キョンの目の前には、古泉の姿。
けれど、彼の着ている制服は、いつもの青みの強い緑のブレザーではなく
暗い悲しみを思わせる黒い詰襟だった。
下衆野郎とキ○ガイ女 -前編-
「・・・・・・・・・」
良く知った部屋。
柔らかい良い匂いのする、馴染んだ彼の部屋。
何処に何があるかなんて手に取るようにわかる。
エロ本が無いかとよくベッドの下を探り、古泉に怒られたものだ。
試しに谷口から借りたエロ本を置いて怒鳴られたのも記憶に新しい。
確か、本棚にはミステリー系の小説が並んでいた。
密室殺人のシリーズがまとめられているのに、2巻だけがないのも同じ。
ベッドはシングル。2人で眠るには少々狭いから、良く抱き合って、くっついて、寝る。
リビングのテーブルは硝子製。
指紋がつくから、いつも気をつけているんだけれど、それでもやっぱり指紋がついていて。
2人して、”やっぱつくな”なんて、笑っていた。
カーテンの色も同じ。センスの良い淡いベージュ。
カーペットも同じ色。温かみのある白い色。
こんなにもこの空間は淡く暖かい色なのに。
目の前の男だけは、ただただ黒く。
「・・・いつまで黙ってんですか、アンタ」
「・・・・・・特に喋る事ねぇからな」
「口の汚い女ですね」
「どーも」
古泉の声が響く。
それはあからさまな侮蔑の色を乗せていて。
キョンは不快そうに眉を顰めて返した。
出来るなら、今すぐそのカーペットの上に唾を吐き捨ててやりたい気分だ。
そう心の中で呟きながら、目の前の詰襟を着た古泉を見る。
「・・・でもホント、良く似てる。部屋まで同じだ」
「へぇ、そんなに似てますか?恋人の顔を間違えるくらいに」
「ああ。一応顔だけなら、お前と同じだからな。声もか。でも他は違うけど」
「ああ、そうですか。主に何処が?」
嘲る様な笑みで目元を彩り、古泉が冷え切った声で問う。
キョンは、腕を組みながら事も無さ気に答えを寄越した。
「アイツは、超能力を持ってるからな」
「アンタの妄想じゃないですか?さっきの御伽噺の世界の話みたいに」
「俺としてはテメェ等の方が御伽噺の世界の人物だけどな」
「あんまりそう言う事言い触らさない方が良いですよ、頭おかしいと思われますから」
「お前は思ってんだろ」
「勿論」
「・・・アイツは、俺に向かってそんな事言わねー」
「・・・・・あ、そ」
途端に興味を失くした様に古泉が肩を竦めて返す。
そして、テーブルに置きっ放しだった水入りのコップを手に取った。
「アンタもしかして、寝惚けてるんじゃないですか?」
「この長時間寝惚ける訳ねーだろ。どんだけ病んでんだよ俺」
「十分病んでると思いますけど。心も頭も」
「ハッ、テメーに言われたくねぇなぁ。古泉みてーな顔しやがって、胸糞悪ィ」
「・・・ふっ」
バシャンッ。
と、弾ける様な音と共に、キョンの顔面が水に塗れる。
ご丁寧に氷も入っていた為、酷い冷たさと痛みが顔面を襲った。
「〜〜〜っ・・・てめぇ・・・っ」
「ちっとは目ぇ覚めたんじゃないですか?夢遊病患者さん」
「・・・・・・・・・・・・」
小馬鹿にした様な微笑み。
完全にコチラを変質者扱いしている古泉に、キョンの中で何かが静かに切れた。
坐った目で、黒い詰襟の彼を見遣る。
「・・・・ああ、ちょっと頭冷えたぜ。サンキューな。
・・・・・ええと、どちらさんでしたっけ?」
キョンの笑みを含んだ声に、古泉が瞠目する。
それから、本格的に汚物でも見下すかの様に眉を顰めながら言葉を投げた。
「・・・アンタ、夢遊病、妄言、果てには記憶障害ですか?可哀想ですねぇ」
「ぁあ?・・・はっ、何とでも言えよ。見ず知らずの赤の他人に何言われたって、痛くも痒くもねー」
「・・・・・恋人と同じ顔してるのに?」
「だから何だよ。・・・ま、俺も何考えてんだろうな、違うってわかってんのにな。
俺の恋人は確かに古泉だよ。古泉一樹だ。
・・・・俺の恋人の古泉一樹は1人だ。
テメーなんざ、古泉じゃねぇ」
キョンが言い放った瞬間、古泉の右手が彼女の襟首を掴み挙げる。
ギリッと、北高のセーラーが軋んだ。
キョンの瞳に、古泉の顔が映りこむ。
酷く冷たい表情。
相手を見下し、軽蔑し、それでいて激しい憎悪を向けた、それ。
「・・・何の権利があって、アンタは僕を否定するんだ」
「権利も糞も。俺の知ってる古泉じゃねーんだから、しかたねぇだろ。
お前は古泉じゃない。誰かなんて興味もねーけど」
「・・・・・僕、一応フェミニストなんです。
女性に手なんてあげた事ありませんし、実際あげたいと思った事もありません。
・・・・・・・ありませんでしたけど」
言葉を一端区切り、更に彼女の襟を引き上げる。
キョンは少し苦しそうな表情を浮かべたが、直ぐにフンと鼻を鳴らす。
「・・・・今は、アンタの面が汚く腫れ上がるまで殴ってやりたいですね」
古泉が顔を近付ける。
キョンはそれを見て、べっと舌を出して挑発した。
「上等だよ。やれるもんならやってみやがれ糞野郎」
「・・・・・・・・言ったな」
2人揃って不敵な笑みを浮かべる。
瞬間。間を置いて響いたのは、何かをぶつけるような激しい鈍い音。
キョンの髪を鷲掴んだ古泉が、彼女の額を思い切り壁へと叩き付けた音だった。
あまりの衝撃に世界がブレる。
熱い。痺れる。世界が揺れている。
眼球が零れるのではないかと錯覚する様な熱を持った激痛が、脳を焼く。
壁紙はザラリとしている筈なのに、今、押し付けられた額に感じるのはぬるりとした感触。
「〜〜〜〜・・・っっ!!!」
「どうです?ちょっとは幻覚症状改善出来ました?ああ、それとも、もっと馬鹿になっちゃいましたかね」
古泉が、キョンの髪を掴んだまま彼女の顔を壁から離す。
ぬちょっ・・・と、離れていく額と壁の間に赤い粘着質な液体が糸を作った。
皮膚がズルリと剥がれている。
出血は、思いの外多い。
白かった壁紙は、ぬとりと赤い血で濡れ輝いている。
キョンは苦痛の悲鳴を漏らすまいと、唇をキツク噛み締めていた。
それを見た古泉が、ハンと嘲笑を投げ付ける。
「痛かったですか?あっはは、でもお冷よりこっちのが効果は良いんじゃないですか?」
「・・っっ・・・・っ」
「ね、思い出せました?僕の名前。昨日の夕飯を思い出せって言ってる訳じゃないんですよー?
そこまで難易度高い問題をアンタに出してるとも思いませんし・・・ねぇ?」
ニヤニヤとしながら顔を近づけ、なじるように問う。
キョンは苦し紛れに口角を吊り上げ、気丈な笑みを作り、答える。
「・・・ああ、なんだっけ、変態暴力男だっけ?あー、思い出せねーなぁ」
その答えに、古泉はにっこり微笑む。
それからぐっと耳元に口を寄せ、憎々しい声を搾り出した。
「この糞アマ」
破裂音の様な、耳を不快に刺激するその音。
キョンの身体が、人形の様に床に叩き付けられる。
あまりに勢いが良過ぎたのか、気味が悪い程に細い体がバウンドした。
テーブルに身体をぶつけたのか、キョンが短く呻く。
痛みを通り越して、身体が壊れた様に硬直する。
背中が海老の様に反り返る。
目の前が真っ白になる程の衝撃に、見開かれた瞳を閉じる事が出来ない。
感覚の制御が出来ず、喉が引き攣り、呼吸が出来ない。
その彼女の横たわった身体を、古泉の足がドンドンと蹴った。
「起きてますー?現実は見えてますかー?」
「〜〜〜〜〜っっ・・・・ああ、見えてるぜ。古泉に良く似た誰かさんが、俺を蹴ってるなぁ」
「・・・・ああ、やっぱり、まだ頭おかしいみたいですね」
もう治らないかな?と、古泉が呆れた様に哂う。
そのままドスッと無遠慮に彼女の上に馬乗りになると、短い前髪を引っ掴み、自分へと顔を向けさせる。
彼の重みを全て腹に受けたキョンの口から、ぐぇっと嘔吐しそうな声が漏れた。
彼女の額の皮膚は中途半端にベロリと剥がれ、真っ赤に濡れる肉が覗いている。
キツク凄まれたその目には、痛みと衝撃から来る涙がじわりと浮かんでいた。
唇からは、先程から悲鳴と激痛を堪える為に噛み締めていた為、肉が切れ鮮やかに出血している。
それを見た古泉が、うわぁ・・・と汚物を見た様な声を上げ、差別的な視線でキョンの顔を見遣った。
「汚ったない面ですね」
「て・・・めぇ、程、じゃ・・・ねぇ・・・」
「・・・ふふっ」
パァンッ!と、乾いた音が空気を裂く。
古泉の右手が、彼女の柔らかな左頬を張り飛ばした音。
容赦の無い平手打ちに、キョンの顔はグリンッと右側へと向く。
叩かれた部位はすぐに真っ赤に彩られ、じわじわと熱に似た痛みを孕んだ。
突然の出来事に、キョンは思わず無言になる。
一文字に結んだ口角からは、つぅっと細い血が一筋線を描いた。
そのまま右を向いていると、再び古泉が彼女の髪を掴み、強引に視線を合わさせた。
「腹立つなぁ・・・なんでこんなキチガイ女に、僕自身を拒絶されなきゃなんないんだろう。
突然現れて、訳わからない事喚いて、更に僕は古泉じゃない?じゃあ誰なんですか?ねぇ」
「し・・・るか・・・よ・・・」
「ふぅん・・・でも、僕は古泉一樹ですよ、残念ながら。
・・・アンタみたいに狂った頭の女を恋人になんて、死んでもしたくありませんけど」
「俺だってなぁ・・・古泉じゃない奴の彼女になんか・・・なりたく、ねぇっての・・・」
「あぁ・・・また言った」
再び、響く平手の音。
今度は彼女の右頬からそれが発せられた。
キョンの両頬が林檎の様に赤くなる。
もう片方の口角からも、同じ様に細く出血が起こる。
すでに彼女の顔面は血塗れになっていた。
「まだ頭治りませんか?いい加減、精神病んだ人の相手、疲れたんですけどねぇ」
「だ・・・ったら、帰せ・・・この下衆野郎・・・!!」
「・・・良いですけど、アンタの頭が治ってからにしてくれません?」
僕の部屋から変態が出てったなんて噂になったら、僕、明日からお天道様の下歩けませんから。
そうケロリと告げ、何かを考え込む。
その隙に脱出を試みようとしたキョンだったが、ドンッと頭を床に叩きつけられた為不可能となった。
「っ・・・・」
「んー・・・そうですねぇ、叩いても治りませんし・・・どうしましょうかねぇ」
俺は壊れたテレビか。
そう心の中で突っ込みながら、全身の痛みに耐える。
数瞬沈黙が落ちたが、それは古泉の嘲笑を含んだ声に破られた。
「・・・・ねぇ」
努めて偽善的な笑みを作り、キョンに問い掛ける。
キョンは無言で彼の整った顔を睨みつけ、無言で先を促した。
「このまま殴られ続けて、顔面パンパンに腫らすのが良いですか?
それとも、下の穴に突っ込まれて悶絶するのが良いですか?」
NEXT
色々最低ですみません。
なんか、あんまり辛辣な言葉が思い浮かびませんでした。
ぬるい罵倒&暴力になってしまいましたが、コレで良かったんだと思います。
一応注意は記しておきましたが、やっぱ不快に思う方が多いんだろうなぁと反省中。
しかも長くなったので前後編にわけました。苦痛倍増。
後編はもっと酷くなります。注意。