血の匂いが自分につく度。


あの人の匂いが薄れてゆく。





最後に渡された僅かな金を見る。


使えないまま、1年が過ぎようとしている。


これを手放したら、本当にあの人との繋がりが失われそうで。




あの人と過ごした日々をも、夢幻と斬り捨ててしまいそうで。











「緋村」



男に呼ばれる。

誰だったかと思案し、同じ志を持つ者の1人だと思い出す。



「何だ」
「珍しいな、お前がぼーっとしてるなんて」
「・・・そうか」
「悩み事か?」
「別に」



悩み等ではない。

あの人を想う事に、悩み等ありはしない。


ただ、募る。


会いたいと言う気持ちだけが。



「ま、辛気臭ぇ時は酒でも飲もうぜ、ホラ」
「・・・何故私が」
「良いから良いから」



お猪口を渡され、仕方無く酒を貰う。

あの人が好んで飲んだ酒。

苦味が強いけれど、酒好きの間では名の通る、銘酒。

酒は未だに好きになれないけれど、いいや、味なんて、もうわからないけれど。

血の味しかしないけれど、でも、想い出す。



今日の様に美しい満月を肴にしながら、静かに飲むのが好きだった、あの人の背中。



「あー、やっぱ良いなぁ、酒はよぉ。嫌な事、忘れさせてくれるっつーかなぁ」
「・・・・・・」



忘れさせてくれる?

私にとっては、思い出させる為の道具だ。

あの人の匂いを、あの人の姿を、あの人と過ごした日々を。



「・・・緋村?どうしたよ。お前変だぞ?」
「・・・・別に」
「そうか・・・・・・・しかしよぉ」
「?」



男が、突然声色を変えた。

先程までのゆるりとした様は何処へやら、何処か静かに語り出す。


けれど何だ。この嫌悪感は。


私に向けられている視線の所為か。

この、蛞蝓の這う様な、身体を舐め上げる視線の所為か。



「お前、今幾つだ」
「そろそろ、16」
「ほぅ・・・・・その歳じゃあ、好きな男も出来る年頃だなぁ」
「・・・・・・」



何を馬鹿げた事を。

私の好きな男なら、もっと前から私の心に巣食っている。

そしていつか、支配した。私の心、全てを。



「・・・・・・・・いいや」
「何だ」
「お前、いるみてぇだな」
「・・・何が」
「好きな男が、だよ」



ニヤリと目を厭らしく細め、口元を歪める。

どうしようもない吐き気が私を襲った。

この男は、私に何を求めているのか。

わかりたくなくて、強引に思考を切り替える。



「関係の無い事だ」
「へぇ・・・人斬り抜刀斎が惚れた男・・・ねぇ」
「・・・・・・・」
「興味あるなぁ、ソイツによぉ」
「・・・・・・・」
「どういった男だ。良い男か?」



良い男だ。

私はここに来て、あの人以上の男を見た事が無い。

いいや、あの人に並ぶ様な男は、この世にいないだろう。



「けど・・・・・」
「?」
「どんな男でもよぉ、腹立つなぁ・・・」
「・・・・・・何?」
「お前の心を独り占めする、その男によぉ」



男がゆっくりと近づいて来る。

それが嫌で、私は無意識に後退りをした。

けれどすぐ壁に当たり、そちらに注意を奪われた瞬間



「!」



畳に引き倒された。


慌てて起き上がろうとするも、男が私の上に覆い被さり、それは叶わなかった。

月明かりに浮かび上がる男の顔は、何処か虚ろだ。

けれど口元は吊り上がり、眼は私を欲の相手として見ている。

ぞ・・・っと、嫌悪が背筋を走り抜けた。



「なぁ、腹立つよ・・・」
「だから何だ。私の心に棲まう男に、何故貴様が苛立つ」
「そりゃあオメェよぉ・・・わかってんだろ・・・?」



男が耳元で囁く。

鳥肌が全身に立った。

歯を食い縛り、寒気のする声に耐える。



「俺ぁ、お前に惚れてんだ・・・だから、ソイツに腹立ててんだ、わかるだろ?」
「随分な物好きもいたものだ。人斬りの私に懸想するとはな」
「良い女に、人斬りも何も関係ねぇだろ・・・?」



戯言を。

と、嘲笑いたくなる。

血の匂いのする女に、何を言うのか。

貴様が死んだ時に、名前も、顔すらも思い出してくれぬ女に、何を言うのか。



「フン・・・下らん事を」
「下らなくは、ねぇだろ」
「下らん。酒の勢いに任せて何を言うかと思えば、戯言も甚だしい」
「・・・・・・・」
「貴様が私に懸想しようとしまいと、私の心を奪うのは、あの人だけだ」



そう私が言うと、男の顔が離れた。

先程とは違う、随分と哀しげな目をしている。

いいや、哀しいのではない。

哀しみではない。

自嘲だろうか。こんな女に惚れた、己への。

けれど、見覚えのある。

この様な哀しさに似た、瞳。



「なぁ」
「何だ」
「お前、生娘じゃねぇだろ・・・」
「だから何だ」
「・・・お前を女にした奴は、お前の心に棲まう男か・・・?」
「・・・・・・そうだ」



そう言うと、男は軽く笑って、私から離れた。

そして、『酔いを醒ます』と言い残し、部屋を後にしたのだった。







押さえ付けられていた手首を擦り、そのまま起き上がる事なく月を見る。



窓から漏れる青白い月明かりに、あの人の姿を見た気がした。



最後に一度だけ、契りを結んだあの人の顔。

何故辛そうな顔をするのですか。

貴方より、破瓜を味わう私の方が、苦痛は大きいのだけれど。

いいや、しかし、心の痛みならば、貴方の方が大きかったのでしょう。



貴方の葛藤を見抜けなかった、何も分からぬ子供の私。



けれど、私も、どうしようもない激情を胸に押し込めていたのです。



先程の男の様に、酔いに任せて全てを曝け出してしまいたかった程に。



私を貫いた時の、痛みに堪える貴方の瞳。



先程の男の、哀しみに似た瞳と被る。



ああ、自嘲の様な笑みで、自分を抑え偽っていたのだろうか。





あの男が残していった酒瓶を取り、注ぎ口に唇を当てる。





力無く傾けると、涙の様に私の口から首へと伝り、身体を撫でていった。


血の匂いが薄れる。


あの人の匂いを鮮明に想い出す。





今宵は、貴方の愛した酒に溺れて。





夢の中だけでも、貴方に抱かれていたい。








月明かりを肴にして、その腕の中で眠る。








酔い夢の中で。























END.