縁側に寝転んだ飛影が、のそりと障子の向こうを見る。




其処には、何とも雅やかな雛飾り。

いかにも和と言った、誠に風流な五段の。



だが飛影は、見慣れぬ物体に、興味を引かれたらしく、じっと見る。



そこへ、呆れた様子の幻海が茶を淹れて持って来た。



「・・・何口開けながら見てんだい」
「開けていない」
「ほぅ。・・・まぁ、間違っても食うんじゃないよ」
「?コレは食えるのか?」
「違う。アンタが鯉みたいに口開けてるから、忠告しといただけさ」


素で返した飛影に、幻海は溜息を吐く。

確かに見た目は美しい雛人形だが、食える訳が無いだろう、と。

勿論、霰や菱餅は、後で食すのだが。


流石に人形まで食われては堪らない。


「フン」
「ったく・・・ホラ」

つまらなそうに鼻を鳴らした飛影に、幻海は湯飲みを渡してやる。

中には熱い茶が入っており、座り直した飛影が一口だけ含んだ。


舌が一瞬、熱さに怯む。


「・・・で?今日は何しに来たんだい」
「・・・・何だと?」
「雪菜は今いないよ」


幻海の改まっての質問に、飛影は早速不機嫌そうに眉を顰めた。

そして、無言で彼女を、紅い瞳で睨む。


「何だい」
「・・・・貴様の顔を見に来ただけだ」
「ほぅ」
「・・・大体、何をしに来ただと?帰って来ただけだろうが」


ソッポを向きつつ、呟く。


「・・・あぁ、ここ、アンタの家だったっけね」
「殺すぞ貴様」
「悪い悪い。すっかり忘れていたよ」
「・・・・フン」


遂には、ゴロリと。

幻海に背を向けて寝転がる。


飛影の家とは言っても、ここは勿論幻海の寺。

正確に言えば違うのだろうが、それでも、ここはもう彼の家に近い。



ただ、躯が仕事を押し付けて来るので、帰って来られないだけで。



「ったく、ガキだねぇ」
「煩い。見た目は貴様の方が若いだろうが」
「見た目だけならね」


幻海が、淡い桃色の三つ編みを胸の前に流しながら、茶を啜る。


飛影は、その静かな音を聞きながら、再び雛壇に眼を遣った。




「・・・で、アレは何だ」
「雛飾りだよ」
「・・・・ヒナ?」


期せずして耳に入った言葉に、飛影が顔だけ幻海に向ける。


ヒナ。


氷菜。


それは、久しく聞かなかった、母の名前。



「?何だい」
「・・・・・いや、何でもない」


勿論違うとはわかっている。

わかっているのだが、その一言で、急に雛飾りとやらに興味が沸いた。

ポツリポツリと、疑問に思った事を、順番に幻海へと投げ掛ける。


「何の為に飾っている」
「3月3日は雛祭り。女児の健やかな成長を願う年中行事さ」
「ほぉ・・・」
「アンタには、関係無いがね」
「あって堪るか」


俺は男だ。と、飛影が言う。

見ればわかるさと、幻海も茶を啜りながら返してやった。


「アレは知っている」
「?どれだい」
「あの花だ。桜とか言う奴だろう?」



飛影が寝転がったまま、指で示す。



其処には、雛壇の横に控え目に飾られた、淡い色の慎ましやかな花。



飛影の答えに、幻海は感心しつつも、苦笑いして教えてやる。



「惜しいね。アレは桃だ」
「・・・桃?」
「そう。雛祭りは桃の節句とも言ってね。ああして飾るのさ」
「・・・・・違いがわからん」
「確かに似ている。ま、違いなんて、少しのモンだ」



そうか。と、飛影は何となく、興味深そうに桃の花を見遣った。


淡い、ピンクに色付いた、清楚な花。



「・・・それにしても、アンタ、良く桜なんて知ってたね」
「・・・・ああ」
「蔵馬にでも教えて貰ったのかい?」
「違う」


人間界の花なぞ、飛影が覚えているとは思わなかった。


意外そうに聞いた幻海に、飛影は少し黙ってから、やや小さい声で答える。





「・・・お前の髪色と同じだったから、覚えていただけだ」





何とも可愛らしい理由に、幻海はプッと噴出す。


それには、照れていた飛影。


素早く反応し、ガバリと起き上がった。


「貴様、笑うな!!」
「ああ、悪い悪い・・・いや、嬉しいね。あんな綺麗な花から連想して貰えるとは」
「・・・フン」



その一言に、お前の方が綺麗だ。と言ってみようかと思ったが・・・。


コレは流石に、余りにも、恥ずかしいと言うか、抵抗があり過ぎる。


それに言った所でどうせまた笑われるだろうと、言うのは止めておいた。



「おや、何だい?何か言いたそうだね」
「別に」
「まあ、良いがね」


だが幻海は、ふふ。と、それこそ桜の様に淡く笑う。


恐らく、飛影が何を言おうとしたのか、予想がついているのだろう。



「ま、桃もあたしの髪と同じ色だ、覚えておきな」
「・・・・わかった」


素直だな。と、また、幻海は笑う。


今日は良く笑う奴だ。と、飛影は、呆れた様子で見遣った。



だが、それでも、彼女の笑顔は、心地好い。



こうして何事も無く笑顔を見せてくれるのなら、別に良い。


「・・・それで、アレは無いのか」
「何だい」
「酒だ。祭りと言ったら酒と、相場は決まっているだろう」
「・・・アンタも、要らない知識は豊富にあるねぇ」


その内脳味噌が余分な知識で太るんじゃないかい。

と、幻海はコロコロ笑った。


慎ましやかな花の様な微笑は、自分には眩しい気がして、すっと眼を逸らす。


「ま、あるっちゃあ、あるよ」
「飲む」
「全く、仕様の無いねぇ・・・」


幻海が、よっこらせと、軽い動きで立ち上がる。


そして雛壇の傍に飾られていた徳利を手に取り、入れ物を開けて、御猪口を1つ。


それを、流れるような動きで、飛影に渡した。


「ホラ、注いでやるから、持ちな」
「・・・ああ」


トクトクと、白い酒が注がれる。


「・・・何だ、この酒は」
「白酒だよ」
「?」
「祭りの時に飲むのさ」


幻海の言葉を受け、それを一口煽る。



途端、飛影は何とも微妙な表情を浮かべた。



「・・・・・甘い」
「そう言うモンだよ」
「酒か?コレは」
「酒だよ」


飲んだ事の無い酒に、飛影は少し戸惑う。

だが、それでも、一応は飲み干した。


口の中を、独特な風味が広がる。


甘ったるい様な、それでも、何だか懐かしいような。


「・・・貸せ、注いでやる」
「それは、ありがたいね」


飲み終えた御猪口を幻海へと手渡し、今度は飛影が白酒を注ぐ。


些か乱暴な注がれ方をした為か、ちゃぷっと、数滴が滴る。


「勢いがあり過ぎる」
「ほっとけば、乾くだろう」
「ま、畳じゃないから、良いがね」


幻海がそう言いながら、注がれた白酒をくっと流し込む。


昔から親しんでいる、甘い香り。



「フン・・・だが、人間は変わっているな。甘い酒なぞ、飲んで楽しいのか」
「行事の時にしか飲まないさ」
「だろうな」





ヒラリ。





と、幻海の持っている酒に、一枚。




淡い桃の花弁が、舞い込んだ。





「おや。随分と風流だねぇ」
「・・・・・飲むのか」
「もう少し、眺めているさ」





儚いような、彼女の横顔。


それをじっと見詰めてから、飛影はゴロリと寝転がった。




床にではなく、幻海の膝に。




「何だい。もう寝るってのか」
「・・・ああ」
「ったく・・・本当に良く寝る奴だねぇ」


だから、こうまで背が伸びたのか。

と、幻海は冗談交じりで考える。


初めてコイツを見た時は、随分と低かったこの頭。


だが、今はもう、見上げなければ、飛影の顔が見えない。




時間の流れは、恐ろしい程早いなと、幻海は桃の花弁を見て思った。





途端、つい。と、髪が引っ張られる。





それは、軽く。自分を呼ぶ様に。





「?何だい」
「・・・・桜と桃か」
「・・・ああ、あたしの髪の色かい?」
「そうだ」
「・・・まぁ、自身でも気に入っているがね」


珍しい色合いだが、と、幻海は言う。





「・・・・・桜より桃より、お前の髪の方が綺麗だな」





ポツリ。と。


それは、自然に飛影の口から零れた。





「・・・・・フフフッ。何だい、それが、さっき言おうとした台詞かい?」





幻海の口から、鈴の様な笑いが転がる。



それを見て、飛影は、やはり笑われたか・・・と、軽く舌打ちをした。






「嬉しいね。そうまで言って貰えるとは、思わなかった」






まだ、可笑しそうに、クスクスと肩を揺らしている。





それは今、逆光であまり良く見えないが。









「・・・お前がそうやって笑うなら、幾らでも言ってやる」









きっと、桜より桃より、美しい微笑みなのだろうと、飛影も、軽く笑った。































END.


すみません。
背景の花は桃じゃなくて桜です。(桃が見つからなかった)

そして本日3月に入ったので、雛祭りネタ。