そろそろ夕暮れを迎える茜の空。
窯の前に腰を下ろしていた比古は、珍しい客を迎えていた。
『酒仙達の宴』
「どぉも、お久しぶりで」
が、微かに眼を見開いている比古に笑う。
「そんなに意外そうな顔しないでくれません?それとも、来ちゃあいけなかったとか」
「いいや。だが、お前・・・何故ここに」
「京都に来たモンだから、寄ってみただけですよ」
酒を飲もうと、志々雄の騒動の時に言っていたし。
と、は酒瓶を振りながら言った。
「お前が京都になぁ・・・って事ぁ、あの馬鹿弟子もいんのか?」
「さぁ、あいつ今頃東京じゃあないですか?」
「何だ、置いて来たのか」
「今回は一人旅・・・いいや、これからは、一人旅」
その言葉でがここにいる訳を悟ったのか、比古があぁと呟く。
何の事情かは知らないが、袂を別ったらしい。
しかし、特に自分が突っ込んで聞く問題でもない事。
そう片付け、を庵の中に通してやった。
「相変わらず簡素な事で」
「これだけありゃあ、十分だろう」
「ま、俺も酒があるなら、言う事ないですけど」
座りながら、が比古に酒瓶を差し出す。
「手土産。前来た時は、何も無かったし」
「ほぅ、どこぞの馬鹿と違って、気が利く」
「あはは、そのどこぞの馬鹿は、今頃目くじら立ててるんじゃないですかね」
容易に想像出来、2人揃って噴出す。
今頃剣心はくしゃみの1つや2つでもしている事だろう。
「まぁあの馬鹿がいないなら、ゆっくりと飲めるな」
「そうですね。・・・いや、俺はあまり飲めないか・・・」
「ん?何かあるのか」
「あー・・・折角口煩いのから離れたのに、こっちにも1人似たのが・・・」
「似たの・・・いたか?」
あんな馬鹿タレは他にいないだろう。
と、比古がに問う。
それは確かに。と納得しつつも、頭を掻きながらその人物の名を零した。
「・・・御庭番衆の頭目サン」
それを聞き、比古は思案を巡らす。
顔は知らない。
何処かで見たかも知れないが、覚えてなぞいない。
だが、御庭番衆の存在くらいは知っている。
それの頭目か・・・と、特に何の感想も抱かず、に返した。
「ソイツもあの馬鹿と似た奴なのか?」
「いや・・・まぁ、どっちも馬鹿と言えば馬鹿なんですがね」
サラリと酷い事を言う。
操が聞いていたなら、怒り狂っている所。
最もは、相手にせず交わしているが。
「なんだか一々、干渉して来ると言うか・・・」
「ほぅ」
「何かにつけ隣にいると言うか・・・」
「気味悪くないか、それ」
「ええ、まぁ、本音ぶちまければ・・・一日中いますし、ね」
遠い眼をしながら自嘲気味に笑うに、比古は軽く笑う。
そして、彼女の持って来た酒瓶を軽く振ってから、慰める様に言ってやった。
「まぁ、今夜は付き合ってやる。好きなだけ飲んで行けば良い」
満月と言うには、少々欠けた白い月。
喧騒を離れ、山中に隔離されたこの庵は、月の光が良く届く。
互いに、杯へ酌をしながら、肴も無しに語らう夜。
「じゃあ旅支度を整えたら、また発つのか」
「あぁ・・・葵屋の好意で泊まらせて貰ってるけど、流石に長期間いる訳にも」
「そうだな・・・まぁ、発つ日には挨拶にでも来いよ」
「そうします」
クイッと、苦い酒を喉に流し込む。
囲炉裏の火に照らされた庵は、月に光も手伝い、ヤケに明るかった。
「しかしなぁ・・・」
「何です?」
「俺が思うに、お前、また東京に戻るハメになりそうだな」
「あはは・・・不吉な。と言いたい所ですが・・・ね」
比古が言わんとしている事に察しが付いたのか、が乾いた笑いを浮かべる。
「あの馬鹿も、中々直情径行な節があるからな」
「そうですね・・・まぁ、三番の奴が数日足止めしといてくれれば・・・」
「頼みでもあるのか?」
「アッサリと裏切りそうな男ですがね」
苦々しく、煙草を銜えたあの男を思い描く。
一応は足止めを約束した斉藤。
だが、『抜刀斎』と一戦交える事が叶えば、早々に剣心をこちらに向けるだろう。
面倒事は御免だ。とでも言いたげに。
忠実にその一連を想像してしまい、は軽く頭を抑えた。
「どうした」
「いや・・・何でも」
「それに、だ」
「まだ何かありますか、不吉な予言が」
これ以上現実味に満ちた予言は聞きたくない。
と、視線で訴えてみても、比古は楽しげに笑うだけ。
あぁ全く、と項垂れながらも、素直に彼の言葉を待った。
「こっちにも、口煩いのがいるんだろう?」
「・・・いますね」
「四六時中お前に引っ付いてるソイツが、簡単にお前を行かせると思うか?」
「あぁ・・・蹴り飛ばせば何とかなると思います」
「物騒な女だな」
「それはどうも。頭目とは一度やり合って取り合えず勝ったんで、自信ありますしね」
意外な言葉に、比古が興味を惹かれた様で、視線で問う。
それに気付き、別に隠す理由も無いは、簡潔に経緯を説明した。
「志々雄のトコで、頭目がいたんですよ」
「中々面倒な関係だな」
「ま、そこで、タイマン張ってくっつー戦闘方式だったんですがね」
「それで当たったのが、お前とその御庭番衆か」
「そ。相手は二刀持ってやがるのに、俺は素手でしたよ」
「・・・本当に物騒な女だな」
「どうも、嬉しいお言葉を」
ヒラリヒラリと手を振り、ふざけた口調で返す。
比古は特に何も言わず、自分の杯に口を付けた。
「・・・しかし、良い女は大変だな」
「ははは。何だったらお師さんにも同じ体験して貰いたいんですがね」
「生憎俺は男なんでな」
「・・・じゃあ、良い女にしつこく追い回されてみたらどうです?」
毎日毎日。
ある女は、酒を飲むと一々小言。
ある女は、人の事散々利用しといて、挙句憂さ晴らしの道具にする。
ある女は、無言のまま延々後ろを付いてくる。
「・・・とか」
「・・・・・地獄だな」
「でしょう」
俺は今その状態です。
と、少々疲れた様に残った酒を飲み干して言う。
その様を哀れに思ったのか、比古が酒を注いでやる。
「まぁ、今日ぐらいは落ち着いて飲んで行け」
「あー・・・どうも」
「お前も色々と難儀な女だな」
「もう本当、明日にでもさっさと支度整えて発とうかなぁ、と」
「御庭番衆は」
「だから、蹴り飛ばします」
の簡潔な答えに、比古は軽く笑った。
「・・・そう言えば、この酒」
「ん?」
「この酒、姉が好きだったんですよ」
不意に始まったの話に、比古は静かに耳を傾ける。
「姉か・・・」
「ええ、18の時、死にましたが」
「そうか」
「どっかの誰かさんに、バッサリやられて」
口元に笑みを浮かべながら、当たり前の様に言う。
比古は少々驚いた様だったが、特に何も口にしなかった。
「丁度こっちに墓もあったから、花も添える事が出来たし・・・発つには、丁度良い」
「なるほどな」
「・・・ずっと、1人で待っていたから。・・・墓石の下で」
微かに揺らいだ声で、独り言の様に呟く。
その横顔に冷たい悲しみを見て取り、比古は少し視線を逸らした。
「どれ程前だ、お前の姉とやらが逝ったのは」
「かれこれ、13年程前に」
「ほう」
「・・・死に目には、会ってませんがね」
先程注がれた酒を、一口含む。
そんな彼女の様子を見ながら、比古はある答えに辿り着いた。
恐らく、間違ってはいないだろう。
「・・・気付いてるんでしょう?」
「何がだ?」
「・・・俺の姉を殺した奴」
が薄い笑いを浮かべる。
先程の会話から、出した答え。
の姉を殺したのは、自分の弟子なのだろうと言う答え。
13年前と言えば、剣心が人斬りとして暗躍していた時期。
そして、京都。
更に彼女は、『どっかの誰かさん』と、明らかに知っている口振りで・・・。
今の台詞からしても、間違いではないと、確信出来た。
「・・・・さぁな」
「三番の奴にも言われましたけどね、複雑な女だと」
その男の言う事は、確かにと納得させられる物だ。
以前剣心とが奥義について自分を訪ねた時。
剣心の態度は、明らかに彼女を信頼し切っている様子だった。
そしてそれは単なる信頼ではなく、深い愛情を持った物だともわかった。
彼女も方も、剣心を嫌ってはいない。寧ろ、好意を持っている様子。
あの弟子よりは態度に出さないが、と、比古は思い出しながら、酒を煽る。
本当に、複雑な関係だ。
「・・・憎んでいるか」
「いや。・・・別に、憎んだ所で、姉が戻って来る訳でもあるまいし」
「・・・そうか・・・」
「それに・・・姉は、幸せに逝けた様だったし、それなら俺が言う事は、何も無いでしょう」
機械的に、無表情で、残った酒を流し込んだ。
その彼女の様子に、比古は悟った。
この娘の態度は、一種の『道化』なのであると。
いいや、元より、自由を愛する奔放な性格なのだろう。
しかし、心に負った深い傷を自ら昇華させる為に、あえて、より一層に。
今こうして、酒に流されて晒している素顔。
それが、この女の本性なのだろうと、比古は知った。
やけに大人びた、繊細な硝子細工を思わせる、美しい顔。
普段の、あの野生の様な荒さは、少し薄れていて。
無色の女を見せるその気色に、見知らぬ女の影が被る。
きっと、の姉も、この様な女だったのだろう。
無を思わせる、透明な美しさがあった女性なのだろう。
「・・・おい?」
ふと、話が止まった。
訝しげに見てみれば、既には眼を瞑っていた。
器用にも、杯を持ったまま淡い眠りに入っている。
瞳を閉じた顔は、本当に、美しく。
そっと傍に寄り、起こさぬ様自分の身に引き寄せてやる。
抵抗無く凭れたその身体は、細く、軽い。
「ったく・・・あの馬鹿弟子は・・・」
惚れた女の傷にも察しが付かない、何とも鈍い弟子だと、比古は溜息を吐く。
きっと、も剣心には言わないつもりだろう。
そして、今日比古に見せた素顔も、見せるつもりは無いのだろう。
明日目覚めれば、もう彼女は元のに戻っている。
この娘は、そうして生きて来たのだろうと、比古はの安らかな寝顔を見遣った。
そのまま、黒い髪を指先で梳いてやる。
「まぁ・・・酒飲んで愚痴零したくなったら、いつでも来い」
まるで、自分の娘にしてやる様に、頭を軽く叩く。
削られた様に欠けた月明かりの中。
常に自分と向き合い生きる、1人の女を胸に抱き
彼女の持って来た酒を、比古は1人、味わう様に静かに飲み干した。
END.
3700番ご報告&リク、ありがとう御座いました!!!
えーっと・・・ごめんなさい!!(二言目がそれか)
こんな主人公や比古師匠やストーリーになっちまいまし、た・・・。
エセなシリアス、な、なんて無謀をしたんだ私!!!
主人公が敬語使うのは、比古師匠だけです。
自分が認めて、唯一敬っている人物なのです。
そしてふとした素顔を覗かせるのも、比古師匠の前だけ。