高く澄み切った空が、千切れた雲を運ぶ。
剣は、空を切り取った様な涼しい色の瞳で、それを見上げる。
山にも、秋が訪れた。
『剣の日常・秋』
「わぁ、師匠師匠!見て見て!」
剣の元気な声が山に響く。
比古は、そこらの岩に腰を下ろしたまま、弟子の声を追った。
「何だ」
「もう紅葉してますよ!・・・あっ、あっちは黄色!」
「あぁ・・・もうそんな時期か」
いつもは修行の休憩時間となれば、疲れた表情で寝転がる剣だが、今日は珍しくはしゃいでいる。
その原因は、どうやら山の景色にあったらしい。
丁度夏が過ぎ去り、山の木々達が色を変え始めているのだ。
「綺麗・・・」
「そうだな・・・良い酒の肴になる」
「師匠、お酒の事ばっかり」
「それがどうした」
「ちょっとは別のトコ見てよー。折角秋が来たんだから」
「何だ、月でも愛でろと言いたいのか?」
「そーじゃなくって!ほらぁ、木の実やキノコが美味しい季節ー、とか」
「結局食いモンか、ガキ」
「誰がガキですかぁー!!」
杯を煽っている比古に、剣が両手を振り上げて抗議する。
激しく腕を振る度彼女の髪が揺れ、青空に映えた。
明るい緋色のそれは、紅葉したその葉達の色と、良く似ている。
「お前だ、お前」
「ガキじゃないですー!」
「ほぅ?」
「だってだって、私、もう師匠の子供だって産めるんですからね!!」
「・・・・・・・・・・・」
両手を腰にあて得意げに言う目の前の少女に、比古は知らず頭を押さえた。
つい先日まで、月経の存在すら知らなかった彼女。
それが正しい知識を吹き込まれた途端コレか。と。
しかも、軽々しく言っている所を見ると、それがどれ程の意味を持つかすら、しっかり理解していない様子。
何だか遣る瀬無い気分になり、もう一杯一気に酒を煽った。
「師匠?どうしたの?」
何も言葉を返さない比古が不思議だったのか、剣が比古に近寄る。
そして心配そうに顔を覗き込むが、比古は視線すらやって来ない。
大きな瞳を少し細め、眉を下げた剣が、更に比古に顔を近付けた。
「・・・離れろ」
「?師匠、具合悪いの?」
「・・・あー・・・違う、少し静かにしてろ」
「??そう?」
どうやら答えてはくれない様なので、剣は素直に比古から顔を離す。
そして再び滝の方へ顔を向けると、美しく彩られた木々を見詰めた。
「・・・ねぇ師匠」
「何だ」
「すぐ冬が来ちゃいますね」
「・・・まだ秋が来たばかりだろうが」
「そうだけど・・・秋なんて短いじゃないですか」
比古の足に寄り掛かり、ペタンを座る剣。
さらりとした紅葉色の髪が、比古の硬い足に纏わりついた。
「・・・やだなぁ、冬」
「そうか」
「寒いし・・・食べ物は少ないし・・・」
冬の嫌な所を、指を折りながら挙げていく剣。
比古はそれを何となく聞きながら、また、苦味の強い酒を飲み干した。
その間も剣は、遠く、燃えるような木々を眺めている。
「・・・・ねぇねぇ師匠」
「何だ」
「またたくさんキノコ採って、お鍋にしよーね」
ニコニコと微笑みながら剣が言う。
どうやら、暖かく美味な鍋を思い浮かべ、頬が緩んでいるらしい。
見るからに幸せそうな表情を浮かべている少女に、比古はつっけんどんに返した。
「・・・お前が採って来い」
「えーっ、師匠も手伝ってよー!」
「飯の支度ってのは、弟子がやるモンだ」
「うー・・・だって私、毒キノコの区別とかつかないもん・・・」
「毒見してから持って来い」
「ひっどーい!!」
投げ遣りに言われた一言に、剣は大きな動作で反抗する。
そして、凭れ掛かっていた比古の足を両手で軽く叩くと、そのまま彼の膝に額を押し付けた。
「・・・何だ、一体」
何やら様子のおかしい剣に、比古が問い掛ける。
体調でも悪いのだろうか。少し、剣が気付けない程度に、心配そうな色を含みながら。
すると、少しだけ間を空けてから、彼女は小さい声で答えを返した。
「・・・食べ物の話してたら・・・お腹空いた・・・」
ゴンッと綺麗な音が剣の頭から響く。
思い切り。と言う程ではないが、それでも些か強い拳だったのか、剣は頭を押さえながら地面に転がった。
「痛ったぁい・・・っっ」
「ったく、この馬鹿弟子が。くだらねぇ事言ってる暇があんなら、とっとと修行再開するぞ!」
「えぇえ!?もうちょっと休んでようよーー!!」
「馬鹿垂れ、十分休んだろうが!」
「うう・・・折角、綺麗な景色見て良い気分だったのに・・・」
「腹が減ったとか抜かしやがったのは何処のどいつだこの馬鹿が」
「だ、だって、お腹空いたんだもん」
ぷぅ。と頬を膨らませながら小さく反抗する剣。
まぁ、育ち盛りの少女。
毎日激しい稽古に明け暮れる日々なのだから、旨い飯を思い浮かべて腹を鳴らすのも無理は無い。
比古も少しそう思い直した所で、徐に木刀を肩に担ぎながら言ってやった。
「そうだな・・・今日、修行で一度も弱音を吐かなかったら、早めに切り上げて茸採集に行っても良い」
「え・・・・・ホント!?キノコ鍋!?」
「一度も弱音を吐かなかったら。だ。お前に出来るかわからんがな」
「出来る出来る!!絶対弱音、吐きませんから!!」
見る見るうちに明るくなった少女の顔に、比古が思わず軽い笑みを口元に浮かべる。
こうも純粋で、こうも素直な彼女。
刀を握らせている以上、このまま穢れなく育つ事は不可能なのだろうが、どうしてもそれを願ってしまう。
次、こんな美しい紅葉を見る時、少女はこのまま穢れなくいるのだろうか。
こんな風に青空が綺麗な時に。
彼女の髪色と同じ葉が舞う時に。
「・・・ね、師匠。どうしたの?」
「・・・・何でもない、始めるぞ」
「はい!」
不安そうに問うて来る剣に、比古はハッと意識を彼女に戻す。
そして、いつもと同じ仏頂面を作ると、彼女に木刀の切っ先を向けた。
剣は元気良く、彼に返事を寄越す。
空色の綺麗な瞳で。
紅葉色の眩しい髪を靡かせて。
少女剣の、秋のある日。
END.
12歳の少女にとっては、芸術だの何だのよりまず食欲。
師匠のキノコとかデカくて食え無さそうキノコ鍋とかワイルドな味付けっぽい。
でも美味しそう。食べてみたい。師匠のキノコじゃなくてね!(下ネタ厳禁)
剣さんは至って純粋。まるで秋の空の様に。
なんつって、比古師匠は哀愁に暮れてます。