プロトファイバーの販促活動が始まって、1ヶ月。
私は、御堂さんの執務室にいた。
Rental-9-
今日は、MGN本社で、経過報告会が行われる。
勿論それは知っていたし、てっきり・・・克哉辺りが出るのかと思っていた。
キクチの代表として出席するのだから、営業成績の良い克哉が選ばれると。
なのに。
(・・・どうして、私・・・?)
昨夜、克哉のアドバイスを受けながら何とか作り上げた資料。
それを大事に入れた鞄を、ぎゅっと握り締める。
今ここに、御堂さんは、いない。まだ来ていない。
机を見ると、いくつかの書類や資料が、几帳面に置かれていた。
忙しい身分なのだろう。
・・・忙しいのならば、私になんて、構っていなければ良いのに。
そう、溜め息を吐く。
思い出せば、あの御堂さんへの接待は、この部屋で最初に告げられたのだ。
身体に嫌な緊張が走る。
でもそれはすぐに、あと数数分後に迫った会議への緊張と入れ替わった。
(やっぱり、克哉の方が・・・)
こう言った仕事は、克哉の方が適任であると思うのに。
喋りも下手。
人の眼を見るのも苦手。
消極的で、要領も悪く、営業先ですら多大な苦労を強いられている私が。
どうして、ここに選ばれているのか・・・全くもって理解出来ない。
(いや・・・克哉が御堂さんと仕事するくらいなら・・・私が・・・)
そう、思い直す。
またプレゼン中に、いらない騒動を起こされては、堪らない。
ただでさえ私は御堂さんに解放を許されていないのに、これ以上彼の機嫌を損ねたら・・・。
考えるだけで恐ろしい。
そんな事を考えている内に、段々足が震えて来た。
プレッシャーに押し潰されそうな自分の心を、精一杯奮い立たせる。
(仕方ない・・・来てしまったんだから、今はやるしか・・・)
今出来る事をやって、少しでも気分を落ち着かせようと、鞄を開ける。
資料のチェックでもしようと思ったのだ。
作ったそれを手に取り、眼を通そうとした、瞬間。
「!」
ノックも無しに、執務室のドアが開いた。
御堂さんが、入って来た。
慌てて、恐怖心を押し殺しながら、挨拶をする。
「おはようございます」
「ああ」
冷静な返事。
・・・多分、ここでは、何もされないとは思うけれど・・・
それでもやっぱり、恐怖は拭えない。
今この場に2人きりならば、尚の事。
御堂さんは私の様子から察したのか、口元をニヤリと歪めた。
「期待してもらっているところ悪いが、今日は君にサービスしてやるつもりはない」
「期待なんて・・・!」
見下げた物言いに、思わずキッと御堂さんを睨む。
けれど御堂さんは冷笑を1つ浮かべただけで、すぐに仕事の姿勢に戻った。
「資料は用意して来たのか?」
「は、はい・・・こちらですが・・・」
「見せろ」
「・・・はい」
手に持ったままだった資料を、御堂さんに渡す。
彼はそれを受け取ると、丹念なチェックを始めた。
こう言う時は、自分の会社でも何でも、緊張が体中を戒める。
暫く資料に眼を通していた御堂さんだったが、不意に、立ち尽くす私に視線を向けた。
「・・・今日は、君1人か」
「は、はい。あの、片桐課長は、キクチの方でどうしても外せない会議がありまして・・・」
「そんな事はどうでもいい。キクチの誰が来ようが、我が社の方では誰も気にしない」
「そう・・・ですか・・・」
なら、克哉が来たら?
なんて言ったら、また睨まれそうだ。
でも誰でも良かったのなら、本当に、克哉に来て貰っても良かった。
・・・また御堂さんを挑発する様な事をするのは、目に見えてるけど。
心の中でそう考えていると、御堂さんは不快そうに眉を顰めた後、こう口にした。
「今日のプレゼンだが、私が行う。君が口を開く必要はない」
「え・・・そ、それは・・・」
思わず、口を開いた。
いくら私が頼り無いとは、トークが下手だとは言え、コレはキクチの仕事。
流石に黙っている訳にはいかない。
御堂さんの反感を買うのを承知で、私は、なるべく落ち着いた口調で申し出た。
「・・・私に、やらせて下さい」
「なんだと?」
予想通り、御堂さんの視線が一層冷たくなる。
それでも、ここで引く訳には行かない。
ここまで馬鹿にされて、引ける訳がない。
「営業を担当しているのはキクチの社員です。今日は、その代表として此処に来ました。
・・・・その責任を、果たしたいと思います」
「責任?」
「はい。プロトファイバーの販売状況や現場の声は、自分達の方が把握している筈です。ですから・・・」
「私のプレゼンでは、心許ないと?」
低くなった御堂さんの声に、ハッと声を飲み込む。
・・・出過ぎた、かも。
「い、いえっ・・・そうではなくっ・・・」
自分の発言に後悔を覚えるけれど、どうしようもない。
私が言った事は事実であるし、何より責務を全うしたい。
でも、少し言葉が過ぎたかもしれない・・・
思考が後ろ向きになり始めた時、御堂さんが手にしていた資料を閉じた。
そのまま資料を、私に押し付ける様にして返して来る。
それを反射的に受け取ると、御堂さんは感情の読み取り難い声で、私に言った。
「いいか。私に恥はかかせるなよ」
「え・・・」
思いもよらぬ御堂さんの言葉に、思わず彼を見詰める。
・・・・それって、私がプレゼンをしても、良いって事・・・・かな。
けれど御堂さんからそれ以上の言葉は貰えず、代わりに会議開始の時間だと告げられた。
「そろそろ時間だ。行くぞ」
「み、御堂さん・・・?」
私が呼び掛けるも、御堂さんは自分の書類ケースを手に取り、さっさと部屋を後にしてしまった。
少々呆気に取られていた私も、慌てて書類を鞄に入れて、御堂さんの後を追いかけた。
会議に対する緊張は、この時、少しだけ、薄れていた。
会議は、御堂さんの独壇場だった。
ハッキリとした口調。
わかりやすい資料。
進行の澱みの無さ。
どんな質問にも素早く正確に答える、状況の完璧な把握と適確さ。
御堂さんの隣に座る、MGNの大隈専務も、至極満足そうにしていた。
堂々たる御堂さんの姿勢と仕事ぶりに、私は彼に受けた仕打ちも忘れ、尊敬の念を抱く。
(誰にも厳しい人だけど、何より自分に一番厳しいんだろうな・・・私も、そんな風になれたら・・・)
そうぼんやり理想を思い描いていると、ふと会議の流れが変わった。
MGNの社員の1人が、資料と御堂さんの言葉に頷きながら、別の項目について問う。
「うむ、大体わかった。それで、現時点での販売状況について、詳しい報告をして貰いたいのだが・・・」
「それについては、キクチ・マーケティングから報告して貰います」
御堂さんはそう答えると、私の名を1つ、無機質な声で呼んだ。
「佐伯君」
「は、はい!」
声を上擦らせて、答える。
弾かれる様にして立ち上がった為、椅子が倒れそうになってしまった。
それに、近くの席から押し殺した笑いが聞こえる。
・・・早速恥をかいてしまった。
このまま雪崩の様に失態を犯しそうになったので、なんとか平常心を保ちながら、挨拶をする。
声は、情けなく、緊張に震えていた。
「あ、あの、ただいまご紹介にあずかりました、キクチ・マーケティングの佐伯です」
緊張に目の前が真っ白になりそうな気がする。
煩い心臓の音を耳元で聞く様な錯覚に陥りながら、足元の鞄を手繰り寄せ、資料を取り出す。
「報告前に、資料をお配りします・・・」
「私がお配りします」
「あ・・・お願いします」
私が資料の束を手に持って言うと、先程まで御堂さんのアシスタントをしていた女性がそう言ってくれた。
折角の好意に甘え、彼女に書類を手渡す。
もしかして、と思い御堂さんを見たが、彼は座ったまま、コチラに一瞥もくれない。
・・・でも、あの女性が来たと言う事は、御堂さんが指示してくれたのだろう。
(・・・フォローしてくれたんだ・・・)
信じられない様な気持ちになりながら、それでも少しの安堵を得る。
それに、今は御堂さんにとっても大事な時期。
私の失敗で、彼に迷惑を掛ける訳にも行かない。
私達の首だって、掛かっているのだ。
幾分落ち着きを取り戻した心で息を深く吸い、全員に資料が行き渡ったのを見て、口を開く。
「まず、最初のページをご覧下さい。そちらは、プロトファイバーの販売が始まってから先週までの・・・」
今私は、自分に出来る事をやるしかない。
大丈夫、この資料だって、克哉のアドバイスを受けながらだけど、頑張って作ったんだから。
そう自分を奮い立たせ、資料を持った手に、少し力を込めた。
営業報告は、思いのほかスムーズに進んだ。
予め細かい資料を用意していた甲斐があった。特に、問題点も見当たらない。
全ての報告を終え、心の中で大きく息を吐きながら、全員に告げる。
「以上で、私からの報告を終わらせて頂きます」
終わった・・・と、肩の力を抜こうとした矢先、1人のMGN社員から声が上がった。
「質問なのですが」
「は、はい。なんでしょう・・・」
再び、全身に緊張が走る。
質問の声を上げたのは、いかにも神経質そうな中年の男性。
彼は私の資料を手に立ち上がると、納得のいかない様な顔つきで、私に問うた。
「どうもCS系に弱い気がするな。これはどういう理由が考えられる?」
「理由・・・ですか?」
「そう。営業担当として忌憚のない意見を述べて頂きたい」
「それは・・・」
真っ白になりかけた頭に、いくつかの理由が浮かぶ。
でも、それを言うには、少々の躊躇いがあった。
理由は、キクチの営業力の無さ、そして、8課の人員不足が挙げられる。
それ以外となれば・・・プロトファイバーの準備期間不足を指摘しなければならない。
・・・私に、それが言えるだろうか。
MGN本社のこの場で、キクチの平社員である私が、そんな事を?
逡巡していると、答えを促す様に男性社員が問い掛ける。
「どうした?」
「いえ、あの・・・」
私が答えに言い淀んだその時。
静かに席を立つ音が、混乱した耳に届いた。
「恐らく、準備期間の問題でしょう」
「!」
思わず、視線を向ける。
御堂さんが、答えられない私に代わり、そう、言ってくれた。
(み・・・御堂さん・・・?)
突然の彼の発言に、会議室全員の視線が集中する。
その中、少々批難めいた色を乗せた声が1つ、御堂さんに投げ掛けられた。
「それは、どういう事だね?」
「ご承知の通り、本商品は本来半年後の発売を予定して進行しておりました」
御堂さんが、スラスラと質問に答える。
そこで言われた答えは、私が最も躊躇った答え、そのものだった。
私の用意した資料を使い、御堂さんの言葉は続く。
確かな根拠と、正確な指摘。
それらが御堂さんの芯の通った声に乗せられ、皆、言葉に耳を傾ける。
最初に質問した男性も、他の社員も、そして、私も。
質問の答えから、今後の販売戦略について展開する御堂さんに、全員の意識が寄せられる。
もう私の事など、誰も気に留めてはいない。
(それはそれで良いんだけど・・・)
1人説明を続ける御堂さんをチラリと見遣り、私はこっそり、心で溜め息を吐いた。
NEXT.
お互い、初めて相手に対する認識に変化が見られた回。
いや、御堂さんはもっと前から、無意識に克穂さんを気にしてるけど。
克穂さんも今回、御堂さんの違った一面を見て。
御堂さんも、よりハッキリ、克穂さんに対する新たな認識を取り込んでる。
本編でも重要なイベントだった気がします。
・・・しかしやはり克哉さんが不在。か、克克!!