あの頃、どれだけ焦がれただろう。



桜を見る度。

月を見る度。

貴方の好きだった酒を見る度。



貴方の残り香が、降り積もる恋情へ切なく灯をつけた。



あの頃、どれだけ叫んだだろう。



身勝手に手離した温もりを。

貴方の優しさを。

共にいる心の穏やかさを欲して。



心から血飛沫が上がる程、貴方の名を叫び続けた夜。




それでも。

渇仰したそれらは今、私の隣にある。





「ねぇ、師匠」
「何だ」





あの人の名を呼べば、すぐに返って来る、愛しい声。


ああ、貴方の香りが懐かしい。

貴方の温もりが、いとおしい。



この温もりが夢でないのだと、幻でないのだと

確信したくて、その逞しい腕を取る。



幼き頃、私を抱き上げてくれたこの腕。

眠れぬ夜、優しく包み込んでくれたこの腕。

私に生きる術全てを教えてくれた、この腕。

ああ、こんなにも暖かい。



「・・・どうした」
「いいえ。私が今、貴方の隣にいる事を、感じたかったんです」
「何を今更」



あの頃は、眠れぬ夜、幾度もこの腕を、温もりを求めて涙した。

目の前に流れる情景1つ1つに幼き頃の思い出が香り、灯された暖かさに慟哭した。

誰かの動作1つ1つに貴方の面影が重なり、恋しさに胸を焦がした。



どうしてあの人の傍から離れたのかと、悔やんでも悔やみきれなかった、あの頃。



こんな日が来る事を、夢と思いながらも願わずにはいられなかった、あの頃。




「・・・ねぇ師匠、今年は一段と桜が綺麗ですね」
「そうだな、こんな日は酒が美味い」
「お酒ばかり、身体を壊しますよ」
「フン、余計な世話だ」




口角を吊り上げる貴方に、昔と変わらぬその貌に。



胸に湧き上がる想いを押さえ切れない。



長く、長く、心に降り積もったたくさんの、貴方への想いが。


今、風に舞う桜の花弁の様に。


今、春を迎え、水と溶け溢れる雪の様に。




ああ、零れ落ちていく。




「・・・何を泣く」
「幸せ過ぎて・・・」
「・・・本当に、馬鹿な弟子だ」
「もう、弟子じゃないんでしょう?」
「お前だって、俺を師と呼ぶだろうが」




口では意地悪くとも、頬を撫ぜてくれる指先は、とても優しく。


熱い、貴方への想いの雫は、ハラハラと桜の様に散る。




どうしようもなく、貴方の優しさに胸を焦がされ、その胸へ縋る。



父の香り。

師の香り。

恋の香り。



ああ、2度と手離したくは無い、この、何にも代えられぬ温もり。





「・・・私、もう独りになりませんよね?」





あの頃の様に。


親が死に、人買いが死に、貴方を失った、あの頃の様に。





「・・・私、幸せになっても・・・良いですよね・・・?」





独りになった私は、大勢の人を独りにしてきた。

大勢の命を奪い、幸せを奪った。

幸せになれる資格なんか無いのかもしれない。

生きてて良いのかすら、未だにわからない。


でも。それでも。


貴方の傍にいる事が許されるのなら、それは幸せを許されると言う事。





「・・・お前は本当に馬鹿だ」
「・・・自覚しています」
「・・・・・・こんな馬鹿は、俺が一生面倒を見てやらなきゃあ、ならんだろうな」





貴方はそう、私を甘やかす。


そして私に許しを与えてくれる。


私が欲しても欲しても手に入れられなかった、温もりを与えてくれる。





涙の如く、貴方への想いの如く、降り積もり続ける桜の花弁。





それはきっと、私の全てを埋め尽くしても、まだ足りないのだろう。





ならばいっそ、今は、これからは、この温もりと想いの中に埋もれて。







「・・・そうですよ。貴方が私をこんな風にしたんですから・・・


 一生、傍にいて下さいよ。


 ・・・・・・あなた・・・・・・」







幼き日、共にと約束した花見。



今年も果たされた、終わりの無い約束。



もう何度目かもわからない、貴方と迎えた春。





『新津 剣』となって、初めて迎えた、春。






隠居(夫婦)時代。多分、30代かなぁ。(でもやっぱ顔は変わらない)
めでたく祝言を挙げ、山奥でひっそり、陶芸家とその妻として生活。
相も変わらず喧嘩ばかりだけど、一番幸せな時間だと良い。

このお話を読む時は、出来ればBGMを滴草由実さんの『花篝り』に!(笑)
花篝りは、私の中で絶対的な比古剣ソングだったりします。
お話の方も花篝りからインスピさせて頂いた程。