ここは苦手だ。
何年経っても、何度訪れても。
仮にも自分は支配者級の子なのにと、思わず自嘲が零れた。
だが、それでも、どうにも、駄目なのだ。
魔界と言う世界は。
『自己中心論』
血の匂いが渦巻く。
肉の匂いが立ち込める。
思わず鼻を摘みながら、舗装もされていない地面を、歩く。
何故、自分1人で魔界へと来たか。
それは、霊界の調査の為。
この辺りは危険区域に指定されていて、まだ実態が明らかにされていない。
調査しなかったのではなく、出来なかった。
何故ならここは、S級妖怪達の巣窟。
霊界では実力の測れない妖怪達をS級と称し、特に危険視をしていた。
以前の魔界の無秩序な様で霊界の住人が踏み込むのは、単なる自殺行為だったのだろう。
今まで、有能ハンターですら、恐怖した場所だ。
それにここは、単なるS級の巣窟ではない。
ここは、S級の中で落魄れた者達が最後に行き着く場所。
人間界で言う、凶悪犯罪者達の集落だと思ってくれて間違いない。
その証拠に、この、禍々しいばかりの妖気。
霊界に住む自分にとっては、コレが中々に辛い。
さて、話は戻るが、調査。
実態調査をする場合には、霊界では原則1人で探索をしない。
危険過ぎるからだ。
それなのに何故僕が1人で訪れたのか。
理由は簡単、一緒に行く人がいなかっただけ。
つばきは今日、他の仕事が入って留守。
花龍さんは幻海さんと何処かへ出掛けた。
・・・他に頼れそうなのと言ったら、狗守鬼。
だが・・・
『あぁ、一緒についてってやろうか?お前弱いから、すぐ雑魚の餌にされるよ』
この一言についカッとなって、逃げる様に魔界へ来てしまったのだ。
今ここの妖気を肌に感じて、今更ながらにそれを後悔する。
狗守鬼の言葉にカッとなったのは、それが事実であるからで・・・
自分は弱い。特に魔界なんぞでは、良い餌だ。
誰よりも魔界を知っていて、誰よりも強い狗守鬼の言葉。
素直に聞いて、一緒に来て貰えば良かった。
知らず、ふぅ・・・と溜息が出る。
だが、今戻ったら、また時間が掛かる。
狗守鬼だって、もう仕事が入っていないかも知れない。
今の魔界は以前より秩序が保たれつつあるのだし。と、自分を納得させた。
「・・・・・・・?」
聞こえた、微かな声。
思わず背筋が、ぞっと凍る。
多い。
視線も、妖気も、その声も。
何体いるのか。ざっと見ても、5以上。
S級の妖怪が?それも、S級の中でも特に惨忍な妖怪達が?
足が竦む。
自分は少女か。と、こんな状況でも脳は何処か冷静だった。
『あの顔。見た事がある・・・』
見た事がある?僕の顔を?
『そうだ。そうだ。あの男だ』
僕は知らない。こんな所に知人など。
『あのクエストと同じ顔だ』
・・・支配者?
・・・・・・嫌な予感が、頭を過ぎる。
『ああ、憎い憎い。あの男。
俺の弟を殺したのだ。あの男、憎い男』
『どうやらアレは、奴の息子。
それも、どうにも、弱々しい。
顔だけは麗しい。が、妖気も霊気も何と脆弱よ。』
うるさい。うるさい。
そんなもの、自分が一番良く分かっている。
『ならば、丁度良い。
玩具が見つかった。随分秀麗な造りの人形が』
『息子と在らば、捕らえぬ手は無い。
奴の息子ならば。
鴉の息子ならば』
鴉。
その名が聞こえた瞬間、僕は走り出した。
関わりたくない。
彼等の会話からして、どうやら父に恨みを持っている輩らしい。
まったく、どうして、こうも家族に迷惑を掛けるんだか。
いつも勝手な、父の顔が脳裏に映る。
顔だけ似ている貴方。
けれど僕は、支配者には遠く及ばぬ弱者。
『逃がさぬ。逃がさぬ』
声が近づいて来る。
恐ろしいスピードで。
一体何処で誰の恨みを買っているんだ。
その父に何かしらされたそいつが、ここにいただなんて。
性質の悪い運命じゃないか。
「・・・あ」
足が止まる。
進めない。
どうしてか。
既に目の前に、回った奴がいたからだ。
気付かなかった。先回りされてたなんて。
気配すらも読めない自分が、憎い。
「・・・・退いて下さい」
「ほぅ。こうして近くで見ると、本当に良く似ている」
この声は、先に弟を殺されたと言っていた男。
「父に恨みがあるなら、父に復讐して下さい。止めません」
「奴に味わわせたいのは、自らの家族を奪われる苦しみよ」
「あの人が苦しむ訳がない」
家族を放っておいて、帰って来ぬ父が。
「・・・しかし。本当に顔だけならば、美しい」
「・・・・・・・」
賛辞は、僕にとってこれ以上無い苦痛。
綺麗?父に良く似た、この顔が?
「コレは中々、良い物を見つけた」
「殺すだけには、何とも惜しい」
「四肢を食い千切る前に、そう。その前に」
何を言っているのか、良く分からない。
だが、何だか、嫌な予感は相変わらず背筋を撫ぜる。
「っ来ないで下さい!」
咄嗟に霊気を放出する。
だが、その刃は、軽々と薙ぎ消された。
・・・S級妖怪に、立ち向かえる訳が無い。
僕が。この妖気も霊気も脆弱で、戦闘能力の乏しい僕が。
「まったく、弱々しい物よ。
そんなで、よくも、ここに来られた物」
嘲笑う様に、言う。
悔しい。悔しいが、弱いのは事実なのだ。
ぐっと唇と噛むと、じわりと鉄の味が口内に広がった。
「ああ、勿体無い。血が流れている」
「っ!?」
一体が、そう言う。
何が勿体無いだ。ふざけた事を。
そう返そうと思ったのに、出来なかった。
呼吸が出来ない。
熱い。
口内に生暖かい軟体器官が侵入して来た時、
漸く自分が、妖怪に接吻されているのだと気付いた。
顔から血の気がザァッと引く。
恐怖。嫌悪。戦慄。
何故。どうして。
自分は男だ。妖怪も、見るからに男だと思う。
男が?男に?
ゾッとした何かが体内を駆け抜け、無我夢中で相手を蹴り飛ばす。
「っ・・・・ゲホッ」
「窮鼠猫を噛む。か、土壇場の抵抗は中々来るな」
妖怪が、口からペッと血を吐く。
僕の蹴りが良い所に入ってしまったらしく、少々辛い様子だった。
だが、こうした所で何も状況は変わらない。
囲まれている。逃げ場は無い。
「さぁ、まだ抵抗をするのかな」
「・・・・・・!」
瞬間、背後に気配。
気付くのが遅れた。
振り向いた時には、もう、視界が回転した後。
「ど、退け!!」
「退いて欲しいのなら、自力で何とかするんだな」
悔しい。悔しい。
そう言われて、何も出来ない自分が。
ギリリと奥歯を食い縛った時、ふと空が隠れる。
その代わり、映ったのは、醜い男の顔。
「っ!!」
「こうして間近で見ると、実に麗艶な顔付きをしている」
「・・・・・・・・っ」
嬉しく無い。
父に似ているこの顔。
顔だけ似て、妖気なぞは全く似なかった。
必要の無い、親子の証。
「!?・・・なっ、離せ!!」
眼を疑った。
自分を引き倒した妖怪が、僕の服を引き裂いた。
魔界の生温い風が地肌を撫ぜ、何とも心地が悪い。
けれど、何故?
一瞬疑問が浮かぶが、それは答えによってすぐ掻き消される。
食い殺される。
餌を食すのに、服が邪魔だったのだろう。
自分で導いたこの答えがやけに残酷で、知らず震えが走る。
嫌だ。こんな所で殺されるだなんて。
抵抗したくとも、先程顔を覗き込んでいた奴に手を括られ、どうにも出来ない。
ああ、本当に、1人で来るのではなかった。
後悔先に立たずとは、言った物だ。
「・・・・え?」
皮膚に牙を立てられ、肉を食い千切られるのを想像し、眼をきつく瞑る。
だが一向に、その激しい痛みは訪れない。
感じたのは、ザラリとした舌の感触。
思わず、緊張感の無い声が漏れた。
「な・・・何・・・」
「ほぅ。この状況が解せぬと。初心であるのか、ただ鈍いのか」
「な、何が・・・」
「そうか。お前、性交の経験が無いのか」
「っ!?」
突然の言葉に、カッと眼を見開く。
うるさい。うるさい。
それが、何だと。
・・・そこで、はたと気付く。
ここでその話題が出たと言う事は。
いいや、考えたくない。
考えたくないけれど。
「・・・・ふ、ふざけた事を!!絶対に嫌だ!!!」
犯される。
信じられない。信じられないけど。
けれど、この状況。
餌にされる以外には、それしか無い。
僕は男だ。
それなのに、男に?
嫌だ。そんなの。絶対に。
「何とも弱々しい抵抗だな。恐怖に妖気すらまともに放出出来ていない」
「犯されるのが怖いか。それとも、その後に待つ死が怖いのか」
その後に待つ、死。
そうだ。犯されて、その後、解放される訳がない。
最後にはどうせ、餌になるのだろう。
『お前弱いから、すぐ雑魚の餌にされるよ』
狗守鬼の言葉が、耳に響いた。
餌。餌。
ねぇ狗守鬼、貴方の言葉、その意味と違う意味とで、当たりましたよ。
そんな事を考えている間にも、妖怪の舌は身体を這いずる。
気持ち悪い。気持ち悪い。
どうにも苦しく、悔しく、恐怖を覚え、脳が一瞬にして真っ白になる。
「っ・・・とっ・・・狗守鬼っ・・・!!」
咄嗟に出た、名前。
自分は、狗守鬼の前に誰を呼ぼうとした?
・・・何故、呼ぼうとしたんだろう。
彼の所為で、自分は今こんな眼に合っているのに。
助けてくれる訳が無いのに。
来てくれる訳が、無いのに。
僕を、助けに。
そう自分で認めた瞬間、情けない事に、目尻から涙が零れた。
悲しい。
何が?
妖怪達に何一つ太刀打ち出来ない事が?
男でありながら、身体を奪われる事が?
そしてその後、無惨に貪り食われる事が?
父が、いくら求めても、助けに来てくれない事が?
全部、悲しいけれど。
「おや、何故泣いている。怖いのか」
「いいや、違うだろう、悔しいのだろう」
わかっているなら、止めて欲しい。
そう言いつつも、お前等の舌は僕の身体を支配しているじゃないか。
「可哀想に、誰も助けには来ないだろう」
気やしない。
あの人は、来てくれない。
妖怪の舌が首筋をなぞる。
けれど、頭の中に浮かぶのは、悲しさと、後悔。
こう言う状況の時には、どうにも悲しくなる物で。
沸き起こる、後悔。
一体何を悔いるのか。わからないくらい、頭が悲しみで満ちる。
「・・・・ごめん・・・なさい・・・・」
・・・ごめんなさい・・・?
それは、何に対しての謝罪だろうか。
忠告を無視してしまった、狗守鬼へ?
1人残してしまう、つばきへ?
いつも心配ばかり掛けてしまう、母へ?
それとも。
それとも・・・・
ずっと、素直になれなかった。
自分勝手な考えで、憎んでしまった。
貴方の優しい愛情から、逃げてしまった・・・
「・・・・ごめんなさい・・・・父さん・・・・」
「何故私に謝る?愛しい息子よ」
・・・・・・・・・・・・・・・・え?
幻聴?
・・・幻聴が聞こえたと言う事は、自分は死んだのだろうか?
何時の間に?痛みは、感じなかったけれど。
そんな事を考えていたら、突如響いた、破裂音。
驚いて、閉じていた眼を見開く。
まず視界に入ったのは、月に様に煌めいて、漣の様に揺らめく、ブロンドの髪。
「・・・・と・・・・・う、さん・・・・?」
呼んでも、振り返らない。
その代わり、次に視界に入ったのは父の顔ではなく
血飛沫。
プシャー。と、まるで噴水の様な音をたてて噴き上がる血。
父の背中越しに良く見てみると、それは、先程僕に覆い被さっていた妖怪で。
首が取れている。
その血飛沫は、僕の顔へバシャバシャと降りかかって来た。
一瞬にして全てが血に支配される。
視界も、臭いも、口内も、身体も、全て。
それを妖怪の血だとはっきり脳が認識した瞬間、腹から込み上げて来た、嘔吐感。
身体の力には逆らえず、寝返りを打ってから、ゲホゲホと咽る。
「うっ・・・・ぇ・・・・」
チラリと横目で見ると、父の姿はもう無かった。
・・・幻・・・?
いいや、そんな訳が無い。
父の姿が幻ならば、ここに転がる死体達は何なのだ。
それより、何より、父の妖気がまだ、微かに残っている。
紫色の。つばきと同じ妖気。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
一頻り吐き終え、呆然と、乱れた装いのまま、見る。
全員首が取れている。
爆弾で吹き飛ばされたのだろう。
転がった顔を1つ見てみれば、言い表せぬ程の苦悶の色。
コレが。この情けなく恐怖した面のまま死んでいるコレが。
先程僕を支配しようとした男だろうか。
こんなにもアッサリ殺された、男に、僕は。
また、思考が暗く沈みかけ、顔を上げる。
そこはやっぱり血の海で、転がるのが無惨な死体で。
ねぇ、父さん。
貴方は、こんな風に殺して来たんですか。
自分の為にじゃなく、誰かを守る為に殺した事もあったんですか。
今この妖怪達を殺したのは、僕を守る為なんでしょう?
それじゃあ、そこの、妖怪の弟とやらを殺した時も。
誰かを守る為だったんですか?
そうであったなら、僕は・・・。
貴方が、誰かを守る為に誰かを殺したのだったなら・・・。
・・・自分の単純な脳味噌に、思わず哂いが漏れた。
でも、良い。
もう、良い。
今はもう、何も考えたくない。
自分は今、生きている。
それだけで良い。
父が僕を助けてくれた。
それだけで、良い。
END.
サーフさんに捧げるお礼小説!!
何のお礼かと申せば、キリリクのお礼。
何せ、もう片手の指以上の数を書いて頂いている。
こりゃあお礼の1つもしてから腹掻っ捌かなきゃな!!
と、思いまして・・・。
・・・・すみません。こんな出来ですみません・・・鴉さんちょっとしか・・・。
あ、鴉さんが金髪になってるのは、息子のピンチにちょっと本気出したから!
父は自己中心的。小瑠璃も自己中心的。
小瑠璃が父を嫌っているのは、大好きであるからこそ。
幼い頃の寂しさが、何時の間にか憎しみに変わってる。
元々殺戮が嫌いだが、『父が自分の為に』。
と思うと、やはり嬉しい。それ以外は、許せない。
それが、題名の意味。(のつもり)