狗守鬼は縁側でぼうっと考える。
花龍は、珍しく街に下った幻海について行った。
雨菜は、雪菜と共に飛影の元へ向かった。
誰もいない一日。
だから、こう言う時は、いつも、1人で外の景色を見ている。
けれど、今日は少し違った。
『鬼と鳥』
「雨ですね」
「うん」
ポツリ。と、雨の様に静かな声で言ったのは、小瑠璃。
鴉色の髪を弄りながら、淡い紫の瞳が雫を捉える。
分厚い灰色の雲から、無数に降り注ぐ雫を、捉える。
狗守鬼は、熱い茶を啜りながら、湿った尻尾をハタリと揺らした。
「雲が厚いですね」
「お前の顔の色みたい」
「どうせ僕は不健康な顔してますよ」
雲と同じ色の、蒼白いと言うには些か不健康な、肌。
狗守鬼は自分の肌を見てから、しみじみ病弱な色だと思った。
きっと、気温の変化にも弱いのだろうと、空を見ながら、思った。
「花龍さん達は、雨が降って困っているでしょうね」
「そうだね」
傘は持って行って無かった様に思う。
濡れているのだろうか。
きっと、何処かで雨宿りをしているだろうと、考える。
「そう言えばさ」
「はい?」
口から白い熱気を吐き出し、狗守鬼が問う。
小瑠璃は、出された茶を冷ましながら聞いた。
「霊界ってさ、最近暇なの?」
「何です、突然」
「いや、お前、こんな所で油売ってるから」
「失礼ですね、サボってなんかいませんよ」
「じゃ、何してんの」
「・・・まぁ、暇な事は確かですが・・・先程1人ご案内したばかりなんです」
霊界案内人である小瑠璃。
妖怪の血を引きながら霊界の任務を担うとは、何とも不思議だと狗守鬼は思う。
人間界では、妖怪との交流も盛んになった。
が、しかし、霊界と魔界。
そして、人間界と霊界は、未だ明確な繋がりが無い。
これは後世への良い見本となるのではと、ぼうっと、考えた。
「そう言えばさ」
「はい?」
「お前の父親、どうしたの」
「どうしたって・・・?」
「最近、顔、見せに来たの」
「いいえ?」
小瑠璃。そしてつばきの父。
確か、支配者級の妖怪だったと認識している。
顔はやたらと小瑠璃に似ていたが、どうにも破綻した人格だった。
名は、大して興味が無かったので、忘れた。
「ここ最近、見ないね」
「まぁ、あの人の事ですから、元気でしょうよ」
「あそ」
もう既に興味を無くし、狗守鬼は再び茶を啜る。
小瑠璃は、思いの他茶が熱かったらしく、少し眉を顰めた。
「つばきも」
「ん」
「つばきも、気にしてはいないようですしね」
「そ」
「ええ」
つばきは、よくよく考えれば、昔は父っ子だった気がする。
パパ。パパ。と、事ある毎に引っ付いていた。
今ではそんな可愛らしい一面は形を潜め、明るい破綻者の道を進んでいる。
霊界も、随分と頭を痛めている様だ。
「此間も、また爆破事件を起こしましてね」
「いつもの事だろ」
「ええ、まぁ・・・お馴染みになってほしくは無いんですが」
「またコエンマさん、頭抱えてるんだろうな」
「本当に、申し訳ないです」
空になった湯飲みに、急須で新たに茶を注ぐ。
使い古された、渋みのある急須。
恐らく幻海が昔から使っていたのだろうと、狗守鬼は勝手に推測した。
「寒いですね」
「うん」
「魔界も今は、寒いんでしょうか」
「さぁね」
「志保利さんは、雪が降らないと、哀しんでいましたね」
魔界では、雪なぞ降らない。
降っているのは、氷河の国や、ほんの一部の、北の方。
誰も足を踏み入れないような、枯れ果てた氷の大地。
だから、志保利は、冬になるとこちらに遊びに来る。
もれなく、蔵馬もついて来るが。
「狗守鬼、貴方のお父さんはどうなんです?」
「どうって」
「お元気ですか?」
「父さんから元気を取ったら、何が残るの」
「あはは、中々酷い息子ですね」
漸く冷め始めた茶を、小瑠璃が一口含む。
狗守鬼は、先程よりも湿った尻尾を、ハタハタと、雫を落とすように振った。
「明日には晴れるでしょうか」
「夜には止む」
「そうですか」
「霊界には、関係ないだろ」
天気なんて。と、狗守鬼はどうでも良さそうに言った。
あまりにどうでも良さそうで、小瑠璃は、自然と苦笑いが浮かぶ。
「そうですね。・・・でも、仕事するなら、晴れの方が良いですよ」
「あそ」
「貴方も、晴れの方が良いでしょう?」
「どっちでも良い」
「・・・相変わらずですね」
相変わらず。
相変わらず、頓着の無い人だと、小瑠璃は言う。
他人にも、周囲にも、自分にも。
まるで、興味を持たない。
そんな性格が、時折羨ましくなる事を、小瑠璃は良く知っている。
「で」
「はい?」
「その爆弾女は、どうしたの」
「つばきですか?多分、仕事途中じゃないですかね」
「ふーん」
彼女も、一応霊界案内人として仕事をしている。
良く、霊と友達になり、いつも別れを惜しんでいた。
そんなんで、よく、精神が持つ物だと、狗守鬼は関心した事がある。
そんな調子では、いつか、心が引き裂かれるのではないかと。
けれど、意外と彼女は、芯が強い。
それも、良く知っているので、狗守鬼は敢えて何も言っていない。
「そう言えば、花龍さんと幻海さんは、どうして街に?」
「何だっけ。忘れた」
「・・・本当、相変わらずですね」
「興味無いから」
「そうでしょうね」
聞いたのが間違いだった。と、小瑠璃は呆れる。
呆れた際に吐いた溜息が、白く、雨の中に溶けた。
「飲む?」
「ありがとう御座います。頂きますよ」
「ん」
小瑠璃の湯呑みが空になったのを見て、狗守鬼が急須を持つ。
そして、静かに差し出された湯呑みに、適当に茶を注いだ。
湯呑み越しに熱は伝わっている筈なのに、小瑠璃の手は蝋の様に白い。
それが、少々不気味だと思った。
「狗守鬼、貴方、今失礼な事考えませんでした?」
「不気味って思った」
「・・・貴方のその素直な性格、好きですけどね」
「男に好かれても、嬉しくない」
「悪かったですね」
「特に、お前には」
「・・・狗守鬼、貴方もしかして、僕の事嫌いですか?」
容赦の無い狗守鬼の言葉に、小瑠璃は眉間に皺を寄せる。
けれど、嫌いになれる訳も無く、そのまま、茶を飲む。
とても熱かった。
「嫌いじゃないよ」
「そうですか。それは、嬉しいですね」
「ただ、色白いのが、不気味」
「生れ付きです」
「ふぅん」
もう、興味が失せている。
早い物だと、小瑠璃は狗守鬼を見ながら思った。
「あ」
小瑠璃が不意に、声を上げる。
「何」
「ホラ、見て下さい」
傾けられた湯呑みを、狗守鬼は素直に覗き込む。
「茶柱です。縁起が良いですね」
「じゃ、今日一日、つばきが大人しいんじゃない」
「あはは。それは、この上無く嬉しいですが」
狗守鬼の言葉に、小瑠璃は笑う。
それが在り得ないとわかっていても、笑う。
狗守鬼は、無表情だ。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
無言。
2人が話さなければ、ここは無音の世界。
いいや、雨の音。
風の音。
木々が揺れる音。
それらは、良く、聞こえる。
「静かですね」
「うん」
「雨ですね」
「うん」
2人揃って、ぼうっと、縁側に座り外を見る。
他に誰もいない、一日。
雨の日の、徒然な時間。
END.