後ろを振り返る。
来ていない。
小さくて、煩くて、文句ばかり垂れ流す万年スランプ女。
いつもは後ろをチョコチョコ歩く彼女がうざったいけれど。
いないならいないで、何処か物足りない物だった。
「ええ、一応、2人分で」
宿屋の店主にそう告げると、曽良はクルリと後ろを振り向いた。
先程から何度も繰り返しているその動作。
だが目に映る景色は、何とも味気ない物だった。
今日も今日とて、疲れたと愚痴を零していた師匠。
見た目は愛らしい少女なのに、ロクな事を口にしないあの人。
疲れただの、眠いだの、痛いだの。
あぁ、痛いのは自分の所為かと思い直したが、それでも彼女が愚痴を言うのに変わりない。
だからいつも手を上げるか、1つ2つ冷めた言葉を投げ付けてやる。
そうすれば、彼女は慌てて口を噤み、また同じ様に自分の後をついて来るのだ。
なのに、今日に限っては。
先程の光景を思い出し、曽良は知らぬ内に舌を1つ打った。
案内された部屋に頭蛇袋と傘を無造作に置き、ふぅと窓の外を見遣る。
静かな青い空が広がっていた。
風は穏やかで、雲は緩やかに。
白い太陽は、地面を鋭く照らしていた。
あの人の身体にも、今この日差しは突き刺さっているのだろうか。
曽良が思う。
先程、寝転がったまま自分1人を先へとやった彼女。
いつもはついて来る癖に。
今日は余程辛かったのか、先へ行けと言って来た。
それに、指図された事への苛立ちと、ほんの一抹の不安を覚えたが
それを相手に見せるのも何だか癪なので、そのまま本当に置いて来たのだ。
(ここからじゃ・・・見えないか)
亜麻色の髪の女。
まだ道のど真ん中に寝そべっているのか。
何とも邪魔な荷物だと、曽良は呆れた様に溜め息をつきながら思った。
息を大きく吐いた瞬間、先程彼女が溜め息をついていたのを思い出す。
その時は彼女のその行為に苛立って、蹴り飛ばしてしまったが。
今彼女がここにいて、自分の溜め息を同じ様に責めて来たとしても、自分は彼女を殴るだろう。
芭蕉の悲しそうな顔が脳裏にふと浮かび、曽良はやれやれと肩を竦め、また溜め息を1つ吐いた。
結局、また細い道を戻っている自分に嫌気がさす。
そしてそれを、ついて来なかった芭蕉の所為にしてみたりした。
決して心配なぞしていない。ただ邪魔になっていないか見に行くのだ。
一応自分の荷物であるし、邪魔な様なら宿まで引き摺らなければならない。
そう、誰に問われる訳でも無いのに、心の中で呟き続ける。
知らず知らずに急ぎ足になる自分に疑問を覚えながら、先程彼女がいた場所を一心に目指す。
(・・・・いた)
道のど真ん中ではなく、近くの木の幹に背を預け、眠る女。
何とも穏やかな顔で眠りこけている。
その彼女の姿を認めた瞬間、安堵にも似た感情がどっと胸に押し寄せた。
また、溜め息が漏れる。
「全く・・・」
自分でも信じられない程、間の抜けた声が出た。
そこまで彼女の姿が無い事を不安に思っていたのかと、情けなさも感じる。
そう考えるとまた苛立ちが沸き起こり、彼女を蹴って起こそうとズカズカ大股で近寄った。
だが、彼女の真横まで足を進めると、途端ピタリと止まる。
何の気なしに目に入った、幾つかの擦り傷。
小さいが、気になる。
先程別れるまで、こんな物は無かったのに。
少々悩んだが、恐らく道から這いずって此処まで来たのだろうと推測した。
「・・・・馬鹿だ」
何に対して、と言うわけでは無いが、兎に角そんな言葉が口から零れた。
そのまま蹴る事を止め、彼女の隣に腰掛ける。
起きない。
顔を見詰める。
起きない。
髪を梳く。
少し身動ぎをしたが、起きない。
頬を撫ぜる。
声を小さく漏らしたが、やはり起きない。
「・・・芭蕉さん」
呼んでみるが、やはり目は開かない。
呼んでやっているのに起きないとは。と、曽良が眉間に皺を寄せた。
うっかり手を上げそうになってしまったが、何とかそれを収める。
まぁ、こんな心地の良い日くらい、少し休憩させてやっても、罰は当たらないだろう。
だが
「・・・・暇なんで、早く起きて下さい」
一言小さく囁くと、曽良は軽く、彼女の額に口付けを落とした。
END.
『居眠り』の曽良君視点。(と言うか芭蕉さんが寝てる間)
曽良君は子供っぽい。
芭蕉さんに対してのみ。(嫌な弟子だな!)
芭蕉さんがいつまで経っても来ないので、ちょっと不安で、寂しかったのかも。
んで、いざ芭蕉さんを見つけたら、安堵を苛立ちと捉えてみてしまったり。
でも流石に可哀想なので、蹴り起こす事はしませんでした。