遠慮の欠片も無しに投げ付けてくるこの男。
ワイングラスを傾ける姿が、憎らしい程様になっていた。
「・・・貴様とは一度、話をしておきたかったんでな」
「で、昨夜に待ち伏せしていた訳ですか。お忙しい中、お手を煩わせてしまいましたね」
明らかな挑発に、憎々しげに眉を顰めてから、自分を抑える。
佐伯のこの様な態度は、私で遊びたいが為。
思い通りに動くのは癪であるが、こうして私が抵抗する事さえ、奴の想定内なのだろう。
心底、腹が立つ。
「克穂の奴も、俺が珍しく外食なんてするから、驚いていましたよ」
「っ・・・」
「おや、どうしました?」
彼女の名前に、微かに肩を跳ねさせてしまう。
あからさまな私の反応に、佐伯は愉快そうに問い掛けて来た。
白々しいにも程がある。
・・・私が反応を見せる事を知って、彼女の名前を口にした癖に。
今頃、部屋でこの男の帰りを1人で待っているであろう彼女。
最後。
電話越しに、涙に濡れた声で、私に最後の別れを告げた・・・彼女。
彼女はまだ、傷ついている。
この男と、私の所為で。
だからこそ。
昨日、キクチを退社するこの男を無理矢理捉まえたのだ。
少々訝しげな色を覗かせていた佐伯に、強引に約束を取り付けて。
今この時間は、もう、彼女を傷つかせない為に。
いくらこの男に苛立ち、席を立ちそうになったとしても、耐えなければ。
耐えて、この男から、せめて彼女を守れる様、機会を伺わねばならないのだ。
「・・・彼女は」
「退屈で死にそうだとボヤいていましたね」
その他は至って。と、佐伯は笑みを崩さぬままに答える。
この男はわかっているのだ。
私がこの男に言いたい事は、そんな他愛の無い話ではないと。
それをわかっている癖に敢えて言葉を逸らし、私が口を開くのを、待っている。
どこまでも、嫌味な男だ。
「・・・佐伯」
「何でしょう?」
私がようやく、意を決した様に呼びかければ、佐伯は涼しい眼で私を射抜く。
私が何を言うか、とっくに見抜いている蒼い眼。
眼鏡のレンズに冷たく阻まれたそれは、酷薄な愉悦を滲ませている。
つり上がった口元が、よりその印象を強めている。
何もかもわかりきっているような佐伯の様子に圧されながらも、些か乾いた口を、もう一度開いた。
「・・・これ以上、彼女を束縛するな」
佐伯が、笑う。
「おや。仰っている意味が、良くわかりませんね」
「ふざけるな」
険を篭めた声で言えば、佐伯はわざとらしく肩を竦めて哂う。
ああ、本当に、気に食わない。
「アイツは俺の傍にいる事を望んでいる。それが、アイツの幸せだ」
「・・・確かに、彼女は貴様に依存している。今の状況も、不満ではないのだろう」
そこは認めざるを得ない。
実際彼女は、あの時、この男の手を取ったではないか。
引き止める私を振り切り、哀しげな微笑で、私を拒絶したではないか。
あの男の傍に、今までの繋がりを全て絶ってでも寄り添う道を選んだのは、彼女自身だ。
・・・しかし。
「だが貴様は、その他全ての、彼女の光を絶った。
まだ働いていたいと彼女は泣いていた。
私と、また新たに良い関係を築いていこうと、笑っていたのに」
それをこの男は、捨てさせたのだ。
自分の”物”である彼女に、自分以外の全てを手離すように。
自身の身体を、プライドを犠牲にしてでも守りたかった仲間達を、課を、仕事を。
そして、私との繋がりすらも。
思わずギリと歯を食い縛ると、佐伯は厭らしく喉を震わせて笑う。
この綺麗な顔を、殴り飛ばせたらどれだけ気分が良いだろうか。
「御堂さん、アンタはアイツと、新たにスタートを切りたかっただろう?
身体の繋がりではなく、心を互いに通わせ預け合う、信頼しあった関係で」
「・・・そうだ」
「だからですよ、御堂さん」
「何がだ」
佐伯はワインを一口煽ると、やけに静かな笑みを浮かべる。
しかしそれは、絶対的な支配者の浮かべるそれを連想させる、嫌な笑みでもあった。
「アンタがあのままアイツの身体だけに溺れていれば、その望みを仮初だとしても手に入れられたのに」
不意に、以前この男が言った言葉を思い出した。
『俺は、自分の物を他人に奪られるのが大嫌いなんですよ、御堂さん?』
ふと、気付いた。
今更気付いた所で、どうしようもないが。
それでも、今、ようやく。
この男は、確かに彼女を”物”として見ている。
そして自身の私欲の為に扱い、傷つけ、支配して。
それでも。
それは。その行いの全ては、この男が抱く、彼女への執着。
それに起因しているのだと。
「アンタがアイツの心まで望むから、アイツがアンタに心を揺れ動かしたから、こうなったんだ」
佐伯が笑う。
しかしその笑みは至って冷静だ。
この男は、自分が異常だと、とっくに承知しているのだろう。
いいや、寧ろそれを受け入れ、愉しんでいるようにすら見える。
だからこそ、自分の行動の異常ぶりを、こうして冷ややかに口にするのだ。
「アイツは俺の事を良くわかっている。どうして俺が突然アンタに俺達の関係をバラしたのかも。
どうして俺が仕事を辞めろと言ったのかも、全て」
この男が私に、彼女に傷をつけた理由。
それは、私が彼女の心を強く欲したから。
そして彼女も、私を思い、心を開こうとしてくれたから。
・・・それら全てを知りながら、彼女はこの男の粛清を受け入れた。
「・・・だが、彼女は」
佐伯の不興を買うとわかっていても、私に心を見せようとしてくれていた。
・・・彼女は、例え佐伯への想い程強くなくとも、私を思ってくれたではないか。
そうして、私の手を手離したのも。
佐伯の命令に逆らえなかった事もある、のだろうが。
きっと、彼女の事。
私との関係を続ければ、この男の怒りを買い続ければ。
佐伯がまた、私に癒えぬ傷をつけるだろうと、恐れたのだろう。
・・・優しい、彼女の事だ。
課を、仕事を、仲間を守る為に、自らの身体と誇りを投げ捨てた彼女。
今度は私を守る為に、全ての道と、今まで守って来た物を捨ててしまった。
私が彼女を守ってやると言ったのに、私は、何1つ約束を守れていない。
「・・・あぁ、もうこんな時間か」
不意に佐伯が、腕に嵌めた時計に視線を落とす。
そしてそう言葉を零してから、徐に席を立つ動作を見せた。
「申し訳ありませんが、そろそろ失礼させて頂きますよ。
コレ以上遅くなると・・・アレが寂しくて泣き出すんでね」
これ以上話す事は無いとでも言う風な男の様子に、静かな眼を向ける。
彼女を愛している癖に、傷つけるこの男。
それで、彼女が自分の所有物だと、刻み付けているつもりか。
ああ、やはり、不愉快だ。
つい先日までの、私を見ている様で。
佐伯の言葉に何の反応も返さずにいると、既に背を向け、数歩長い足を進めていた奴が振り返る。
「そうだ、御堂さん」
口元は相変わらず、圧倒的な支配者の笑みを浮かべていた。
「もしアイツの身体が恋しくなったなら、いつでもお貸し出し致しますよ。
今回、存分に愉しませて貰った礼とでも受け取って下さい」
生憎、心まではお貸し出来ませんが。
最後に、彼女と同じ蒼い眼を優しげに細めて。
彼女と同じ色の髪を、彼女と同じ色の肌に揺らしながら。
嫌味な程綺麗な顔に、彼女に似せた微笑をわざとらしく浮かべて。
佐伯は、また、私の心を深く抉ると、今度は振り返る事なく去って行った。
背筋の伸びた男の姿は、さぞ周囲の眼に美しく映るだろう。
けれど今、私の脳裏に映るのは、最後に見た彼女の微笑み。
涙を流して、それでも私に哀しく笑い掛けた、彼女の貌。
あの時君は、何を思ってくれたのだろう。
こうして、あの男の用意した檻の中で、今まで築き上げた全てを捨てて。
憎んだ筈の私を受け入れて。そうして、私を守る為に私の手を離して。
あくまで自分を”物”と扱う兄を1人待ち続ける日々を、どう言う思いで選んだのだろう。
「・・・・・・」
静かになった空間で、私の指先は、グラスではなく携帯に伸びる。
仕事の用以外、特に使い道の無い、無機質なそれ。
そこに一番新たに登録され、一度も自分からは呼び出した事の無かった番号を、引き出す。
新たな関係を始める為に、互いに交換した番号。
しかしそれは、新たな始まりを迎える前に、終わらせる為の言葉を告げる為使われてしまった。
・・・今度は、違う。
克穂君。
私は君に言った筈だ。
私はもう、傷つく事を恐れない。
あの男の言葉に怖気付き、君を手離す程、私は諦めも潔くも無い。
そうして、君が傷つきそうならば。
例え何を犠牲にしても、自身のプライドを投げ捨ててでも、君を守り通すと、誓った。
あの時。
君と初めて2人で対峙した、あの時。
私へ縋って来た、君の気持ちが、今は良くわかる。
ただ、守りたい。
大切な君を。
それこそ、何をしてでも。
もし働きたいと言うなら、MGNに来れば良い。
私が全部面倒を見てやる。
あの男の元から離れたいと思ったら、私の所に来ると良い。
いつでも受け入れよう。何に代えても守ってやる。
そしてもし。
君がまだ、例え私がどんな傷を負おうと、新たな関係を始めたいと思ってくれていたなら。
ディスプレイに映る番号。
彼女の名前。
私の指先が、迷わずに、通話を示すボタンを押した。
END.
駆け足尻切れラスト。
克哉さんの最後の台詞が書きたかった。
『空白の存在感』の逆バージョンみたいですが、克克です。
御堂さんが前向きになった感じで終わり。
長々と書きたい事はありますがそれはあとがきにて。
お付き合い下さった皆様、ありがとう御座いました。