何だか哀しい夢を見た。
自分が死んでいる夢を見た。
自分が死んでいると言うのに、随分と実感は薄く
ただ他人事の様に、葬儀の様子を眺めていた。
ああ、弟子達が泣いている。
私の死を嘆いている。
それを見て、私の胸はキシリと痛んだ。
何故死んだのか問う者もいる。
まだお若いのにと悔やむ者もいる。
まだ教わる事がたくさんあるのにと零す者もいる。
その中で、一際大きな声で叫ぶ声があった。
どうして、僕を置いて逝ったんですか・・・!!
「・・・・・・・!」
息が乱れる。
視界がぼんやりと揺らぐ。
茶色のくすんだ天井が、随分と明るく時を告げていた。
生きている。
まずそう感じた。
そして、安堵した。
実感はまるで無かった癖に、いざ目覚めを迎えると、無性に心がざわめく。
良かった。生きている。アレは本当に夢だったのだ。
どっと溢れてきた汗を拭いながら、煩い心臓を押さえつつ、周囲を見渡す。
誰もいない。
隣にあった曽良の布団は、綺麗に片付けられていた。
彼の朝はいつも早い。
自分が起きる頃には、朝餉を済ませている事すらある。
そしてまだ惰眠を貪る自分を、蹴り飛ばして起こすのだ。
だがまだどうにも、窓から差し込む朝日は弱々しい。
早い時間なのだろう。
曽良がいないのも、恐らく、頭を起こす為に顔でも洗いに行ったのだろう。
そう冷静に考えている内に、幾分胸の煩さも静まってきた。
既に夢の恐怖は薄れ、死していた光景を遠い過去の様に思い起こす。
弟子達の泣き顔。
嘆き。
悔やみ。
そして、彼の
「早いですね、芭蕉さん」
夢の中で大きく叫んだ声が、今は静かにそれを投げて来た。
反射的に振り向くと、曽良が障子を開け、部屋に入って来た所だった。
髪が少々湿っている所を見ると、顔を洗ったばかりらしい。
珍しく早く目を覚ましていた芭蕉を見て、水気の残る顔が驚いた様に彼女に向いている。
「あ、うん、おはよう・・・」
曽良の顔を見て、芭蕉が気まずそうに目を逸らす。
先程夢の中で、有りっ丈の叫びを放っていた彼。
今この冷たい面を見ている限り、そんな事は在り得ない様な気がして来た。
彼が、自分の死を嘆く。
嘆き、悲しみ、悔やみ、魂を叫ぶ。
そして人目も憚らず、鋭い目から涙を零すのだ。
在り得ない。
・・・が、その様を鮮明に思い起こすと、随分と胸が痛む。
他の弟子達が涙しているのを見ても痛んだ胸が。
彼の叫びを聞いた途端、押し潰されるのではと危惧する程、締め付けれた。
彼がそんな風に感情を顕わにするとも思えないが、もし本当にそうなったら。
自分が逝った時、彼がそんな風に嘆くのなら。
自分はきっと、死んでも胸に痛みを覚えそうな気がする。
「・・・芭蕉さん?」
「え?・・・あ、ごめん・・・何?」
「何じゃありませんよ。凄い汗ですよアンタ」
「あ、そう?・・・ちょっと、嫌な夢見たから・・・」
「嫌な夢?子供じゃないんですから」
「あはは、そうだよねぇ」
曽良の呆れ切った表情を見て、芭蕉が苦笑いを浮かべる。
冷ややかな弟子の反応。
やはり、夢で見たあの様相は尋常ではない。
彼が悲しんでいる姿は、例え自分が死んだ後でも見たくは無い。
「・・・・あのね、曽良君」
「何ですか」
「さっきね、私が死ぬ夢見ちゃった」
「・・・はぁ?」
更に冷たい反応。
きっと彼の事だから、『事実になれば良いですね』とか、返してくるだろう。
それはそれでダメージが大きいので、さっさと言いたい事だけ言ってしまおうと早口に紡ぐ。
「皆ね、泣いてるの。私なんかが死んで悲しんでくれるのはありがたいんだけど・・・
その中で、君も泣いてたんだ。ごめんね、勝手に泣かせて。
でもね、夢の中だからってわかってるんだけどね・・・
もし本当に私が死んでも、曽良君、泣かないでね?」
「・・・何言ってんですか?アンタ」
熱でもあるんですか。と、立ったまま見下ろしてくる曽良。
ああ、相変わらず冷たいと、芭蕉はビクリと萎縮しながらも言葉を続けた。
「泣かないとは思うけど、一応、ね?
だって、曽良君が泣いてるの見て、私、とても悲しかったから。
他の弟子達に泣かれるのも悲しいけど、曽良君に泣かれると特に。
だから、その・・・私が死んでも、泣かないでね」
パンッ!
芭蕉がヘラリと笑って曽良に言うと、返事の変わりに平手が飛んで来た。
毎日味わう痛み。
今日はこんな朝っぱらからかと、芭蕉はズレた事を考えてみた。
「いったぁぁ・・・曽良君・・・朝一番で凄く良い音聞いちゃったよ私・・・」
殴られた頬を擦りながら言うと、曽良は無言のまましゃがみ込み、芭蕉へと顔を近付ける。
「・・・わかりました、泣きません」
え?と曽良の顔をマジマジ見遣る。
一瞬思考がついて行かなかったが、先程の自分の言葉に対する答えらしいと理解した。
あまりにサラリと言われ拍子抜けしたが、その返答に安堵を覚える。
「あ・・・そ、そっか、良かったぁ・・・曽良君の泣き顔、見るの辛いもの」
「ええ、泣きません。泣く間も無く、貴方の後を追おうと思います」
しん。と、芭蕉が固まる。
それからたっぷり5秒程沈黙してから、大きな身振りで曽良に飛び付いた。
「・・・・・ほぎゃあああ!!それ一番ダメ!!禁止!!絶対禁止ぃぃい!!!」
今まさに自害するのを止めるかの様に、必死に曽良に縋る芭蕉。
彼女を見て、曽良は再度呆れた様な表情を浮かべ、ふぅと溜め息を吐いた。
「・・・じゃあ、泣いても良いんですか」
「ええええ!?そそそそれだと私が悲しいし・・・ホバアッ!」
ガスッと重いチョップが頭に入り、芭蕉が形容詞し難い声を上げる。
曽良は、少々不機嫌そうにそれを聞きながら、ぶっきら棒に口を開く。
「アンタより、僕の方が悲しいと思いますが」
「・・・・曽良君、私が死んだら、悲しい・・・・?」
「そうですね。それ以上に腹立ちますね」
「は、腹立つの!!?なんで!!?」
「僕を置いて逝くからです」
「・・・・・・・・・・・・」
夢の中の彼の台詞。
それをそのまま、今の彼は零した。
また、胸が締まる。
「・・・・曽良君」
「・・・朝から下らない事言わないで下さい。どんだけ先の話ですか」
「そ、そうだけど・・・でも、いつかは・・・」
「煩い。僕に悲しまれたくないなら、下らない事言わないで、とっとと良い句でも詠んで下さい」
「・・・う、うん」
曽良が立ち上がり、荷物の整理を始める。
それは何事も無かったように、冷静に。
芭蕉は、痛みが引いた頬を擦りながら、その背を見詰める。
何処か、その広い背が悲しんでいる様に見えた。
じくりと胸が疼き、彼の背にピタリと身体を預ける。
いつもなら邪魔だと蹴り飛ばして来る曽良だが、今は振り払う気配が無い。
そのまま、身体に回された芭蕉の腕に、自分の白い腕を重ねた。
「もうそんな下らない夢、見ないで下さい」
「く、下らないって・・・・」
「もし見ても、僕に言わないで下さい」
「う、うん・・・・・」
「・・・・・僕、アンタより想像力豊かなんですよ」
「・・・・・・ごめんね」
曽良の言葉に、芭蕉が苦く謝罪する。
彼の声が、酷く震えて聞こえた。
「・・・曽良君」
「何ですか。また阿呆な事言い出したらボコボコにしますよ」
「ちちちち違うよ!!!・・・ただ、一緒に長生きしようね。って・・・言いたかっただけ」
芭蕉が言うと、曽良は返事こそ寄越さなかったが、無言でそれを受け止める。
「・・・今更ですよ、馬鹿女」
その後、少々の間を空けてから、吐き捨てる様に言葉を漏らす。
随分落ち着いた色の混ざった彼の声に、芭蕉は軽く微笑みを浮かべた。
END.
やまなしおちなしいみなし。
ただ芭蕉さんが、『死んでも悲しまないで』って言うのと、
曽良君が『泣く間も無く後を追う』って言ってるのが書きたかった。
曽良君は本当にそうしそう。
後を追うか、泣くか、腹を立てるか。