幻海の寺の縁側で、ぼたんと雪菜が茶を飲みながら笑い合う。

女2人の軽やかな声が、灰色の空の下で響いた。


「ねぇねぇ、雪菜ちゃんてさ、キスした事ある?」
「え・・・?」


ぼたんの一言に、雪菜は少しキョトンとする。

だがしかし、すぐにその雪色の頬を真っ赤に染めると、少し黙り込んだ。

一瞬、キスと言う物を知らないかと思ったが、この反応を見るに、知っているらしい。

・・・そして、それを経験したと言う事も、何となくわかった。


「へぇ〜・・・やるじゃないか雪菜ちゃんったらぁ」
「い、いえ、でも、私、その・・・い、一度しか・・・////」
「ひゃー、純情!真っ赤になっちゃってぇ〜♪」


ぷに。と、雪菜の赤く染まった頬を突付く。

それは冷たいけれど、柔らかい感触を返して来た。


「そ、その・・・・/////」
「で、相手は誰誰?・・・あ、もしかして、噂の君って子?」
「えっ・・・・」


ぼたんが思い出した様に言う。

彼女自身は彼を見た事が無いのだが、幽助達から話は聞いていた。

桑原から聞いた印象はあまり良く無い様子だが、幽助は『変わり者だ』と言っていた。

そして、非常に冷たい性格だとも。

でも、そんな彼を雪菜ちゃんは心から慕っているとも、聞いた。


だから、相手はそれ以外にいないだろうと問うたのだが・・・どうやら、正解らしい。


現に、雪菜は顔を更に真っ赤にしながら、コクリと小さく頷いた。


「やーだよぉ、こっちまで照れちゃうじゃないか」
「ご、ごめんなさい・・・」
「ん?あ、違う違う、悪い意味じゃないよ。羨ましいって事さ」
「そ、そうですか・・・・」


ぼたんが手をパタパタと振りながら笑う。

雪菜は相変わらず顔を赤くしながら、ふっと顔を一瞬暗くした。

赤い眼に影が映る。


「雪菜ちゃん?」
「えっ・・・あ、いえ、何でも・・・雨・・・降りそうだなって・・・」
「あ、ホントだ。あーあ、今実体だから濡れちゃうねぇ」


雪菜の言う通り、空は厚い灰色の雲が覆っている。

ぼたんは、少し嫌そうな顔をして見せた。

そして、空が泣き出さぬ内に霊界へ帰る事にしたらしく、よいしょと立ち上がった。


「じゃあね雪菜ちゃん、お茶ご馳走様。師範にも宜しく言っておいてね」
「はい、またいらして下さい」
「そうさね、今度は晴れの日にしようかな」
「ええ、そうですね」


鋤に腰掛け、ぼたんが手を振りながら厚い雲の中へと消える。

雪菜はそれを見送ってから、再び縁側に腰掛けた。




「・・・・・・あ、雨」




その瞬間、ポツリ。と控え目な雫が空から零れた。


どうやら、本当に雨が降り出したらしい。

ぼたんは大丈夫だろうか。濡れていないだろうか。

彼女のスピードなら、すぐに霊界に辿り着いてしまうだろうが。


しかし、丁度のタイミングだった。と、雪菜は泣いた空を見上げて思う。


そして、次第に勢いを増す雨を見て、思わず微笑みを浮かべた。



彼が来る。



一度だけ唇を、そして体を許した彼が。





『ねぇねぇ、雪菜ちゃんてさ、キスした事ある?』





先程のぼたんの言葉が、耳に残った。

あるにはある。

彼に体を開いた時、一度だけ。本当に一度だけ。

彼と別離する、前夜に。


その後、夜が明けて離れ離れになってしまったから、本当に一度だけ。

他の男に許す気は無い。

自分には彼だけなのだと、まだ来ない紅い男を想って、指を唇に当てた。


それにしても、彼と口付けをしたのは、死と別れを覚悟したあの夜の一度きり。

人間界で再会してからも、彼にそんな事をして貰った事はない。

あの頃の様な危険はもう迫っていないのだから、ゆっくり出来る時間は十分にある。

それなのに、彼は自分に触れて来ない。

一度そう考えてしまうと、口付けの事が妙に頭にこびり付き、また自身の唇に触れた。








「何をしてる、気味の悪い女だな」








低い声に、雪菜がバッと顔を上げる。

そこにはやはり、顰め面のの姿。

思わず頬が緩む。


・・・いらっしゃい」
「ああ」


簡潔な言葉を返し、雪菜の隣に腰掛ける。

すると雪菜はすぐさま立ち上がり、茶を持って来る為に奥へと姿を消した。

は彼女に視線をやらず、空から止め処なく零れる雨を見詰めている。

非常に静かだった。





「はい」
「ああ」


雪菜が冷たい茶を持って来る。

は、無感情にそれを受け取り、一応一口含んだ。

だが視線は相変わらず雨を捉えていて、雪菜はそんな彼を見詰める。


彼は雨が好きだ。


魔界にいる頃から、雨が降ると良く外を眺めていた。

魔界の赤い雨。

けれど、人間界の透明な雨も好きだと言う。

だから雨が降る日は、こちらから連絡しなくても、彼は来てくれる。


その所為で、雨が好きになった。


「・・・
「何だ」
「雨、好きよね」
「ああ」
「・・・私も、好き」
「ほぅ」
「・・・貴方が来てくれるから・・・好き」
「そうか」


彼はこちらを向かない。

でも、それでも良い。

こうして傍にいてくれるだけで良いのだと、雪菜は思う。

長い間、いくら望んでも望んでも得られなかった幸せ。

それが隣にある。それだけで十分だった。


「・・・あの時も、雨が降っていたな」
「え・・・・?」
「ほぅ、忘れたか?あの夜を」
「あ・・・・・・」


突然のの言葉に、一瞬思考が止まる。

だが、夜と言う単語に、彼が言わんとする事を察した。


別離する前夜。

先程思い出していた、その時。


「わ、忘れてなんか!・・・た、ただ、突然言われたから・・・」
「そうか、俺はてっきり、お前がその事を考えていたのかと思った」
「え・・・?」
「先程、俺が来た時だ」
「も、もしかして・・・ぼたんさんとの話、聞いてたの・・・?」


考えを読まれ、真っ先にそれに行き当たる。

だが、は少し眉を顰めると、素直に言葉を返した。


「ぼたん?誰だそれは」
「え、えっと・・・水色の髪の、霊界案内人を勤めてる・・・」
「知らんな。何故俺が霊界の人間と繋がりを持たなければならん」
「そ、そうよね・・・」


どうやら違うらしい。

でも、それならどうして自分の考えを読めたのだろう。

顔に出た所で、どれを思い出しているとはわからない筈なのに。


「じゃあ、どうして・・・?」
「俺が来たのにも気付かず、頻りに唇を触っていたからな」
「・・・・それだけ?」
「ああ」


雪菜は少し驚いた。

それと同時に、懐かしくも思う。

彼はいつも自分を見ない癖に、そう言う細かい所は知っているのだ。

そして、その1つの仕草がどう言う意味を持つかも、良くわかっている。

そう言えばそうだと、今更ながらに思い出した。


「・・・当たりだろう?」
「ええ」


が初めて雪菜を見る。

雪菜は嬉しそうに微笑む。


雨は、青い匂いを伴いながら、より一層激しさを増した。











「・・・もう行く」
「え・・・?」


暫く2人で雨を眺めていたその時、が不意に言った。

雪菜は、普段よりも早く訪れた別れに、驚いた色を顕わにする。


「・・・もう、行くの?」
「ああ」
「・・・も、もう少し、ゆっくりしていったら良いのに・・・」
「良い」
「・・・・どうして・・・?」
「気分だ」
「・・・・・・・・・」


さっさと立ち上がるの服を、クイッと摘み引き止める。

だが彼はそれを無碍に払うと、降り頻る雨にも構わず、濡れた地面へと歩み出た。

雪菜も慌てて、それを追う。

2人とも、あっと言う間に、まるで水に浸かったかの様に濡れてしまった。


「・・・何だ」
「どうして、行っちゃうの・・・?」
「だから気分だと言っただろう」
「・・・・・折角・・・会えたのに・・・・・」


雪菜が俯く。

だが、前髪は雨の所為で額に張り付き、普段のサラリとした様は見られなかった。


「どうせまた曇るんだろう」
「だ、だって、明日は晴れだって・・・・」
「ほぅ、そうか。なら、俺は来なくて良い訳だな」
「・・・・・・・・・来て、欲しいのに」


雪菜が拗ねた様にソッポを向く。

そして無意識に、先程と同じ様に細い指先を唇に当てた。


「・・・・・・・・雪菜」
「え?」


雨音に混じり、の静かな声が雪菜の耳に届く。

彼に呼ばれるとは思わず、急いで顔を上げると、意外と近い所にの顔があり、少し驚く。


「あ、あの、・・・・・・・・?」





好きな男の顔を間近で見て、思わず顔を赤くした雪菜に構わず、は更に顔を近付ける。





そして、雪菜の顔を軽く片手で支えると、自身の冷たい唇を彼女のそれに押し当てた。





突然の彼の行動に、雪菜は眼を白黒させる。

だが暴れる気は起きず、そのまま彼に身を任せた。


しかし、彼の唇はすぐに離れる。


2人の間に、再び冷たい雨が差し込んだ。


「・・・・・・・・・・?」
「何だ、して欲しかったんじゃないのか?」
「えっ・・・そ、そんなっ/////」


意地悪く笑ったに、雪菜は顔を真っ赤にして否定しようとする。

だが、先程までそう考えていたのは事実だし、また唇を触ったのも事実。

それに、されて嬉しいのも確かであるしと、否定の言葉を飲み込み、無言で頷いた。


「ほぅ、随分素直だな」
「か、からかってるでしょう!」
「ああ」
「・・・・もう」


眉1つ動かさないに、雪菜は頬を真っ赤に染めながら微笑む。

だがはもう踵を返し、彼女に背を向けていた。


「・・・もう雨が止む」
「え?・・・・あ・・・・本当・・・・向こうが少し明るい・・・・」
「ああ、魔界に戻る」
「・・・・・・うん」


彼は日の光が嫌いだ。

だから、雨の降る日か曇りの日にしか来ない。

もし来ても、こう言う風に日の気配を感じると、帰ってしまうのだ。


「あ、あの・・・
「何だ」
「・・・・・・・その」


恥ずかしそうに俯く。

言葉に出来ない様だが、はすぐに彼女の考えに気付き、軽く笑う。


「・・・・また気分が乗ったらしてやる」
「えっ・・・・」
「じゃあな」
「あ、ま、待っ・・・・・」




雪菜が慌てて手を伸ばすも、既にの姿は掻き消えた後。


行く先を無くした自分の手を少し握り締め、ゆっくりと引き戻す。


そして、また、指先で唇に触れる。




冷たい感触が、まだ残っていた。




「・・・・・




雨の日のキスは、どうしてもあの夜を思い起こさせる。

けれど、今回は違うのだ。


優しい青い匂いと、彼の穏やかな妖気を思い出し、笑う。




「・・・気分、乗ってくれるかな・・・」




気紛れな彼を想い、雪菜はふと空を見上げる。




何時の間にか、雨は上がっていた。































END.


たまには甘い感じの書きたいなぁとか思って・・・・
たんですが、あんまり甘くない。
ただキスする話が書きたかっただけです。

ちなみに、途中から展開の違う話もあります。
ちょっと暗いですが、お暇でしたら読んでやって下さい。
コチラです。