西域にある小さな花畑。
赤黒い空と、奇妙な程に似つかわしくない暖かい空間。
西域の現支配者である幽助が、小兎の為に作ったそれ。
そこに、ゴロリと寝転がる人影が1つ。
その人影に、枕として膝を貸してやっている影が1つ。
「幽助さん、幽助さん」
小兎が、自身の膝で眠る幽助に声を掛ける。
控え目な声だったが、それでも幽助が目を覚ますには十分だった。
「・・・どうした?飽きたか?」
「いえ、その・・・」
小兎が呼び掛けた理由が飽きから来たと思ったのか、幽助そう問う。
だが小兎は首を緩く振ると、少し言い辛そうに言葉を続けた。
「・・・もし良かったら、ちょっと人間界に行ってみませんか?」
「?どうしたんだよ、突然」
「特に理由は無いんですけど・・・このお花を見てたら、何だか」
「・・・・ああ、それか」
小兎の視線を辿り、幽助が納得した様に零す。
淡い色と、小振りな花が愛らしいその花。
名は忘失したが、確か人間界にあった花だったと記憶している。
自分も人間だった頃に何度か見た事があった様な気がするそれ。
魔界に適応させる為に、蔵馬があれやこれやと手を施してくれたのを思い出す。
「そうだな・・・まぁ、最近行ってねぇしな」
「はい」
「・・・でもよぉ、人間界の空、眩しいんだよな・・・」
「ゆ、幽助さん、元々人間界の方じゃないですか・・・」
「何百年前の話してんだよ、お前」
呆れの混ざる声色で幽助が返す。
自分が人間だったのは、もう気が遠くなる程昔の話。
今はすっかり魔族としての生活が身についているし、身体自体妖怪へと変貌している。
見た目は人間で、髪だってショートにカットしている、魔族の紋章も消して生活しているけれど。
それでもやはり、全身から滲み出る凶悪な魔族の気配は隠せない。
人間界に行くと、それが余計に目立つ。
今でさえ人間と妖怪は交流が深いが・・・と、幽助は目を軽く細めた。
小兎の様に、妖怪で人間界を好む者も多いが、自分はもう苦手になってしまった。
空が眩し過ぎる。目に痛いのだ。
人間界の空気も、身体に馴染まなくなっている。
小兎が控え目に言って来たのも、それを十分わかっているからだった。
かつて故郷であった場所に馴染めないと言うのも何だか切ない物がある為、幽助はあまり人間界へ出向かない。
仮にも西域の、一国の主であるし、時間が無いと言うのも理由だが。
・・・しかし、他でも無い小兎の頼み。
聞いてやらない訳にはいかない。
「・・・幽助さん?」
「・・・ん?」
「ど、どうしたんですか?突然黙って・・・」
「ああ・・・いや、人間界な」
「はい。・・・あの、無理にとは・・・」
小兎が気を使ってそう言うも、幽助は軽く笑う事でそれを制止した。
そして軽い動作で跳ね起きると、服についた土を払いながら彼女に手を差し伸べる。
「最近仕事続きで構ってやれなかったからな、好きなトコ連れてってやるよ」
「え?じゃあ、人間界に行っても良いんですか?」
「ああ。けど、あんま人間が多いトコはちょっと勘弁な」
「はい!・・・あの、行きたい所があるんです」
「何だ、決まってんのか。何処だ?」
「幻海さんの所です。確かこのお花、幻海さんの所から種を頂いたんですよ」
「へぇ・・・」
幽助の手を取りながら、小兎が答える。
幽助はそれを聞いて、桜色の髪をした彼女を思い出していた。
人間であった頃。この世界に入り込む切っ掛けの切っ掛けである人物。
何年経っても愛らしい少女の姿を保った、自分より余程妖怪らしい女。
そう言えば最近、飛影が愚痴っていたのを思い出した。
何でも、躯が仕事を押し付ける所為で、帰宅はおろか連絡の1つも取る時間が無いと。
長年の戦友の言葉を思い起こし、ふむと1つ考える幽助。
「?どうしました?」
「いや、ちょっとな・・・。まぁ、兎に角行くか、幻海の所だな」
「はい!ありがとう御座います!」
「気にすんな。偶には人間界でデートってのも、良いだろ」
「はい!」
繋いだままの手を引き、幽助が小兎の足を促す。
小兎もそれに答えると、彼の手を少し力を込めて握り返した。
「ほぅ、じゃあ、魔界は相変わらずって感じかい」
青い空の下。
静かな山の奥に響く銀色の声。
昔と変わらない幻海の寺は、清らかな霊気が涼しげに漂っていた。
幽助は、それに少々居心地の悪さを覚えながら、幻海と話を続けている。
小兎の方は、挨拶を済ませた後、雪菜と共に花を見詰めている。
美しい女へと成長した雪菜を見る度、幽助は時間の経過を感じる事が多い。
自分や飛影も、蔵馬やコエンマに会う度に大人になったと言われるが、自分では実感が無い。
小兎も幻海も雷禅も、躯や蔵馬だって、昔とほとんど姿が変わらない。
だから、氷の女へと羽化を遂げた雪菜は、唯一時の流れを知らせてくれるのだ。
・・・と言っても、ここからはどうにも成長しない様子であるが。
「まぁな、飛影の野郎も、忙しいみてーだしよ」
人間の頃、散々聞いた鈴の声と、茶を飲みながら世間話を続ける幽助。
久々に口に含んだ緑茶は、味が良くわからなかった。
魔界の食べ物しか口にしない為、人間界の素朴な味に舌が鈍くなっているらしい。
こんな所まで感覚が消えているのかと、幽助は他人事の様に思った。
「アンタはどうなんだい」
「俺は難しい事パスしてんだ。わかんねーもんよ」
「確かに、アンタに小難しい話したって、右から左にすり抜けるだけだろうが」
「わかってんじゃねーか」
「伊達に数百年付き合ってないさ」
幻海の言葉に、幽助が笑う。
昔の様に大口を開けての笑みではなく、口元と目に淡い笑みを湛えるそれ。
その笑い方に、幻海は少し昔を懐かしく思った。
もう彼は、あのやんちゃな霊界探偵ではなくなってしまったのだ。
今は魔界の1国を支配する魔族なのだと認識すると、一抹の寂しさが胸に過ぎる。
「・・・何だよ、人の顔ジロジロ見て」
「いいや、相変わらず間抜けな面をしていると思っただけだ」
「あーそーかよ。アンタは変わんねーなぁ、いつまで経っても可愛い女の子だしな」
見た目だけは。とつけたし、幽助が言う。
幻海は軽く肩を竦めるだけで、特に何も返しては来なかった。
ただ雪菜と小兎の方へ視線をやり、ふと話題を変える。
「・・・雪菜から聞いたが、飛影は最近機嫌が悪いらしいな」
「んー?・・・あぁ、そりゃあ、アンタの顔見てねぇからだろ」
「たかだか数ヶ月顔を見ない程度で拗ねるなと、伝えておけ」
「ひでぇ女。声も聞かせてねぇんだろ?」
「機会が無いんでね。必要な言伝は、雪菜に任せている」
雪菜は、良く飛影の元へ顔を見せる。
いつバレたかは忘れたが、雪菜も飛影が兄である事を知っているし。
雪菜の気配を悟ってパトロール隊が迎えに来る為、危険も無い。
だから何か伝えがある時は、全て雪菜に頼んでいるのだ。
そうだったと思い出し、幽助が飛影に少しばかり同情を向けた。
「・・・まぁ、飛影もそろそろ限界なんじゃねーの?」
「そうかい」
「・・・顔見せてやったらどうだ?たまにはよ」
「魔界は好かない」
「そりゃそーかも知んねーけど・・・」
「・・・アンタだって、小兎が言わなけりゃ、人間界になんて来なかったろう?」
「・・・・・・まぁな」
「それと同じさ」
幻海の言葉に、幽助は口を閉じる。
幻海も飛影も、元々生きる次元が違うのだ。
自分は、生きる次元が変わってしまったのだ。
昔は対して意識しなかった種族の違いを、今更ながらに実感する。
「・・・でもよぉ、飛影の機嫌が悪ィと、会議にも影響が出るんだよ」
「だから何だい」
「ちょっとこっち向け」
「?」
幽助が、雪菜と小兎を見詰めている幻海を呼ぶ。
それに素直に振り向いた愛らしい顔を、眩しい閃光が一瞬覆った。
「・・・・・何やってんだ、アンタは」
「いや、写真撮った」
「それはわかってるさ。・・・何で写真なんか」
先程人間界で購入したらしいインスタントカメラが幽助の手にある。
何となく用途は見当がつくが、一応それを問うてみた。
「飛影に見せてやろーかと思ってよ。ちったぁ機嫌良くなるだろ」
「・・・ったく、そうならそうと言いな」
「言ったら素直に撮らせねーだろ」
「良くわかってるじゃないか」
「だろ?」
伊達に数百年付き合ってない。と、先程の幻海の台詞を反復する幽助に、幻海はふぅと溜め息をついた。
そのまま、少々冷めた茶を啜り、カメラを見遣る。
「雪菜の顔は撮らなくて良いのかい?」
「ん?雪菜ちゃんは良く顔見せてるから、良いだろ」
「そうかい」
「でもそうすっとフィルム余るんだよなぁ・・・小兎でも撮るかな」
「全部小兎の写真で埋める気か、アンタ」
「それも良いけどな」
よっと立ち上がりながら幽助が言う。
そして、まだ花を見詰めている小兎の肩を優しく叩いた。
「あ、幽助さん。もう行きますか?」
「おう。・・・あ、そうだ。折角久々に来たんだし、写真撮ってやるよ」
「わぁ、ありがとう御座います!」
少し彼女から距離を取り、花と青い空に浮かぶ小兎を収める。
その次に雪菜に手招きで合図すると、2人をカメラの枠に写し撮った。
どちらも眩しい空が写り込んでいる為、幽助は目に痛みを覚える。
人間界の太陽と空は、暗闇になれた自分には厳しい。
「・・・おーし、現像したらまた見せに来っからよ」
「はい。幽助さん、小兎さん、またいらして下さいね」
氷の女にしては随分暖かい声色の雪菜。
その声に笑みで返すと、小兎の肩を抱きながら幻海へと視線を寄越した。
「じゃあな幻海。飛影の反応教えてやっから、楽しみにしてろよ」
「・・・教えられてもな・・・言玉で寄越す気かい?」
「まぁ良いじゃねーか。・・・どうせ、俺は暫くこっち来ねーしよ」
「そうかい。・・・ま、気が向いたら寄りな」
「おう」
やはり人間界は合わない。
幽助の言葉からそれを感じたのか、幻海はそれだけ返し、再び茶を啜った。
もう彼は人間ではないのだ。自分の弟子だった少年ではない。
魔族であり、魔界の西域を支配する妖怪なのだ。
そう改めて認識し、彼を見詰める目を静かに閉じた。
「じゃあな」
「お邪魔しました」
短い挨拶を残し、風の様に消えた幽助と小兎を見送り、雪菜が1つ呟く。
「・・・幽助さん、随分変わってしまわれましたね」
「ああ。アイツも、もう完全に魔族になっちまったからね」
「・・・・人間界を、お嫌いになってしまったのでしょうか」
「さぁね・・・ただ、アイツの場所は、もうこの人間界には無くなっちまったんだろうよ」
幻海が、先程小兎が見詰めていた花を見遣る。
清浄な霊気を受けていた花は、幽助が近づいた為に鈍い色に変貌を遂げていた。
しなりと朽ち初めているそれを見て、自分の弟子であった彼の変化に、痛みを覚える。
「青空を見た時のアイツ、嫌そうな面だったからねぇ・・・」
完全に人間を忘れてしまった幽助を思い、幻海が寂しそうに零した。
「おーい飛影!」
「・・・何だ」
百足の甲板の上。
いつもより不機嫌な飛影が、幽助の声に低く答える。
だが幽助はそんな事は意に介さず、ニヤニヤ笑いながらある物を差し出した。
「いつも頑張ってる飛影君に、西域国王様からプレゼントだ」
「?・・・・・・・・何だ、コレは」
幽助から1枚の紙を受け取り、飛影の表情が固まる。
彼が渡したのは勿論、人間界で撮った幻海の写真。
我ながら綺麗に撮れていると自画自賛をしながら、飛影の反応を待った。
「いつ撮った」
「ん?ああ、昨日昨日、ちょっと人間界に行って来てよぉ」
「・・・・貴様」
「・・・な、何怒ってんだよ・・・写真、気に入ったろ?」
何だか怒りのオーラが飛影の背後に見え、幽助が冷や汗を浮かべながら後退る。
飛影は写真を大事そうにしまい込むと、代わりに刀をその手に取り幽助へと向けた。
「俺がアイツに会うのを我慢して仕事をしていると言うのに・・・貴様と言う奴は」
「ち、ちょっと待て!別に俺が幻海に会いたかった訳じゃなくてだな・・・!!」
「問答無用だ」
「っだー!俺は小兎と人間界デートして来ただけだっつーの!!」
飛影の刀を両手で受け止めながら、少年の頃の様に大声で叫ぶ幽助。
それを聞き、甲板の様子を見に来た躯が、ふと軽い笑みを浮かべた。
「・・・魔族になっても、いくら歳を取っても、変わらない奴等だな」
ギャーギャー騒いでいる2人を見詰め、躯が小さく呟いた。
END.
笑い方や言動、果ては種族まで”変わってしまった”幽助。
でも、根底にある浦飯幽助と言う物は”変わってない”。
・・・みたいなのが書きたかったんだけど無謀な挑戦だった。
幽助はアレですね、成長したらグッと男前になってると思う。
見た目は大人っぽくて、落ち着いてて、ちょっと冷たそうな男前。
だけど話してみると中身は元気な単細胞。
そんなギャップのある国王に、皆親しみを覚えていれば良い。