あーぁ。

と、淡い緋色の髪を持った少女が溜息を吐きながら湯で身体を癒す。

今日もまた、新しい痣がいくつも出来た。

12歳にもなろうかと言う少女、剣は、自分の腹をそっと撫でる。

そこには痛々しい、真っ青な痣が浮かび上がっていた。



今日も今日とて、己の育ての親であり師でもある比古に、容赦なくやられたのだ。

いいや、比古は勿論、力加減はしている。

けれど、12にしては軽いこの少女の身体は、いとも簡単に吹き飛んでしまう。

更に木刀で頭だの腹だのしこたま殴られるのだから、傷など絶える筈がない。


いつか自分は、修行中に死ぬ様な気がする。


そんな事を冗談抜きでを考えつつ、そろそろ上がらねば師匠にどやされる、と軋む足で立つ。





ポタリ。





その瞬間、足元へと滴り落ちた雫。

湯かとも思ったが、それは赤く、しかも、何滴も足の間に落ちて来る。






間を置いて、少女の甲高い叫び声が風呂場に響き渡った。












「なんだぁ?」


囲炉裏の傍で酒を煽っていた比古は、訝しげに風呂場の方を見遣る。

ここからでは勿論見えないが、確かに馬鹿・・・もとい愛弟子の悲鳴が聞こえた。

一体何だ。と思案する。

油虫でも出たか?いいや、今はもう初冬。しかも剣は虫は平気な性質だ。

覗き?こんな山奥で、誰がだ。

幽霊でも見たか?あの馬鹿の鈍い心じゃあ、見える筈もねェか。

と色々考えてみるも、どれも違うと言うのは比古にだってわかっていた。



だとしたら何だ?と再び思考を巡らそうとした時、タタタと慌しい足音。



何だ、元気では無いか。と安心したのも束の間。

戸を壊さんばかりの勢いで飛び込んで来た剣の姿を見て、比古は額を押さえる。



「し、し、し、師匠ぉ!!!」
「・・・何か着て来い。そしたら聞いてやる」



相当錯乱していたのか、風呂場から直行して来たらしい剣は身体を晒したままの状態。

全くこの馬鹿は。と比古は呆れ顔だが、剣は聞く耳を持たず比古に体当たりする様にしがみ付いた。

今日は一段と様子のおかしい弟子に、比古は漸くお猪口を床に置いた。


「何だ。服着て来いって言ってんだろぉが」
「し、し、ししょ・・・ど、どうしよう・・・」
「ぁ?何がだ」
「わ、わ、私、私、死ぬかも知れません!!!」


あまりに予想外の言葉に、数瞬沈黙が訪れる。

そして、突然何を言うのだこの馬鹿は、と頭を軽く叩こうとした・・・

が、剣は今まで風呂に入っていたとは思えない程真っ青な顔で、小刻みに震えている。

これはただ事では無いなと、仕方なく赤子をあやすかの様に頭を撫でてやり、聞く。


「・・・何があった」
「ど、どうしよう・・・病気かなぁ・・・いや、師匠に殴られ過ぎて、内蔵が逝ったのかも・・・」
「だから、何があった」
「・・・血っ・・・血が・・・」
「血ぃ?」


そう言う剣の顔をじっと見てみる。

何処からも流血なんぞしていない。

勿論、身体からも、まだ湯の雫は流れているが、血は見当たらない。


いいや、コイツは内臓が・・・と言った。


その前に失礼な事を言った様な気がするが、今は不問としておく。

「血でも吐いたのか?」
「ち、ちがっ・・・吐いたんじゃない!!」
「じゃあ何だ」
「・・・へ、変な所から出てる・・・」
「・・・は?」

言い辛そうに俯く剣に、比古は理解が出来ない。

変な所?と考える前に、剣が静かに指で示した。



指先を目で辿ると、太腿の間。つまり、股間を指している。



「・・・・・・・・・はぁ」



暫し固まった後、比古は溜息を吐く。

そうだ。

と、納得もした。

そうだった、コイツは、知識が無いのだ。



6・7の時に拾い、それから一通りの教育はしたつもりだった。

剣術だけでなく、家事も、文字の読み書きも、一応礼儀作法も叩き込んだ。

けれど、忘れていたのだ。



性に関する教育を。



「・・・・・・・・」
「師匠?・・・やっぱり私、病気ですか?死んじゃうんですか!?」

突然黙った比古に不安になったのか、泣きそうな声で訴え掛ける剣。
その声に我に返ると、あーと頭を掻きながら、剣に諭す様に言う。

「病気じゃない。・・・取り敢えず布当てて、服着てからここ座れ」
「・・・病気じゃない?じゃあ、師匠に殴られて、内臓おかしくなったの・・・?」
「違うっつーの馬鹿、良いからとっとと言われた事やれ!」
「は、はい!」

鋭い声で言われ、剣が条件反射の様にすっくと立ち上がる。

そして大慌てで庵を出たのを確認し、比古は今日何度目かの溜息を吐いた。








「で、私、何なんでしょうか・・・」


言われた通り布を巻き、寝衣を纏った剣がちょこんと正座をし、聞く。

それには答えず、比古は酒を煽りながら徐に問い掛けた。


「剣」
「はい」
「お前、ガキがどうやって出来るか知ってるか?」
「男と女が結婚すると、でしょう?」
「・・・ンな訳ねぇだろ・・・」
「えぇ!?ち、違うんですか!?嘘ぉ!!」

やはり・・・と、再び額を押さえる。

これを一から教えなければならないのか、と思うと、どっと疲れがやって来た。

しかし、女の身体の事を教えるのは、些か自分もやり辛い。

「・・・って、私の質問に答えてくれてないじゃないですか!」
「それと関係があるんだよ」
「?そうなんですか?子供の事と?」
「ああ」

ふーん・・・と途端に大人しくなる剣。

それを見てから、努めて冷静に事情を説明してやった。

「女ってのは、成長すると、月に一度股座から血を流すんだよ。月経っつー奴だ」
「成長すると?血を流すと、どうなるの?」
「ガキが作れる様になったって事だ」
「ガキ・・・・え?何で?」

根本的にわかっていない少女に、比古は頭を抱える。

どう説明してやるべきか。

中々、こっち方面の教育は難しい。

「あー・・・まぁ、兎に角、病気じゃねぇ、内臓も逝ってねぇんだよ」
「そ、そっか・・・死ぬとかじゃないんだ・・・」
「当たり前だ」
「でも、これって月に一度来るんですよね・・・大変そう」
「女の身体は面倒だな。ま、俺には関係ない事だが」

そう言って、再び酒を口に含む。

しかし剣の好奇心は既に別の方へ行っていたらしく、また新たに問う。

「師匠」
「あ?」
「これが来ると、どうして赤ちゃんが出来るんですか?」
「・・・・・・・・」

余計な事を言わなければ良かった。

と、珍しく比古は自分の発言を悔いる。

この馬鹿は頭が悪い癖に、好奇心だけは人一倍だ。

「・・・・・・・明日、茶屋の女将にでも聞いて来い」
「えー、師匠が教えてくれれば良いじゃないですかー」
「同じ女に聞いた方がわかり易いだろう」
「だって、赤ちゃんは、男の人と女の人の間に出来るんでしょう?」
「だから何だ」
「だったら、師匠が私に教えてくれれば良いじゃないですか」

意味がわかっていないからこそ言える台詞。

無知とは怖い物だと、現実逃避の様に考えてみる。

だが、剣は至って真面目に考えている様だ。

「赤ちゃんて、何か特別な事しないと生まれないんですか?」
「・・・まぁな」
「ふーん・・・何すれば生まれるんですか?」
「だから、それを女将に聞いて来い」
「だーかーらー、師匠がそれを実践してくれれば、分かり易いじゃないですかぁ」

本当に無知とは恐ろしい。

と、比古は項垂れたくなった。

実践しろと。その意味を剣が理解したら、一体どんな顔をするのだろうか。

きっと顔を茹蛸の様に真っ赤にして、ギャーギャー喚きながら八つ当たりして来るだろう。

簡単にその様が想像出来て、少し憂鬱になった。

「師匠?」
「出来るか、馬鹿垂れ」
「えー!?何で?そんな難しい事なの?師匠が出来ないくらい?」
「お前相手じゃ出来ねーっつってんだ」
「??何で?結婚してないから??」

いい加減、疲れて来た。

何だか今日は、やたらと頑固だ。融通が利かないのは、いつもの事だが。

大体、15も離れている、それこそ娘の様な存在の少女に、手が出せる物か。

と言ってしまえたら楽なのだが、それ自体『まずい事』だと理解していない剣に言っても無駄だ。

ここはもう早く寝かせて、明日街へ放り出そうと決める。

「明日は特別だ。稽古を抜きにしてやる。だから聞きに行って来い」
「えっ、良いの?本当?後で取り消さないで下さいよ?」
「わーってる」
「じゃあ、明日聞きに行って来ます!」


途端に元気になった剣に、比古は安堵の溜息を零す。

そして、おやすみなさい!と布団に潜り込んだ剣を見て、ふと考える。


コイツももう、そんな年か・・・。


拾って来た時は、泣きべそばかり掻いていた、6歳程の幼女。

けれど、もうガキを産める身体になっているのだ。

全く、時間の流れとは恐ろしい物だ・・・と、酒を流し込みながら思う。


しかし、性に関する事は、本当にうっかりしていた。


何せ、こんなに長く自分の元にいるとも思わなかったし、剣は剣で外界に興味を持たない。

まぁ、だからこそ、こんな面倒な事になった訳だが。




すー・・・と、穏やかな寝息が聞こえて来る。


幸せな奴だと呆れながら、明日には事実を知るであろう剣の反応を思い描き、また疲労感を味わってみた。






















END.