この異形の世界には不釣合いな霊気が光った。
弱々しい光。今にも消えてしまいそうな光。
泣いている様に震えた、それ。
同時に香った、何とも悲しい、死の匂い。
孤独を思わせる、死の匂い。
そこにいたのは、1人の幼い少女。
清流の様な微弱な霊気に包まれた、1人の幼い少女。
白く質素な、それでも上等な布で拵えられた衣装を纏った少女。
生気の無い肌色と淡い色の髪が、その存在感をやたら神聖な物に見せていた。
人間だろうか。
いいや、人間にしては実体が薄過ぎる。
確かめる為に近寄ると、少女は大粒の涙を零しながらコチラを見た。
「何を泣いているんだ?お嬢ちゃん」
少女は濡れた大きな目で俺を見る。
額に、霊界統治者の後継者である証が刻まれていた。
その小さな耳に、霊力を封じ込める宝石が飾られていた。
人間ではない。霊界の少女だ。
「・・・・アンタ、霊界の奴だな・・・・」
「・・・・え、あ・・・・」
思わず、苦い声が漏れた。
霊界に対して、あまり良い感情は持っていなかった。
寧ろ嫌悪。それに似た否定的な考えを持っていたのだ。
つい零れたその拒絶の声色に、少女の顔がより一層悲しく歪む。
それがあまりに可哀想で、柄にも無く慌ててしまった。
「ふぇ・・・・・・」
「あぁ・・・いいや、何でもない。泣くな泣くな」
生憎子供を育てた事は無い。
その為、幼い少女に泣かれた時、どうしてやれば良いかが良くわからなかった。
兎に角落ち着かせてやろうと、咄嗟に頭を撫ぜる。
霊界の住人特有の冷たさ。
サラサラ絹の様な触り心地の髪は、氷の様だった。
小さいその頭をワシャワシャと撫でる。
少女は、少し安堵した様だった。
「・・・・・・ここは、何処?」
落ち着いたのか、それでも酷く不安そうな声で俺に問う。
特に隠す理由も無い。素直に答えてやった。
「・・・魔界だ」
「・・・・・ま、かい?」
「ああ。・・・アンタみたいな可愛いお嬢ちゃんが来る所じゃないさ」
特に、霊界の住人が。
そう付け足そうと思って、やめた。
何故だかこの少女を邪見に扱うのは、哀れな気がした。
見知らぬ異世界に1人放り出された少女。
折角出会えた俺にまで突き放されたら、その内そこらの妖怪達に食い殺されてしまう。
「・・・・う・・・・」
「ん?」
突然、少女の体がブルリと震える。
催したかと思ったが、ただ単に恐怖で震えたらしい。
だが我慢が強いのか理解をしていないのか、大声で泣き喚いたりはしなかった。
しかし、今だ細かい震えが、頭を撫ぜる俺の手へと伝わる。
・・・それにしても、この少女は何故魔界に来たのか。
魔界と霊界は、直接行き来が出来ない。
元より対立する種族なのだから、当然と言えば当然かも知れないが。
「どうしてここに迷い込んだ。霊界からは来る事が出来ない筈だ」
「・・・人間界を、散歩してたら・・・ここにいたの」
「・・・・そうか。空間の亀裂から迷い込んだんだな・・・・」
霊界の次期統治者が、人間界を1人で。
何とも無用心な物だ。
実体化しているのなら、他の人間達にも姿が見えたろうに。
何があるか、わかった物ではない。
そうは思っても、俺も人間界に気軽に行ける存在ではない。
少女を安全な場所まで送り届けてやる事は、出来ない。
出来るのは、この少女を人間界の近くまで連れて行ってやる事だけ。
「・・・よし。人間界へのゲートへ連れて行ってやる」
「・・・・本当?」
「ああ。アンタもここに長くいたくはないだろう」
「・・・うん」
少女が、強張った表情のまま頷く。
その素直な様に、思わず笑ってしまった。
霊界に住んでいながら、随分純真無垢な少女。
これから他の霊界の者達に様に心を閉ざして生きていくのだろうが。
これだけ綺麗な魂が汚れるのは、少々哀れな気がした。
「・・・行くぞ」
「?!」
先程からゆるゆると頭を撫ぜていた手を離し、少女の体を片腕で掬い上げる。
恐ろしい程に軽かった。
肌の白さも相俟って、華奢を通り越して病的な何かを感じた。
あんな息の詰まる世界に閉じ込められていれば、そうもなるのだろうが。
それでもこの少女が、可哀想でならなかった。
だが、俺には関係ない事。
早くこの少女を魔界の瘴気から出してやろうと、足を速める。
少女は声を出す事も儘ならず、ただ身を硬くし、俺に体を預けていた。
「掴まってろよ、お嬢ちゃん」
切り付ける風の中そう言うと、少女はやはり素直に俺にしがみ付いてきた。
人形の様なその様子に、チラリと視線を送る。
少女は、俺の首に顔を押し付けたまま固まっていた。
悲しい霊気の匂いが、俺の中に入り込む。
霊界の死の匂いと混ざり合い、1人の女を思い出した。
この白い少女とは対照的な黒い女。
アレも病的な女だったがと、少女を腕に抱き上げながら思った。
「じゃあな。もう迷い込むなよ」
人間界へのゲートへと辿り着き、少女を下ろしてやる。
少女は一瞬フラリとしたが、すぐに自らの足でしっかり立った。
それから、背の低い少女は俺を見上げる。
琥珀色の目が、必死に、真剣に俺を射った。
汚れていない瞳。
それでも悲しそうな光を宿したそれ。
「・・・あ、りがとう」
「いいや、礼なんかいらねぇよ」
「・・・うん。・・・えっと・・・」
少しぎこちなく微笑みながら、俺に礼を述べる少女。
だがふと気付いたのか、何やら言葉を詰まらせる。
少女の言いたい事を察し、その慌てた様子に笑いながら教えてやった。
「・・・雷禅。俺の名だ」
言うと、少女は嬉しそうに笑った。
穢れを知らない少女の笑顔。
笑えば随分と可愛らしい顔をしているじゃないかと、少し思ってみる。
いいや、顔の造詣だけで言えば整った造りなのだが。
それでもそれは人形の様であるし、自然に笑っていた方が愛らしい事は確かだ。
俺の名を聞けて嬉しかったのか、少女は笑ったまま俺を見詰めている。
名でも呼んでやろうかと思ったが、俺も少女の名を知らない。
先程少女が問うて来た様に、俺も軽い気持ちで少女の名を聞いた。
「お嬢ちゃんは」
「・・・・・コエンマ」
「・・・・・・・・・・・そうか」
少女の口から出たのは、”役職”だった。
自身として生きられない霊界の統治者。
本当の名は別にあるのだろう。
だがこの少女は、それとして生きる事は許されない。
この少女は霊界次期統治者であり、1人の女ではないのだ。
そう思った瞬間、再び苦い思いが舌に滲んだ。
哀れな少女。
自身を持たずに役目のみで生きる少女。
いつかこの汚れの無い目が、笑顔が、消える日が来るのだろう。
いつか哀しい笑みしか浮かべなくなるのだろう。
少女の辿る運命を予感したその時、少女がまた不安そうな表情を浮かべた。
随分他者に敏感な少女だ。
いいや、子供と言うのは、皆そうなのか。
だが、この少女においてはまた別であろう。
霊界の中で、常に他者の顔色を伺いながら生きて来たのだろう。
愛情に触れた事が無いであろうこの少女。
やはり哀れで、先と同じ様に頭を撫ぜてやった。
「?」
「・・・・・・いいや、何でもない。コエンマか」
「うん・・・」
少女の声は、寂しそうだった。
自分の名すら口に出せない少女。
それがどう言う意味なのか、知るのは随分後になるだろう。
それこそ、もうどうしようも無くなった時に。
気付くべき時が過ぎ去った時に気付くのだろう。
少女は、良く理解が出来ていない様子で、俺を見た。
「・・・さぁ、もう行け」
手を小さい頭から離し、言葉で送り出す。
少女はまた素直に、俺の傍から離れゲートへと駆け寄った。
そのゲートを潜り抜ける直前、少女が振り向き、小さい手を俺に振る。
哀しそうな笑顔だった。
「・・・・うん。・・・・ありがとう、らいぜん」
手を振り返してやると、少女は嬉しそうな様子だった。
そして名残惜しそうに顔を背けると、そのままもう振り返る事無く、ゲートの奥へと姿を消した。
少女が去った後、暫くそのゲートを見詰める。
哀しい風が吹いた。
魔界の匂いとも人間の匂いとも違う、哀しい風が吹いた。
まるであの少女の様だと、下らない事を考えてみた。
コエンマ。か。
だが教えられても、どうにも呼ぶ気になれないそれ。
俺は霊界の住人ではないのだ。
彼女を統治者と崇める謂れも無い。
もしも呼ぶとしたら、あの少女の名。
霊界の住人としてではなく、1人の少女として呼んでやりたい物だ。
だがそれも、叶いそうにはない。
恐らく、次期統治者。霊界の姫君が消えたとなれば、霊界は大騒ぎだろう。
そして素直な少女の事だ、側近達に全て包み隠さず話すだろう。
いいや、話さずとも、魔界の瘴気や俺の妖気が彼女の器に染み込んでいる。
霊界の、護衛隊達なら、すぐに魔界に迷い込んだのだと気付く筈。
そうなれば、あの少女はもう1人で出歩く事が叶わない。
彼女に自由が訪れる事は、もう無さそうだ。
そう思うと、少し残念な気もした。
愛情を知らぬ少女。
せめて名だけでも呼んでやりたかったと、目に掛かった前髪を掻き揚げる。
少女の、悲しい霊気が、ふわりと香った。
END.
『優しい獣』の雷禅さん視点。
自分の知っている霊界の住人とは違う、霊界の少女。
それにちょっと興味を持ってる・・・みたいな感じでしょうか。
それにしてもこの2人だとやっぱり明るくなりません。
仕方ない、コエンマさんの境遇が境遇だから。
でも多分これから、ちょくちょくコエンマさんが雷禅さんに会いに来て・・・
色々影響されてあの性格になれば良い。
んで、からかうとギャーギャー騒ぐ様になったコエンマさんに、雷禅さんが
呆れつつも喜んでいれば良い。
他の霊界の住人達みたいに腐らなくて良かったとか思っていれば尚良い。