左手には学生鞄。


右手には愛しい彼の手ではなく


敵を殺す為の、鞭。








『狐の正体』








「・・・・み、なみの・・・?」


誰も来ない筈だった。

こんな裏山。
人気の無い山の中。

山の中と言っても、本当に入り口の方だけど。

それでも、いつもは誰も来ない筈だった。
妖気が不安定な時、此処に来て禊をした事も何度かある。
その時だって、誰も来なかった。

今日だって、たまたま私に悪意を持つ妖怪がいて。
その辺りをウロチョロされると迷惑だから、さっさと消しておこうと思って・・・
それを誰かに、特に君や母さんには見られたくないと思って、ここに来たのに。
誰も来ないだろうと、ここに。



なのに、何で君は、こう言う時に限って。



「・・・・南野・・・・、だよ、な・・・?」


驚きに眼を見開く私を見て、が言う。

制服の色の所為で目立たない返り血を浴びた、私を。

顔にも、飛沫が掛かった様に赤いそれが付着している私を。


足元には、下等妖怪の残骸。

バラバラに切断されて、血に塗れて。

その内砂の様に風に乗って消えていく筈の、死体。


下等妖怪とは言え、虫よりは上。

人間にも視認出来る程。


だから、この妖怪の残骸も。

私の浴びた妖怪の血も。



には、見えているのだろう。



「・・・・南野・・・・?」
「・・・・違うよ」



の声に、私が返す。

頭の中は真っ白だ。
何も考えられない。
何を考えて良いかわからない。

ただただ、手に馴染んだその鞭を握り締めたまま、口が勝手に答える。


違う。違う。

私は人間じゃない。

南野ではない。

君の恋人じゃない。

だって、君の知っている恋人は、南野は・・・


「・・・こんな奇妙な鞭を持って、血塗れになるの?」
「え・・・?」
「君の彼女は、こんな事するの?血塗れになるの?こんな物持ってるの?」
「お、おい、南野・・・?」


言葉が滝の様に溢れる。

何を言っているのか自分でも良くわからない。

ただ、酷く怖くて、不安で、哀しくて、どうしようもなくて。

夢幻花を使うなんて選択肢も、1つも出て来なくて。

世界がグラグラ揺れる中、ただを見詰めて、自身の脳が理解していないまま言葉を放った。


「どうしてここに来たの。何しに来たの?」
「何って・・・た、たまたまお前を見かけたから・・・」
「どうして追って来たの?追って来なければ、良かったのに・・・」
「お、落ち着けよ南野」
「見られたくなかった。見られたくなかったのに!」
「南野・・・」
「君には、君にだけは、絶対知られたくなかったのに・・・どうして・・!?」
「み、南野!」


が私の腕を掴む。

その拍子で、鞄と鞭は地面にトサリと落ちた。

鞭の棘がに当たったらしく、私の腕を掴む彼の手から血が流れた。

それを見て、私の頭は更に混乱する。


「ホラ。ねぇ。私、こんな危ない物持ってるんだよ・・・?」
「・・・南野」
「こんなの持つの、人間じゃないよね。化け物だよね。
 ここに転がってるの、君にも見えてるんでしょ?私についてる血も見えるんでしょ?
 私がおかしいんだって、普通じゃないって、君も気付いたんでしょ!?」
「南野、落ち着いてくれよ・・・」
「どうして来たの!?ねぇ、君だって知りたくなかったでしょう!!?
 彼女が化け物だって知って、嬉しい訳ないでしょ!!?
 血塗れになってる彼女の姿を見て、君、楽しい?嬉しい?嫌でしょ・・・!?
 ・・・来なければ、君が来なければ良かったのに・・・!!」
「南野!!」


混乱の余り暴れそうになる私の肩を、が思い切り掴む。

その手は少し震えていて。

私の肩を掴むだけで、抱いては来なくて。

の顔に、冷や汗と戸惑いが浮かんでいて。


一気に脳内が冷める。
そして、の口からどんな言葉が出るのか考え、恐怖した。

が口を開く。

耳を塞ぎたいのに、あまりの緊張と脅えに身体が動かなかった。






「・・・どっか、怪我してんのか!?」






「・・・・え?」

の言葉の意味がわからなくて。
ただ返せたのが、その声だけ。

「どっか痛いか?怪我してるか!?大丈夫か!?」
「べ・・・つ、に・・・ない・・・」
「・・・怪我、してねェな!?」
「う・・・ん・・・」

の迫力に押されつつ、幾分冷静になった頭で答える。



瞬間、の手と身体から力が抜けた。

私が驚いていると、の、心底安堵した声が、耳に届いた。




「っ、良かったぁ・・・・・」




その言葉を聞いた瞬間、私の中で小さなネジが外れる音がした。



何の前触れも無く、声を上げて泣き始める。



「うわっ、わっ、み、南野!!どうした!!どっか痛いか!?大丈夫か!!?」


は相当驚いた様で、兎に角泣き止ませようと、私を抱き寄せ頭を撫ぜて来た。

私は、幼い子供の様に、彼にしがみ付いて泣きじゃくる。

何故こうまで泣いているのか、良くわからなかった。


ただ、彼の手が震えていたのは、私が怪我をしていないか不安だった所為だと。

汗が伝っていたのは、表情が強張っていたのは、私を案じての事だったのだと。

私の正体を探るよりも、私自身を心配してくれていたのだと。


そう認めた瞬間、恐ろしい程張り詰めていた糸がふわりと緩んだ。

緩んだその糸がホロホロと解れ、涙と化した。


喜び?安堵?幸せ?


私を抱き締めてくれているに、何を伝えるべきか迷った。

迷って、考えても、頭の中は以前真っ白で、やはり口だけが勝手に動いた。




「っ・・・痛く、ないっ・・・・痛くない・・・・っ・・・・ッ!」




ただ。ただ。

必死に私を心配してくれている彼に、それを伝える事しか出来なかった。












「ふーん・・・何だか良くわかんねぇな・・・・」


の家へと連れて行って貰い、全てを話した後の、彼の反応。

こんな物なのだろうかと、私の方が驚いてしまった程だ。

「・・・・他に言う事無いの?」
「何を?」
「・・・せめて、疑うくらいはしたら」
「何で。ホントの事なんだろ?」
「・・・・・・・まぁ」

いきなり。

それも自分の彼女が。


私は妖怪です。

前世は極悪妖怪でした。

人間の胎児に憑依して、生きてきました。


なんて。

言われて信じるのも、凄い。

特には、妖怪なんかと関係ない世界で生きていたんだから。

「いや、さっきの見たら、嘘だなんて疑えねーし」
「・・・・うん」
「・・・お前の事、疑いたくねーし」
「・・・・・うん」

が言う何気無い一言は、随分と優しさに溢れている。

先程大泣きしたのは、少々恥ずかしいけども。

それでも泣きたくなるくらいに、彼の言葉は優しい。

「まぁ、良いじゃねーか。お前も無事だったんだしさ」
「・・・・そうだけど」
「それに、妖怪とかそう言うのって、男の子の永遠の憧れだし?」
「遊びじゃないんだけど?」
「あっははー、冗談」



が肩を抱き寄せてくれたので、そのまま身を任せる。



その時。
私の肩を抱く、彼の手。

その手に巻かれる包帯が目に入り、チクリと心に痛みが走った。

「・・・
「んー?」
「・・・手、ごめんね・・・」
「・・・何度目だよ、謝るの」
「・・・・・だって」

彼の手を裂いたのは、私の鞭。
私が注意をしていなかったから。
頭が混乱していたから・・・

結果、彼を傷つけてしまった。

「・・・痛いでしょ?」
「別に」
「・・・・痛いでしょ」
「・・・痛くない」

2度問うと、拗ねた様に返す
痩せ我慢なのだろうけど、これ以上聞くのはよした。

ただ、ただ、罪悪感が心に残る。





「・・・なぁ、南野」
「ん?」

その状態でぼうっとしていたら、が神妙な様子で話し掛けて来た。

やはり何か言われるのかと無意識に構える。

でもやっぱり、の口から出るのは、予想外の言葉。


「・・・お前、ずっと黙って来たんだろ?」


・・・何を?

そう私が問う前に、は続ける。

「お袋さんとか、友達とか、俺とかにも、何も本当の事言えないでさ」
「うん・・・だって、言える訳ないじゃない・・・」
「そりゃあ、そうだけどさ・・・言いたくなる事だって、あったろ?」
「・・・・・うん」

何度もあった。

特に、大切な人には。


言いたい。

そして、謝罪したい。


偽りの自分に、愛情を持ってくれる人に。


母さんに。

に。


「・・・妖怪の存在は、知らせたくない。信じる人も少ないだろうけど」
「・・・うん、だよな。でもさ・・・その、俺は今日、事実を知った訳だしさ・・・」
「うん」

が頭を掻く。
私は、何を言われるのかと、視線を逸らしながら相槌を打つ。


の言葉は、何処までも優しかった。


「・・・もう、俺には何も隠さなくて良いから」
「・・・・・・・え」
「あ、別に言いたくない事は言わなくて良いし・・・。
 誰にも言えなくて、でも言いたい!みたいな事があったらで良いから。
 ・・・そん時は、俺に何でも言えよ。な?」
「・・・・・・でも」

あまりに重荷を背負わせたくない。
嫌われるよりはマシだけど。
それでも。
巻き込みたくはない。

・・・私と関わっている時点で、もう遅いのかも知れないけど。

「1人で秘密抱え込んで悩んでたら、いつか気が狂っちまうぞ」
「・・・・・・・・・・」
「・・・だから、何でも言えよ。言いたい事があったら、何でも」
「・・・・・良いの?」
「だから言ってんだろうが。・・・一応、俺、お前の彼氏なんだし・・・さ」


そう言って、が私の頭を、また撫でる。




「・・・今まで、辛かったな」




柔らかい彼の言葉を聞いて、恥ずかしいけれど、また、彼にしがみ付いて大泣きした。


声を上げて泣きながらも、頭の何処かでふと考えた。


こんな風に人前で泣くのは、初めてだ。


1日に2度も大泣きするなんてのも、初めて。



自分を素直に出すのがこんなにスッキリする物だと、知った。









「・・・
「ん?」
「・・・・私、君にだけは嘘吐かないよ」
「・・・そっか」
「・・・うん、絶対。君だけには」


鼻声のまま、彼に伝えると、は嬉しそうに笑った。


「・・・じゃあさ、南野。1個教えてくれよ」
「何?」
「・・・・お前の本当の名前、何つーの?」
「さっき言わなかったっけ?」
「いや、妖狐っつー妖怪だったってのしか、聞いてない」
「そっか・・・」
「・・・教えてくれよ」
「・・・・・・蔵馬。それが、私の名前」
「・・・クラマ・・・」


に問われ、初めて人間に妖怪である自分の名を告げる。

でも、その名は妖怪の名で、人間の私の名ではない。

君と恋人である時は、人間の私のままでいたい。


そう言うと、は”はいよ”と言って、また屈託なく笑った。




何だかまた、涙が出そうになった。































END.


早い内に正体バラしときました。
こうしないと彼氏の意味がない・・・。
いつも頼りにされたり、甘えられたりする立場の蔵馬さん。
彼氏の前でくらい、甘えたり素顔に戻っても良いじゃない!って事で。
原作では真弥ちゃんにバレた時、そんなに混乱してませんでしたが・・・
こっちでは、相当取り乱してます。それも健全な女子高生(?)って事にしといて下さい。

ちなみにこの背景、ツツジなんですが・・・
花言葉が『恋の喜び』だそうです。丁度良い。