「曽良君曽良君、ちょっと休憩しようよぉ・・・」


白い日が容赦無く降り注ぐ、雲の無いその日。

細い一本道を延々歩き続けていた芭蕉が、前を行く広い背に声を投げた。

だがその投げ掛けた声は返される事もなく、しんとした無音に終わる。

ただ、芭蕉の引き摺るような足音と、足を緩めぬ曽良のそれだけが静かに聞こえていた。


「曽良君、曽良君てばぁ・・・」
「うるさいですよ、口を動かす元気があるなら足を動かして下さい」


縋る様な声を絞り出しても、前を歩む曽良は振り返らない。

ようやく声を返してくれたと思ったら、こんな熱い日差しの中にあるとは思えない、冷たい声色。

相変わらず師匠に愛の無い弟子だと、芭蕉は大きな目を伏せながら溜め息をついた。


暑い。

疲れた。

足が重い。

昨日殴られた所が痛い。


色々な愚痴が頭に浮かんでは消えるが、それを口には出さない。

出した所で、無視されるか、冷ややかに返されるか、蹴られるかだ。

簡単に予想出来る弟子の行動を鮮やかに脳裏に思い描き、また、やるせない思いで溜め息をつく。


途端




ドゴッ・・・




と言う鈍い音が、芭蕉の腹から響く。

それは何も腹が鳴った訳ではなく、曽良の蹴りが入った為に発生した音だった。

流石に今蹴りが来るとは思わなかったのか、何の構えもしていなかった芭蕉の身体がぽーんと吹っ飛ぶ。

ただでさえ身体が小さく細い彼女。

男の渾身の蹴りをまともに喰らえば、立っていられる筈がない。

案の定そのまま後ろに転がり、うぅと呻きながら蹴られた腹を両手で押さえ込み、身体を丸めた。



そんな芭蕉の元に、相変わらずの仏頂面で、曽良が近寄る。



そのまま、転がる彼女の身体の上に足をぐっと置き、力を込めて踏みつけた。


「痛い痛い痛い痛い!!!」
「溜め息吐かないでくれますか、こっちの幸せが逃げそうなんで」
「べ、別に君がついてる訳じゃないから良いでしょ!・・・あいたたたたた!!!」
「口答えしないで下さい」
「君何様!?」


いつもの調子で突っ込むが、弟子の足は更に力を込めて来る。

ミシミシと骨が悲鳴を上げる。

コレはまずいと、本能が危険を察知した。


「そそそ曽良君!!ごめんなさい!!溜め息つきませんから足退けて!!」
「嫌です」
「ええええ!!?」


まだ何か要求が!?と、芭蕉は涙の滲む黒目がちの目で曽良を見遣る。

彼は少し楽しそうだった。

自分を踏み付けて、泣き喚いてるのが面白いんだろうなぁと、何処か冷静な頭の部分が考える。

だがそう思った途端やたらと惨めになってしまったので、早口に言葉を紡いでみた。


「愚痴言わない!溜め息つかない!曽良君大好き!だから足退けて!」
「全部信用出来ませんね」
「全部!?せめて大好きってトコくらいは信用してよ!!」


ぎゃーぎゃーと大声を上げると、曽良は酷く煩そうな顔をして、渋々足を退けた。

踏まれていた箇所がじんじん痛み、着物も土で汚れたが、仕方ない。

あぁ、今日もついていないな・・・と、芭蕉がしみじみ運の無さを痛感する。

一方の曽良はまだ寝転がる芭蕉を見下ろし、変わらぬ冷えた声色で彼女を急かした。


「ホラ、とっとと立って下さい。もうすぐ町に着きますから」
「あー・・・うん・・・・・・・ねぇ、曽良君」
「何ですか」


寝転がったまま名を呼ぶ師匠に、曽良が嫌そうに返答する。

恐らく、また駄々を捏ね始めると思ったのだろう。

とっとと起きろと言わんばかりの視線を投げながら、彼女の言葉を待った。




「・・・先、行ってて・・・」




「・・・・はぁ?」


少々予想外の言葉に、曽良の口から間の抜けた声が漏れる。

今、この女は何と言ったと、寝転がる芭蕉の顔をマジマジと見詰めた。


「私、ちょっと休んでから行くから・・・君、先に宿に行ってて・・・」
「・・・・阿呆な事言ってないで、とっとと立って下さい」
「いや、うん、だから・・・休んだら行くから・・・君は、先にどうぞ・・・」
「・・・・・アンタ、1人で来られるんですか?」
「失礼な!一本道だもん!わかるよ!」
「そうですか。なら、お言葉に甘えて」


最初は微妙な表情を浮かべた曽良だったが、すぐに表情を消し、踵を返す。

芭蕉は起き上がる気が無いらしく、曽良に軽く手を振ると、目を閉じてしまった。

そんな彼女を見て、曽良は軽く眉を顰める。


「・・・早く来ないと、宿、1人分しか取りませんからね」
「う、うん・・・なるべく早く行く・・・」


芭蕉の言葉を受け、今度こそ曽良が道を行く。

振り返る事も無く歩き、あっと言う間に彼の背が遠く、小さくなって行った。

曽良は歩くのが早い。男であり、若い為体力もある。

更に彼は、何の怪我もしていないし、暴力も受けていないのだから。


それに比べて自分は・・・と、芭蕉が自身の身を思う。


彼より年は上だし、体力も無い。

足も遅いし、身体も小さく元々歩幅が小さい。

昨日だって殴られ蹴られ、飯もロクに食えず、もうボロボロだ。


極めつけに、先程の蹴りと踏み付け。


強く鋭い日差しの中で消耗した体力を、一気に奪い去ってしまった。

もう動きたくない。

いや、後でどうせ動かなくてはならないのだが、今は動きたくなかった。



「・・・・・・・・」



だが、道のど真ん中で寝転がっているのは、邪魔である。

人は通らぬだろうが、それでも気分的に落ち着く物ではなかった。

何とか首だけをグルリと動かし、道の直ぐ脇に手頃な木を発見した。

あそこで休もう。

そう思い、一気にズシリと重くなった体で、這いずる。

惨めだなぁと思いはするが、別に誰も見ていないし、こうしなければ動けない。




ズリズリと地面と擦れ合い、いくつかの傷を作った所で、ようやっと木の根元に辿り着く。




木の幹に掴まり、上体だけをゆっくり起こし、背をそれに預ける。

随分と身体が楽になった。

やはり疲れていたのだなと、今更ながらに実感する。

ふぅ・・・と身体の力を抜き、目を静かに閉じる。

すると、緩やかな風の音や、遠くの川のせせらぎが、鮮明に耳に届いて来た。

先程までの凶暴な日差しも、薄い葉達に遮られ、芭蕉にまで届かない。

何とも心地好い空間。

閉じた目蓋が、接着剤でつけられた様に開かなくなる。

いかんいかんと思いながらも、風に頬を撫ぜられ、急速に意識が暗くなるのを感じた。




(・・・曽良君は・・・どの辺だろう・・・・)




もう町に着く頃か。

彼は足が速いから、もうその辺りだろう。

どうせここからでは、もう見えない。

目を開ける気力も無いから、例えまだ見える範囲にいても、わからない。




(・・・宿、取っといてくれるかなぁ・・・)




本当に1人分しか取ってなかったらどうしよう。

そんな考えが脳裏を過ぎるが、それも身体の疲労と眠りへの誘惑にぼんやり掻き消される。

そのまま、意識が落ちるのに全てを任せ、木陰の下でふっとそれを手放した。

















「・・・・・・・・ん」


眩しい日差しを閉じた目に感じ、眉を顰めながら目を開く。

途端、橙色の光が彼女の眼を貫いた。


「わっ・・・ま、眩しい・・・・・・・・・・・・あれ?」


橙色の日差し。

先程まで天辺にあった白い太陽は、今芭蕉の目の前にある。

自分は木の幹に寄り掛かって座っている。

その自分の目の前に太陽があり、そしてそれは眩い橙の色を放っている。



すなわち・・・。



その事実に気付いた時、彼女の意識が一気に覚醒した。

両手で頭を押さえ、兎に角浮かんだ言葉を口に出した。




「ゆ、夕方!!!?」
「そうですよ」




思わず叫んだ芭蕉の言葉に、冷たい声が答えを返す。

本来なら宿屋にいる筈の人物の声が隣で聞こえ、芭蕉の身体がピシリと固まった。

そのまま、え?と冷や汗を浮かべながら、ギギギ・・・とぎこちなく、硬い動作で振り返る。




そこにはやはり、仏頂面の弟子の姿。




彼の涼しげな顔を認めた瞬間、芭蕉が勢い良く後退る。



「そそそそそ曽良君!!!?」
「遅よう御座います」
「ななな何でここにいるの!!!??」






パンッ!!






「お・そ・よ・う・ご・ざ・い・ま・す」
「お・・・遅よう御座います・・・」


綺麗な平手打ちをくらい、些か冷静になった頭で挨拶を返す。

叩かれた右頬はヒリヒリ痛むが、それよりも何故彼がここにいるのかが知りたかった。


「あ、あの、曽良君・・・な、何で此処に・・・?」
「人に宿取らせて置いて寝こけてるとは、良い度胸ですね」
「え?あ、ご、ごめん!し、知らない内に寝ちゃって・・・」
「何考えてんですか?本当に迷惑な人ですね」
「ご、ごめん・・・」


曽良の冷たい言葉に萎縮しつつ、あれ?と考える。

何だか、答えをはぐらかされた様な気がするのだ。

どうして此処に来たか、彼は答えていない。

・・・が、今此処で再びそれを追及しても、きっと返って来るのは平手か蹴りだ。

無駄に痛い思いをしたくはないと、その疑問を懸命に飲み込む。


「ふぅ・・・ま、良いですけど。・・・もう十分休息は取ったでしょう」
「え、う、うん・・・」
「じゃ、行きますよ。とっとと立って下さい」


曽良が踵を返しながら促す。

それに、芭蕉も慌てて立ち上がり、彼の後に続く。

少し睡眠を取ったお陰で、身体の疲れは幾分取れていたらしい。

足も軽くなったし、昨日殴られた所の痛みも大分消えた。


「早くして下さい、日が暮れます」
「あ、ご、ごめんね・・・」
「ったく・・・」


曽良が苛立った様に先を歩く。

その背を慌てて追いながら、芭蕉はもう1つの疑問を、ふと口に出してみた。



「ねぇ、曽良君・・・」
「何ですか」
「いつからいたの?」
「・・・・何がですか」


曽良が歩みを止めぬまま返す。


「いや・・・その・・・私が起きるまで、いたんでしょ?」
「ええ」
「・・・起こしてくれれば良かったのに・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」


芭蕉の言葉に、曽良は少し黙る。

それに、何かまた気に障る事を言っただろうかと、芭蕉は一抹の不安を覚えた。

だが、曽良は特に怒った様子も無く、たっぷりと間を空けてから答えを寄越した。


「・・・・・・・・・起こしましたけど、アンタが目を覚まさなかったんですよ」
「え、そうなの!?」
「ええ、だから、諦めて待ってました」
「・・・・・・待っててくれてたんだ・・・・・・」
「・・・・・・・別に、待ちたくて待ってたんじゃないんですけど」
「あ、そ、そうだよね、ごめん」
「全く」


呆れた風な曽良の声に、芭蕉は肩を竦めながら謝罪する。

そのまま会話は途切れ、暮れ行く日の中、急ぎ足で町へと向かった。



その最中、ふと思う。



曽良は毎朝自分を起こしてくれるが、その起こし方は至って乱暴だ。

蹴る。踏む。大体前者。

普通に起こしてくれた事など無いし、その方法だとどれだけ疲れていても絶対に起きるのだ。

だが、今回に限っては目を覚まさなかった。

確かに疲れてはいたが、浅い眠りであったろうし、何より日差しを受けただけで起きたのだ。

それに、身体は痛くない。

いや、昨日殴られた所や昼に蹴られた所は痛いが、その他の痛みは無い。

だとすると、彼は普段の方法で起こさなかったのだろう。




(・・・・・・・何でだろ?)




何か理由でもあったのか。

そう考えると気になるが、今急いでいる弟子にそれを問えば、機嫌が急降下するのは目に見えている。

まぁ、詮索する事でもないかと、持ち前の楽天さで、芭蕉はその疑問を忘れる事にした。




「早くして下さい、遅いですよ」
「え?あ、ごめん!待って曽良君!」




考え事をしている最中に、また距離が開いた。

曽良が足を止めて待っている。




珍しい事もあるもんだと思いながら、芭蕉は足を止めた弟子の元へと駆け出した。






























END.


曽良君に迷惑掛けたくない芭蕉さんと心配性曽良君。
曽良君は宿で休みたいだろうから・・・と先に行かせたのは良いんですがね。
弟子は戻って来ました。やっぱ心配だから。
本当に曽良君は芭蕉さんを起こしたんでしょうか?
それは、曽良君サイドで書きたいと思います。(書く気!?)
取り合えず、曽良君が『遅よう御座います』と言ってるのが書きたかった。