キーンコーン。と、軽やかなチャイムが鳴り響く。
3限目の始まりを告げるその音。
窓際の一番後ろ。と言う生徒に人気のポジションにいる蔵馬は、ふと前を見る。
恋仲の彼が、いなかった。
『狐のおサボリ』
「あ、ねぇ、は?」
横を通り過ぎた生徒に問う。
校内で人気のある蔵馬に声を掛けられ、その男子生徒は顔を少し赤らめた。
「あぁ、なら・・・屋上行ったよ」
「屋上?」
「うん、『お腹痛いのでサボリまーす』・・・とか言って」
「・・・あの馬鹿・・・数学サボるなって言ったのに・・・」
生徒からの返事を聞き、蔵馬がガタンッと席を立つ。
そして教師が入って来る前に、駆け足で教室を後にした。
優等生である蔵馬の突然の行動に、教室内は呆気に取られ、すぐにざわめきに満ちる。
縦2つ、座る主を失った席を、麗らかな日差しが優しく包んでいた。
「あー・・・良い天気・・・」
屋上の、更に上。
授業をサボり、給水タンクの隣で空を見上げながら座っている。
青い空が、彼の瞳に爽やかな色を映し込んでいた。
「・・・南野、怒ってんかなぁ・・・」
自分の後ろの席である彼女を思い出し、思わず呟く。
その声色は少し嫌そうであった。
自分は成績が悪い。
体育なら自信ありなのだが、勉強・特に理数系は大の苦手。
数学の場合なぞ、今度のテストで赤点を取ると、進級が危険になる程。
それを知っている彼女は、良く自分を心配しているから。
きっと今日も、後で顔を合わせた途端に小言が始まるだろう。
それはわかっているが、こんな良い天気の日に教室に篭っているなんて、どうにもかったるかった。
「・・・まぁ、1日くらい平気だろ・・・」
明日から頑張ります。と、誰にと言う訳でも無く呟く。
そのままボーッと抜けるような青空を見上げていると、突然屋上の扉が開いた。
「!?」
バッと下を見る。
まさか教師が探しに来たか。
担任兼数学教師の男を思い出し、思わず固まる。
だが、ドアが開いたのに誰も入って来ない。
「・・・あ、れ・・・?」
何だ?
と、が座った状態のまま、ズイッと開いた足の間から下を覗き込む。
カンッ!!
「イッッテェ・・・ッ・・・!!!」
瞬間、視界に飛び込んで来たのは人ではなくジュースの缶。
軽やかに、それでもスピードに乗って、中身の並々入った冷えたそれが額に直撃。
予想だにしなかった物体の出現とその痛みに、思わず背後にドタンと倒れた。
その隣に、ゴンッと鈍い音を立てて転がる、そのジュース缶。
額に当たった所が、少し凹んでいた。
「・・・・なっ・・・・何だぁ!?」
腹筋を使い、素早く起き上がる。
そして、這い蹲る様に扉の方を見た。
「あげる」
そこには、紅色の髪を靡かせている、恋人。
「・・・・・あ、あれ・・・・・み、南野?」
「そうだよ」
「・・・な、何やってんだ!?授業はどうしたよ」
自習か?と問うに、蔵馬は首を軽く横に振り、否定する。
と言う事は・・・と在り得ない考えに行き着いた途端、蔵馬がコチラを見ないまま軽く答えた。
「お腹痛いのでサボリまーす」
「・・・・・お前ね・・・・・」
自分が友人に使った言葉をそのまま返され、グダリと脱力する。
その間に蔵馬は梯子を登り、下を見たままの状態のの隣に腰を下ろした。
彼女の手には、橙が眩しいジュース缶。
「・・・・サボるなっつったのに」
「・・・明日頑張ります」
「明日数学ないでしょ」
「・・・・はい」
蔵馬の鋭い指摘に、脱力したままのが敬語で返す。
そんな彼の方を一度も見ずに、蔵馬は自分の分のジュースを開けた。
プシュッと、オレンジ色の香気が立つ。
それが、何だかとても綺麗な匂いで、は少しばかり癒される。
「も飲んだら?」
「奢り?」
「今度数学のテストで80点以上取ったら返さなくて良いよ」
「じゃあ100パー返さなきゃなんねーじゃねぇか!」
ガバッと起き上がるが、そう我鳴る。
だが、当の蔵馬は涼しい顔。
相変わらずを見ないまま、冷えたオレンジジュースを口に含んだ。
「じゃあ、真面目に授業聞いたら?」
「・・・・今度からな」
「また赤点取っても知らないよ」
「あー・・・他の教科で頑張る」
「無理でしょ」
「・・・・そうね」
ズバリと言った蔵馬を、は先程痛めた額を押さえつつ、見遣る。
珍しい、赤よりも少しピンクの光沢を帯びた髪が輝く。
ちょっとした宝石の様な、透明な輝きを放つ彼女の髪。
それは、やたらと鮮烈に、青い空に映えた。
「何?」
クルリと蔵馬が振り向く。
緑色の大きな瞳が、真っ直ぐを捉えた。
その眼に映った自分の顔が、見事に呆けていて。
何だか少々情けなくなる。
そこまで見惚れていたつもりはないのだが。
と、慌てて彼女の綺麗な顔から視線を逸らす。
「いや、別に・・・」
「そ」
蔵馬も特に詮索せず、また視線を彼から外す。
2人の間を、緩やかな風が撫ぜる様に吹き抜けた。
「・・・南野」
「何?」
「お前サボってて平気な訳?」
「その言葉、そっくり君に返すけど?」
「う・・・・お前はどうなんだよ」
「私が赤点取ると思う?」
「・・・・・・・思いません」
サラリと言われたその言葉。
言う人物が人物ならば、それは自信過剰としか聞こえないかも知れない。
けれど、彼女は言葉と実力が伴っている。
何せ学年1位である。何も言えない。
「手前味噌も程ほどにしとけよコノヤロー」
「はいはい」
「あ、スルーしてんな」
「いーから、それ飲めば?」
の言葉を無視し、先程自分が投げ付けた缶を指す。
言われたも、ようやくその存在を思い出し、慌てて転がったままのジュースを拾った。
同じオレンジ色に彩られたそれは、冷たい汗を掻いている。
手に持つと、幾つもの冷えた雫が指を伝った。
「頂きまーす」
「どうぞ」
一応断ると、蔵馬はやはり視線を遣らずに答える。
それはいつもの事だと、はさっさとプルタブに指を掛けた。
そして一口、甘酸っぱいそのジュースを飲み干し、ふと青空を見上げる。
「・・・今日、暑いよなぁ・・・」
ヒンヤリとしているその缶に触れながら、思い出した様に言う。
風がある為、青空を眺めながら心地好く過ごせているが・・・実際、少々暑い。
太陽の白い光は、改めて見ると容赦が無かった。
そんなの言葉に、もうほとんどジュースを飲んでしまった蔵馬が、缶を振りながら当たり前の様に返す。
「夏だもん」
「・・・まだ6月じゃねーか」
「来月に1学期末試験があるんだから、もう夏だよ」
「・・・・・げ、もう来月?」
「いつだと思ってたの」
しまった。と焦りの色がありありと伺えるその声。
あまりに予想通りの反応に、蔵馬は呆れながら再び視線をやって来た。
「あははー・・・もうちょい先かと思ってた」
「やっぱりね・・・・・」
「サボったの、ヤバかったかなー・・・」
「サボりはいつでもやっちゃダメなの」
「・・・はい」
もっともな蔵馬の言葉に、は素直に返事を返してから、持っていたジュースを一気に煽る。
そして、空いた缶をそこらに放置すると両手を頭の後ろに組み、ゴロリと寝転がった。
どうやら、寝る気らしい。
「後でで良いから、缶はちゃんと捨ててね」
「はいよー」
「・・・・寝るの?」
「寝る。4限には出るから」
「当たり前でしょ」
「・・・4限何だっけ」
「古典」
「・・・・・睡眠タイムか」
「・・・・今寝るんなら、4限は起きてなよ」
「起きてられたらなー・・・・」
しん・・・・と、静寂が訪れる。
少しばかり間を空けてから、蔵馬がへと顔を近付けた。
「・・・・・・寝たの?」
「・・・・・・・・・・・・」
どうやら、あの数分で寝入ったらしい。
幸せな男だと、呆れたつもりが、何故だか楽しげな笑みが漏れた。
「・・・よっ・・・と」
自分も空になった缶をコンクリートの上に置き、パスッと軽い音を立てて寝転がる。
自分の紅色の髪と彼の髪が、白い日差しに照らされながら混ざり合う。
少しだけ触れた頭が、ジンジンと熱かった。
「・・・・・・気持ち良いなぁ・・・・・・」
青い空。
白い日差し。
静かな空間。
涼しい風。
隣には、愛しい恋人。
「・・・・おやすみ、」
熟睡なんて出来る訳ないけれど、それでも何故だか眠たくて。
蔵馬も彼氏に続き、熱い空の下、ふっと淡い意識を手放した。
恋人2人、屋上でサボった、単なる日の暑い午後。
END.
コレも青春なんだろうか。
管理人も高校の授業をたまにサボっていました。
具合悪くないのに早退したりね。
友達と図書室でサボったりね。
そんな、その内セピアに彩られる青春。
南野さんと彼氏も、そんな感じでサボってます。