「ねぇ師匠」
剣が呼ぶ。
「何だ」
比古が答える。
幼き日には当たり前だった、この会話。
それが戻って来た事に、剣は桜の様に頬を綻ばせた。
「何笑ってやがる、気色悪ィ」
「気色悪いって何ですかー!可愛い弟子に向かって・・・」
「可愛い弟子なんざ、持った覚えはねぇがなぁ」
「それは師匠の教育が悪かったんですよー」
比古の揶揄に、剣がツイとソッポを向く。
まるで幼い頃と変わらぬ仕草で。
「相変わらずガキだな、テメェは」
「師匠は相変わらず意地悪ですよねー」
あの日手離してしまった日常が、今此処にある。
そうしてあの頃の約束も、今。
「ねぇ師匠、覚えてますか?」
「何をだ」
「私が師匠の所にいた時、必ず一緒にお花見したのを」
剣の言葉に、比古は眼を眇める。
覚えている。
彼女を拾って初めての春。
剣の名を授けた少女は、長い未来も、ずっと共に桜を見る事を望んでいた。
それは剣が自分の元を離れるまで、破られる事なく続けられて。
久しぶりに1人で桜を見た時には、随分な虚無感が胸を突いた物だった。
「・・・覚えちゃいねぇな、ンな昔の事」
「ふーん、老化現象ですよ、それ」
「うるせぇ、三十路」
「まだ28です!」
若作りな28だと、比古が呆れた様子を見せる。
まるでこの剣は、12の頃から変わった様子を見せない。
まだ心も何処か脆く、容姿なぞ、15・6の娘だと言っても通じる程。
こうして自分に寄り添い、温もりを求めて来る所なぞ、特に変わっていない。
趣味の悪い赤い着物と男物の袴を纏うなと。
胸を肌蹴させるなと何度言っても聞かず、比古が額を押さえるのも変わらない。
だって師匠もこうじゃないですか。と、一言で返して来る、13年振りに共に花見をする、この弟子。
「私ね、師匠と離れてから、花見が嫌いになったんです」
「ほぉ?」
「花弁が舞い散る様子が、血飛沫が舞う様に見えて」
「・・・そうか」
自分の元から離れた後。
人の為と謳いながらも結局多くの命と幸せを奪った剣。
それを思い起こすかの様に、風に靡く桜を眺める。
でもね。と、剣がニコリと笑って、続けた。
「今年は師匠が一緒だから、花見がとても楽しいです」
比古が軽く眼を見開く。
穢れと言う穢れを被ったこの女は、やはり、昔の様に桜の様な微笑を浮かべていて。
そうかと返すのに、随分と声が詰まってしまった。
「あ、師匠見て見て!花弁が・・・」
剣の声に比古が眼をやる。
そして、先の穏やかな余韻など消え去った様に、呆れた溜息を零した。
「・・・だから着物を肌蹴るなと言うんだ」
「えー、良いじゃないですか、綺麗で」
剣の胸にピタリと吸い付いた一枚の桜に、彼女は喜ぶ。
比古はいつもの様に額を押さえ、ああやはりこの女は変わっていないと、再度思う。
「師匠、何だかコレ、接吻の痕みたいですね」
「阿呆」
「自分だって此間つけた癖にー・・・」
「何か言ったか」
「なーんにも!」
ねめつける比古に、剣は慌てて視線を逸らす。
けれど数瞬後には、もう少女の様な笑顔を浮かべていて。
「ねぇ、師匠」
剣が呼ぶ。
「何だ」
比古が答える。
幼き日には当たり前だった、この会話。
そしてこれから、また当たり前になる、この会話。
「来年も一緒に、お花見しましょうね」
流浪人時代。28歳・・・一応。
東京から遊びに来たのか本格的に一緒に暮らし始めたのか。
どっちかはわかりませんが、取り合えず再会して初めての春。
剣さんは悪女なので自分に懸想してる男をからかい半分にわざと
胸元を露出させてたりします。でも師匠一筋。悪女!