肉の焼ける臭い。



血の焦げる臭い。



自分の足元に転がる、誰ともつかぬ挽肉の様な物体。



紛れも無く人間として存在していた、肉の残骸。



何故か。何故か。それを、よぉく、見る。



それは、それは、少年の顔。



年端も行かぬ、少年の顔。







その少年は、恐怖と驚愕に満ちた瞳で訴えた。















オニイチャン、ドウシテボクヲコロシタノ?















『それは子守唄の様な』















「―――ッ!!!!」




激しい眩暈にも似た世界に、蒼鬼はバネの様に跳ね起きる。

その顔は蒼白で、全身、異常な程の発汗。


夢見が悪かった。それだけで済ませられ無い様な、脅え。


ガクガクと、意思とは関係無しに手足が震える。

そんな自分の身体を守る様に、両手で思わず肩を抱いた。



掌が、嫌にじっとりする。



気になって、気になって、まだ、夢と現の狭間を彷徨う眼で、手を見る。








血が、ついていた。








「ヒッ・・・!?」


普段は絶対に出さない様な、引き攣った、喉の悲鳴。

隣に眠るロベルトを起こしてはならない。と慌てて歯を食い縛り、確認の為横を見遣る。


そこには、同室のロベルトが静かに眠っていた。


そして、そのすぐ上。


彼の、枕の上に。







光る、眼球。







「・・・!!!!」



全身の血が凍て付き、蒼鬼は声にならぬ悲鳴を上げ、部屋を狂った様に飛び出した。


冷静に見てみれば、手についていたのは血ではなく、汗。


光る眼球は、勿論ロベルトの眼鏡。


だがパニック状態に陥った蒼鬼には、全てが悪夢と重なり、現実の物と混同してしまっていた。




混乱したまま、激しい足音を立て、外へと飛び出す。










そこは、静かな波。










蒼鬼は漸く思い出した。




ここはサン=フェリペ号の中。


自分は今、仲間達と共に、秀吉を討つ為に。



ほ・・・っと、思わず胸を押さえる。

アレは夢だ。

アレは夢だ。

アレは夢だ。



先程見た血も。

光る眼球も。



今の蒼鬼には、夢の中の出来事と錯覚していた。



実際には、恐怖と混乱の中で見た、自身の幻覚であったのに。



「・・・・・夢・・・・・」



声に出して、言う。

まるで呪文を掛ける様に。恐れを打ち消すように。



そうだ。

きっと、九州へと赴く事になったから、思い出したんだ。



そう、言い聞かせる。

しかし、言い聞かせる度、あの夢は鮮明に。

少年の声は鮮明に。

血肉の臭いは、鮮明に。






「オ、ェッ・・・!」






唐突に込み上げる、嘔吐感。


必死に船の縁へしがみ付き、欲求を堪える。


鼻の奥に、喉の粘膜に、こびり付いて拭えぬ、焦げた生肉の臭い。



まだ自分を苦しめるのかと。


これは自分への戒めなのかと。


民を救えなかった。少年を救えなかった。皆を守れなかった。自分への。



蒼鬼は、口を掌で覆いながら、何処かまだ混乱している頭で考えた。












「蒼鬼?」












不意に聞こえた、涼しい声。


不思議な響きを帯びた、銀色の声。


名を呼ばれ、蒼鬼は振り向きもせず、漸くの思いで声を絞り出す。





「・・・・・・・・天、海?」
「何をしている、こんな所で、もう夜も遅いぞ」





いつもと変わらぬ調子の声に、蒼鬼の緊張がストンと落ちる。

それと同時に、身体ごと、座り込んだ。


「蒼鬼?」
「天海・・・か・・・」
「どうした。顔が蒼いぞ」


同じ目線へとしゃがみ込み、天海が聞く。

蒼鬼は、ぼうっと下を見つめていた。


「・・・どうしたんだよ、アンタ」
「それはこちらの台詞だ。あんな騒がしく足音を立てて・・・」
「・・・悪い。起こしたか」
「いいや、私はそこで本を読んでいたのでな」



その言葉に、蒼鬼は漸く天海を見る。


そう言えば、深夜だと言うのに、彼女は普段の着物のまま。


普段と言えど、無論鎧は取っている。


だからこそ、露出が多く、ハッと我に返った蒼鬼は、慌てて天海から目を逸らした。






しかし、天海の表情が、変わる。






「蒼鬼、こちらを向け」
「え・・・?」


細い両手が伸ばされ、蒼鬼の両頬を包む。

そして、ゆっくり。ゆっくりと、その顔を自分の方へと向けさせた。


天海の、琥珀の瞳に、自分の顔が映る。










それは、あの少年の顔に、良く似ていた。










「ッ!!」
「落ち着け蒼鬼」


何処と無く光にも似た、攫めぬ、天海の声。

それは耳に馴染み、もう、他の音すら耳に入らなかった。


「・・・天海・・・」
「落ち着け。自分を保て。何も見たく無いなら、私を見ていれば良い」


少し。

両頬に当てた手に、力が籠る。

それは心地好く。とても心地好く。

まるで日溜りの様な。まるで母の胎動の様な。





「・・・・・・・蒼鬼、息を吸って、ゆっくりと吐いてみろ」





響く声に促され、無意識のままに、呼吸を始める。


産まれたばかりの子供の様に。


初めて世界に触れた、赤子の様に。





「・・・・・・落ち着いたか」





今度はハッキリとした声で問われ、蒼鬼も現実へと引き戻される。


既に両手は離れており、その温もりを欲している自分に気付いた。

これでは本当に赤子ではないかと、少々恥じる。


「あ、あぁ・・・ありがとう、天海」
「・・・お前は、随分重く深い念に憑かれていたようだ」
「!」


礼への返事ではなく、返って来た言葉。

それに、蒼鬼は過剰に反応した。

揺れる。そして、微かに震える、肩。

天海はそれを見つめながら、赤子に話す様に、ゆっくりと紡いだ。


「怨霊の類ではない。ただ、どうにも、深い苦しみと、痛切な嘆きが聞こえる」
「・・・・・・・それは、子供か」


蒼鬼の押し殺した声。

いつもと違うその冷たい声を警戒しつつ、天海はあえて変わらぬ調子で答えた。




「わからん。だが、恐らく。女や子供の類だろう」




ビクリ。と、眼に見えて蒼鬼の身体が揺れた。

再び、顔は青白く。

額には微かに、じっとりと汗が浮かび上がっていた。



「蒼鬼。・・・蒼鬼、落ち着け」
「天海・・・俺は。俺は。殺したんだ。見殺しに、したんだ」
「落ち着け。大丈夫だ。その念は、お前を責める物ではない」


天海が言っても、蒼鬼は聞かない。

ただ、ただ、酷く脅えて、自分の肩を撫ぜてくれた天海の腕を鷲掴んでいた。






ミシ。ミシッ・・・






まるで、木の板をへし折るかの様な音が、する。


無論木など、折れてはいない。



その音を発しているのは、掴まれた、天海の手首だ。



骨が軋んでいる。

人間の物とは思えぬ恐ろしい握力に、悲鳴を上げている。


天海の表情が歪んだ。


「蒼鬼・・・」
「俺は殺した。助けてと。助けてと言っていたのに。
 見殺しにしたんだ。俺が殺したんだ。
 俺は、あの子供が、生きながらに腕を引き千切られても。
 耳や鼻を削ぎ落とされても。
 何も。何も。何も。出来なかったんだ・・・ッ」

悲壮な叫びと共に、手の力も増す。







折れる・・・。







そう、心が叫んでいる。

しかし、今、彼の気を乱す訳にも行かない。

手首の痛みを押し殺し、天海は、努めて冷静に話し続けた。


「蒼鬼。・・・人は、いつもそうなのだ。
 誰かを守る為に、誰かを殺す。
 誰かを救う為に、誰かを見捨てる。
 何かを守る為に、何かを壊す。
 いつでもそうだ、蒼鬼。
 全てを傷付けず守り通すのは、不可能な事」


縋る瞳で。

迷子の様な瞳で。

蒼鬼は天海を見る。



そこに散らばる星屑と同じ、白銀の髪。



恐ろしく夜空に栄え。

怖ろしく月に栄えていた。



「仕方の無い。と言う言い方は、あまりに杜撰で乱暴であろう。
 けれど、どうにも、その通り。
 守れる物は限られている。
 やらねばならぬ事は限られている。
 
 辛かろう。悔しかろう。

 けれども、それに捕らえられていては、救える物も救えはせん。
 蒼鬼。前を見ろ。
 顔を上げて、前を見ろ」



言われた通り、顔を上げる。


そこには、天海の顔。


その眼に映っている自分は、あの少年ではなく、自分で。




酷く幼い顔をした、自分で。




「・・・・ッ・・・・」




抑えきれぬ衝動が、襲う。


そのまま、天海の腕を掴んだまま。


崩れ落ち、彼女の膝へと、顔を埋める。





嘆く。慟哭する。





それは、重い、重い、鎖を外された少年の様で。





「あの子供はッ、こうして、縋る事すら出来なかった筈だ!!!
 苦しみもがき、終わりの見えない苦痛の中で・・・ッ。
 最期のその瞬間にすら、母親に縋る事も出来ずに!!!
 誰かの助けを得る事も叶わないままに!!!!
 そんな子供を。子供1人を。1人にされた子供を・・・!!!

 ・・・・助けられなかったんだ・・・・ッ」

「蒼鬼・・・」


先程の天海の言葉は、重い。

それは鎖であり、自身への戒めにも感じられた。


救うべき者。守るべき者。


それは今、勿論ハッキリしている。


壊すべき物。殺すべき者。


それだって、勿論。






けれど。やはり。どうしても。






「天海。なぁ、まだ、聞こえるんだ。
 声が聞こえるんだ。
 どうして助けてくれなかったのって。どうして殺したのって。
 聞こえる、聞こえるんだ。
 あの子供の声が。
 どうしてだ。なぁ。俺は、救えなかった。
 怨んでるんじゃないのか。俺を。だから、こうして俺を責めるんじゃないのか・・・ッ!?」



己の膝に縋り付き、激情をぶつける蒼鬼に、天海は複雑な表情を浮かべる。


それは、まるで困った母の様な。


己の息子が苦しむのを、身を引き裂く思いで見つめる、母の様な。


それでいて、愛する者を苦しみから救いたい、女の様な。





拳を固く握り締め、腿を涙で濡らす蒼鬼の頭を、天海が撫ぜる。






その右手は、手首は、痛々しく、真っ赤に腫れていて。






「蒼鬼。先程言った様に、怨霊の類ではない。
 これは試練だ。
 お前に対しての、試練だ。
 お前が未だ囚われる過去へ決別する為の。

 子供はお前に言葉を投げ掛けるか。
 お前がその投げ掛けから逃げている限り。
 答えを見出せぬ限り、子供は幾度も現れるだろうよ。

 血の臭いが取れぬか。
 肉の焼ける臭いが取れぬか。
 それはお前が過去に囚われているからだ。

 蒼鬼。越えろ。
 今を見つめろ。前へと歩め。
 過去を忘れる事など出来ぬ。
 なら、受け入れろ。過去の己と決別し、在るがままを。
 蒼鬼。
 そうしなければ、お前はいつまでも進めはせん。

 蒼鬼。・・・蒼鬼」







少々欠けた、月に。



ぽっかりと空いた、空洞の様な夜空に。



響いて溶ける、天海の言葉。







まるで、それは子守唄の様な・・・。



























END.


無駄に長い上、話に意味も持たないと言う古典的最悪パターン。
いや、自分の頭の中では、それなりに纏まっていたのですが・・・。
表現って、難しいですね。と、気取りながら言ってみましたすみません。
結局の所、自分が書きたくて書いて、満足しているだけです。(いつもの如く)

コレは何だろう。シリアス?エセシリアス?
いや、ただ暗いだけであろうか。(その通り)