「終わるのおせーよ」
「仕方ないでしょ、部活だったんだから」


オレンジが今にも零れそうな空の下。

2人肩を並べて歩く、帰り道。








『狐の安眠』








まだ夏の香りが訪れたばかりのこの日。

あまり人通りの無い通学路を、ゆっくりと進む。

蔵馬の髪がオレンジに照らされ、いつもより鮮やかに見えた。


「つーかさ、お前何で生物部なんか入ってんの?」
「週一出るだけで良いから」
「・・・あぁ、そ」

の疑問に、蔵馬は簡潔に答える。
そのあまりにストレートな答えに拍子抜けしたが、それでも彼女らしい理由に納得した。
彼女はこう見えて、意外と面倒臭がりである。

「・・・部活ねぇ・・・」
「君も何かやったら?」
「今からかよ」
「まだ1年じゃない」
「・・・・ま、気が向いたらな」

蔵馬の言葉を軽くはぐらかし、が一歩彼女より前を歩いた。



その彼の手をついと引っ張り、自身の細い腕を絡ませる。



「な、何だよ」
「ん?ちょっと夢だったの」

捉えたの腕に寄り添いながら、蔵馬が言う。
彼女の微笑と行動に少しばかり照れたのか、は顔を紅くしながらソッポを向いた。

「・・・意外と乙女?」
「うっさいよ」
「あー・・・いつもの南野サンだ」

ジトッと睨み付けられ、が冷や汗を掻きながら返す。
彼女の睨みは、何故か怖い。

「・・・でも、何か良いよなぁ」
「でしょ?」
「ん」

半袖から伸びた腕同士が、ピタリと張り付く。
少し汗ばんでいて気恥ずかしかったが、特に払う事も無く歩き続けた。

時折吹く風が、蔵馬の髪の香りをに伝える。
綺麗な花の香りがした。

「・・・なぁ、南野」
「ん?」


何だか今更照れ臭くて、が強引に話題を振った。


「あー・・・・いや、何つーか」
「どうしたの?」
「・・・え、いや、その・・・ちょっと突然なんだけどさ・・・」
「うん?」

口篭るに、蔵馬が小首を傾げて言葉を待つ。
サラサラ揺れる紅色の髪が、の腕を掠めた。

「・・・此間、お袋にお前の事話したらさぁ・・・」
「うん」
「その、ちょっとでも良いから家に連れて来いって、うるさくてさ・・・」
「うん」
「だからー、そのー」
「・・・早く言わないと、帰っちゃうよ?」
「ちょっとタンマ!ってか俺が言いたい事わかってる癖にそう言っちゃう!?」

ニヤニヤしている恋人に、が顔を夕陽よりも紅く染めてがなる。
だが蔵馬は相変わらず笑っているし、何だかもう、どうでも良くなって来た。
ふぅ。と一旦息を吐いてから、努めて何事も無いかの様に、用件を切り出す。

「・・・何も用事ないなら、ちょっと家寄ってけよ」
「良いよ、別に」
「サラリと快諾してくれますね南野サン」

俺、誘うのに結構勇気要ったのに。

と、何だか肩透かしにも似た様な気分を味わう

蔵馬はの誘いが嬉しかったのか、先程とは少し違う柔らかい笑みを浮かべて彼を見ていた。

「ん?」
「ねぇ、の家ってどの辺?」
「あぁ・・・アレだよ、歯医者の近く」
「あそこ?じゃあ、私の家とはちょっと離れてるね」

蔵馬がポツリと言う。
お互いの家を知らない為か、も少し考えた様子だった。

「あー・・・じゃあ、ちょっとジュースでも飲んで、帰るか?」
「んー・・・・・そうだね」
「まぁ連絡しときゃ、平気だろ」
「うん」


の言葉に、蔵馬がニコニコと頷く。


オレンジの空が、より一層切ない光を増した。













「ただいまー」
「お邪魔しまーす」


の声に続いて、蔵馬の明るい声。

マンションの一室に、その2つが静かに響いた。



だがその声に、誰も反応をやって来ない。



ん?と、が訝しげな表情を浮かべる。
蔵馬は、そのの様子を見て首を傾げた。


「・・・お母さんは?」
「さぁ・・・アッレー?いねぇのかな」


頭を掻きながらリビングへと向かう。

蔵馬もそれに続き、靴を揃えてから彼に続く。


リビングは、ものけのからだった。


「・・・・あれ?」
「・・・いないの?」
「いや・・・・多分・・・・」

蔵馬の問いに、は自信を持てぬまま返す。
まぁ、ここにいないのだから、いないのだろう。
返事も返って来ないし。気配もないし。

それを認めた途端、が頭を軽く押さえた。

「・・・んだよー、自分で連れて来いっつった癖によー・・・」

しょーがねぇなぁ。と悪態をつきながらクルリと彼女を見る。
予想していなかった蔵馬は、少し肩を揺らした。

「ワリィ。お袋いねーっぽい・・・」
「うん。別に良いよ」
「ごめんな。・・・じゃあ・・・どーする?」
「うん?」
「いや、お袋いねーし・・・帰るか?」

の言葉に、蔵馬は意外そうな表情を浮かべた。
驚いている様だった。

彼女の反応が予想外だったのか、も同じ様な反応を返す。

「え、どした?」
「ううん・・・・・・ね、もうちょっといちゃダメ?」
「へ?え、俺は別に良いけど・・・何もねぇぞ?」
「良いよ。ちょっと君の部屋とか見たいし」
「・・・・エロ本とかねぇからな」
「ふぅん、期待したのに」
「あ、テメ」

悪戯っぽい笑みを浮かべた彼女に、がむっとして言う。
そもそも、そんな物を隠していたら彼女を部屋に上げる訳がない。
疚しい物は、ない。
・・・今の所。

「あ、そうだ。電話借りても良い?母さんに連絡しなくちゃ」
「あぁそっか。良いよ、そこにあるから」
「うん、ありがと」


そう言うと、蔵馬は鞄を置いて電話を弄り始めた。

数コールで出たらしく、既に話し始めている。



手持ち無沙汰になったは、取り合えず彼女と自分の分の飲み物をグラスに淹れ始めた。



その手は少しばかりの緊張で震えている。

何せ、自分の家に。そしてこれからは自分の部屋に彼女と2人きり。

そうしっかり認識した瞬間、バシャリと少量ジュースを零した。









「へぇ、綺麗にしてるじゃない」



電話を終えた蔵馬を、自身の部屋へと通す。

彼女は物珍しそうに、眼をキラキラさせながらグルリとそこを見渡した。

「何だよ、散らかってると思ったのか?」
「うん」
「・・・ストレートに言いますね」

何の躊躇も無く頷いた彼女にゲッソリとする
その彼の反応を見て、蔵馬はクスクス笑った。

「でも良いね。ベッド大きいし」
「貰いモンだよ。結構気に入ってるけど」
「そっか」


ボフリと蔵馬がベッドへ腰掛ける。


自分の彼女が、自分のベッドに座っている。

何だか奇妙な感じがした。


「・・・飲めば?」
「ありがとう。頂きまーす」
「ん」


無駄な沈黙が落ち、は慌てて蔵馬にグラスを渡す。

良く冷えたオレンジジュース。

先程少し、慌てて零したそれ。


「・・・お袋さん、何か言ってたか?」
「お夕飯は?って聞かれたから、それまでには帰るよって」
「ふーん・・・」


男の部屋に。とかは言ったのだろうか。
彼女の会話は良く聞いていなかったので、わからない。

男の家に寄って行くとか、何か、変な誤解されたら嫌だな。

などと、無駄な心配をしてみたりした。








トゥルルルル。トゥルルルル。








「ぅお!?」
「わっ。何、大きな声出して・・・」


やはり沈黙が下り、再び話題を模索していたが飛び跳ねる。

単なる電話の音だったのだが、それでもやたらと驚いた。

・・・やましい事を考えている訳ではなかったのだが。


「・・・・・あー、いや・・・・・電話、リビングだから・・・」
「うん、出て来なよ」
「ん。・・・好きにしてて良いから」
「じゃ、色々漁ろうかな」
「・・・・大人しくしてて下さい」


ニヤニヤしている彼女に一抹の不安を覚えつつ、部屋のドアを閉める。

1人でドキドキしているのが、段々馬鹿らしくなって来た。







電話は母親からだった。

帰ったのかとの問い。
今何処にいるかの報告。
そしてその場であった問題の愚痴。




それらを聞いている内に、少々時間が経過してしまった。




折角、初めて出来た彼女を、部屋に通したのに。

彼女は彼女で緊張の欠片も持っていない様子だし。
連れて来いと言った張本人はいないし。
おまけに電話で2人の時間を邪魔されるし。

俺は一体何なんだと、が溜息をつきながら受話器を置く。


自身の声が途切れた空間は、異常なまでに静かだった。


何となく奇妙に思い、自室のドアの前まで急ぎ足で戻る。


全く音がしない。


「?」


どうしたんだ。と、が首を傾げながらドアを開ける。






瞬間、脱力した。






「・・・・・・・何寝てんだ、コイツ」




自分のベッドで、すやすや気持ち良さそうに寝息を立てている、恋人。

本当に、緊張の欠片も無い。


「・・・いやいや、彼氏の部屋で寝るか?」


しかも初めて来たのに。
もう少し、何と言うか、緊張と言うか・・・
そう言った類の物を持って頂けないだろうか。

と、シーツに広がる鮮やかな紅色の髪をついと摘む。

だが彼女は、一向に眼を覚ます気配が無い。


「・・・南野ー」
「・・・・・・・・」
「・・・南野さーん」
「・・・・・・・・」
「・・・終点ですよー」
「・・・・・・・・」


声を掛けても、返って来るのは穏やかな寝息。

これは熟睡している。

が、再びはぁと肩を下げた。


「・・・・・俺の緊張は何だったんだよ」


その言葉に返って来たのも、やはり寝息だった。










「・・・・・・ん」


それから1時間程。

蔵馬がようやく目を覚ました。

は暇だったのか、ゲームに没頭している。


「・・・・・・・?」
「お。おはよー」
「・・・・おはよう・・・・」
「・・・寝惚けてんだろ、お前」
「・・・・・・寝ちゃった?」
「バッチリ」


ゴシゴシと目を擦りながら聞く蔵馬に、は笑いながら答えた。

その答えを受け、蔵馬は少々信じられなさそうな表情を浮かべる。

「・・・・ずっといた?」
「俺?いたけど」
「・・・私に、声掛けた?」
「掛けた掛けた。髪とか弄ってた」
「・・・・起きなかった?私」
「グッスリ熟睡なさってましたが」

の言葉に、蔵馬は少し考える。
やっと起きたと思ったら突然難しい顔をし始めた彼女。
一体何があったのかと、が視線で問う。

「・・・・・・初めて」
「ん?」

ポツリと蔵馬が零す。
聞き取れなかったは、少しそちらへ身を乗り出し、聞いた。







「・・・初めて、誰かの前で熟睡した・・・」







がキョトンとする。

蔵馬は、よほど自身が熟睡していたと言う事実に驚いているのか、まだ難しい表情。

またしても沈黙が下りたが、今回のそれは随分和やかな物だった。


「・・・え、初めてって・・・家でも?」
「家で熟睡した事無い」
「げ、マジかよ・・・お袋さんとかは?」
「母さんがいるから、ダメ。誰かが近くにいるだけで起きちゃう」
「・・・・忍者ですか、アナタ」


蔵馬の話を聞いたが、呆れた様に言う。

本当に、忍者の様だ。
人の気配があるだけで眠れないなんて。
何処でも眠れる自分には、到底考えられない事だった。


だがそこで疑問に思う。


今日は自分がいた。
声も掛けた。
髪まで弄った。

なのに彼女は起きなかった。

これはどう言う事なのだろうか。


「・・・俺は平気だったのか?」
「だから、ビックリしてる」
「だよなー」
「・・・・・君といると、安心出来るのかも」
「・・・それ、牽制?」
「ん?いや、違う違う」

それは、安心しているから何もするなと言う事か。
そう問うと、蔵馬は苦笑いしながら否定した。

何とも言えない表情のに、蔵馬は更に続ける。


「・・・・でも、本当に初めて」
「・・・・・まぁ、良いけど。ゆっくり寝れたんだろ?」
「うん。ありがとう。ごめんね、寝ちゃって」
「いや、良いよ」

今まで熟睡出来なかったのなら、疲れも溜まっているのではないか。
そう考え、彼女を見る。
すると蔵馬は、じっと上目遣いで見詰め返して来た。


愛らしいその仕草に、ドキリとする。


「なっ・・・何だよ」
「ね、
「・・・何?」
「・・・・もう1回寝るから、7時になったら起こして」
「・・・・・・・・・・は?」


てっきり何か良い雰囲気になったのかと思ったのだが・・・

彼女の口から出たのは、二度寝をすると言う、色気もへったくれもない言葉。

も思わず、間の抜けた声を上げた。


「君のトコなら、安心して熟睡出来るみたいだから」
「あ、ああ・・・そうみたいだねー・・・」
「だから、もうちょっと寝させてね。おやすみ」
「お、おやすみ」


コロン。と、蔵馬がご機嫌で寝転がる。


あまりにすんなり決まってしまった事柄に、は取り残された気分で彼女を見詰めた。

寝返りを打ってしまったので、今は彼女の背中しか見えない。



「・・・・・・・あー、まあ、良いか」



自分が緊張していたのは何だったのだと思うが、もう良い。

眠たいなら、寝させてやろう。
家に帰ったら熟睡出来ないのだと言うし。



こんな風に、眠っている彼女を見ているのも、悪くない。




「・・・・あーあ。・・・・気持ち良さそうですねー、南野サン」




その言葉に返って来たのも、やはり安らかな寝息だった。






























END.


緊張し損の主人公と酷い南野さん。
こう・・・振り回し、振り回されな関係。
ただ単に、普段から人の気配に敏感な蔵馬が主人公の前で熟睡。
・・・って話が書きたかっただけなんです。
それだけ安心してるってのが書きたかっただけなんです。